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いのまたむつみ伝説・ゲームを愛してくれた永遠の美少女絵師

ジャンルを問わず多くの作品を遺してくれた、いのまたむつみ先生。僕はまだ天界に召されたことを受け入れらないような気がします。可憐かつ気品溢れるという唯一無二の作風…それが様々な作品と溶け合った時、忘れ得ぬ感動を僕達に届けてくれました。また幻想的な奥深さは、どこかファンタジーRPGゲームを連想させるものが多かったように思うのです。

僕はずっとそんなイメージを勝手に抱いていました。しかしある時むつみ先生がハンパないハードコアゲーマーであることを知り、納得すると共に特別な存在になったことを忘れることが出来ません。自分と同じゲームを愛してくれたことが凄く嬉しかったんですね。

今回は偉大なるむつみ先生の足跡を、ゲームという視点で紐解いていけたらと思います。

★ゲーム雑誌や僕の所持品以外、明記のない資料はヤフオクやアマゾン、海外のまとめサイトなどからの転載となります。ご了解下さい🙇


1988年『サンダーロード』アニメージュ


1989年月刊ジュネ


❶1983年『プラレス3四郎』


むつみ先生との初めての出会いはアニメ版『プラレス3四郎』でした。パソコンでプラモデルを操作してリング上で戦わせるというコンセプトは、80年代前半の人気ホビーを詰め込んだような魅力に溢れていましたね。パソコン少年、プラモ狂、プロレスマニアと全てに合致していた僕は原作漫画からの大ファンでした。

原作連載中の1983年にアニメ化された時は、まだパソコンが相当マイナーな時期でした。パソコンによって自在に操られるプラレスラーの激闘は夢のような世界に感じましたよ。そしてヒロインの吹雪今日子ちゃんのカワイさに完全にノックアウトされたのでした。

このネタは幾度となく繰り返していますし、全国800万人の『プラレス3四郎』ファンは皆同じ想いだと思うのですが…

😭「なんで桜姫が出てこないんだよ~」

前回紹介した「メカ少女」を初めて意識したのが今日子ちゃんがオーナーである美少女プラレスラー、桜姫だったんです。
またMSXユーザーとしては、一番パソコンゲーム化してほしい作品でした。題材として最もパソゲー向きだったと思うのですが・・・MSXで暴れる柔王丸や桜姫が見たかったなあ。「回路全開!!」


元祖『メカ少女』の桜姫😍 少年チャンピオン・コミックス10巻の表紙から切り抜きました。
僕所有の桜姫。ウイングマンのアオイさんとともにずっと僕を見守ってくれています。


1983年では、むつみ先生のキャラデザはずば抜けていました。



アニメ雑誌でも一時代を築いたカナメプロダクションと共に盛んに特集されました。
今日子ちゃん脚長すぎ😍


豪華な先生のイラストが表紙に。


むつみ先生のイラストを初めて見たのは、やはりアニメ雑誌だったと思います。




アニメの師匠の家でムックも見たなあ


この下敷き、悪友のFM7くんがもってました。


どのキャラクターも印象に残っています。


一応マニアックなところではMZ用の掲載プログラムゲームはあるのですが…


同時期の『さすがの猿飛』

●VIVA! KANAME カナメプロ原画集

この時期むつみ先生が所属していた伝説のアニメスタジオであるカナメプロ。少数精鋭でありながら後のアニメ界で活躍したレジェンドが多数在籍しており、当時のアニメファンの中では憧れの存在でした。これはファンクラブが発行した原画集で、むつみ先生の作品も多数掲載されています。





❷1984年『GBボンバー』


むつみ先生は僅かですが、マンガ連載もされていました。僕はチラッと見たぐらいなのですが、何とゲートボールを題材にしたのスポ根ものだったそうですね。とは言えやはり美少女ヒロインの存在は際立ってました。もっとむつみ先生のマンガが読みたかったなあ。



ビキニアーマーでゲートボールやってる美少女なんて見たことないよ🤣


❸1985『幻夢戦記レダ』


ある日美大生だったアニメの師匠の部屋に遊びに行くと、見たことのない可憐な美少女がビキニアーマーに身を包み、剣を振るっている姿に度肝を抜かれました。小学生の僕でも今までのTVアニメとはクオリティが段違いであることは直感できましたよ。OVAという存在を知ることになった忘れじの作品です。

異世界に転生してしまった恋する女子高生が、出会った仲間とともに世界を救うために奮闘するという物語。その後主流となるRPGゲームの王道のような展開でした。「レダのハート」という物語のキーになるマジックアイテムの存在や、サブヒロインが巫女さんというのもゲームの設定を彷彿とさせますよね。むしろドラクエのような純粋なファンタジーではなく、空中都市要塞や巨大ロボットが混在するという2000年代ビジュアルRPGの先駆けだったような気さえします。

中性的でイケメンなラスボスというのも「いかにも」という感じ。中身が赤くて3倍の大佐と言うことに気が付いた瞬間

🤨「コイツ絶対ロクな死に方しねえな」

と直感し、まさにその通りになって爆笑したのも良い思い出?です。サイコパスな兄貴のファンには申し訳ないんですが、僕はどうしてもこのキャラが好きにれないんですよねえ😁

もちろん鶴ひろみさんの熱演も光りましたが、このことを想い返すとますます悲しくなってしまうので、今回は触れないことにします😥

それまでも美少女が主人公というアニメは存在しましたが、それはあくまで女の子向けの魔女っ子ものか、ラブコメのヒロインが中心だったと思います。僕のアニメの師匠曰く

🤔「うる星やつらのラムちゃんとは全然違うヒロインだな。こりゃこれからのアニメの主流になるかもしれん。」

僕が『幻夢戦記レダ』を見た時、既に『ハイドライド』『ドルアーガの塔』などがヒットしていたので、ゲームの世界でもヒロイック・ファンタジーは人気ジャンルになりつつありました。しかし魅力的な美少女キャラクターが主人公として剣を振るい、物語を完結させるという展開は衝撃でしたよ。師匠はこのフォーマットがそれからのアニメの売れ筋になることを予測していましたが、僕は何となくこのムーブメントがゲームの世界に波及するんじゃないかという予感があったんです。

その後陽子ちゃんのキャラクター造形は、黎明期のファミコンで伝説となった多くのタイトルに引き継がれていきました。


僕が一番初めに『幻夢戦記レダ』の面影を感じたのは同年1985年『タイムギャル』


1986年8月『ワルキューレの冒険 時の鍵伝説』FC美少女ヒロインの元祖でした。


1986年9月『スペースハンター』


1986年12月『マドゥーラの翼』


1987年6月『アテナ』


ビジュアルを徹底的に強化し、アニメ風の美少女キャラを確立させたパソコンゲーム『夢幻戦士ヴァリス』設定もモロに『幻夢戦記レダ』の影響を受けています。
ファミコン版のイラストはアニメタッチでより陽子ちゃんぽいですね。

ヤフオクでセル画を検索してたら沢山出てきたので、折角のなので全部掲載しちゃいます。どの表情もステキ😍



驚いた表情もキュート😍





久しぶりに見返したんですが、最終決戦での凛々しい表情が一番好きです。







このセルが一番値段が高かったです😁


アニメショップの広報animate news1985年1月号 
幻夢戦記レダ発売直前のむつみ先生インタビュー


月刊OUT1985年5月のインタビュー。やはり陽子ちゃんのイメージカラーは青だったんですね。赤い長髪との対比が際立ってました。

❹86年『ウインダリア 童話めいた戦史』


ロングソードを構えたカッコいい主人公があんなヘタレだと思いもしませんでした😅

『幻夢戦記レダ』の興奮冷めやらぬ中、アニメ雑誌で『ウインダリア』が発表された時は

🤭「ムフフ、またカワユイ美少女が大活躍する冒険活劇なんだろうな。今回はイケメンの剣士が主人公みたいだから『天空の城ラピュタ』のファンタジー版みたいな感じかな?肩にテトみたいなのが乗ってるし。」

と勝手に想像していました。しばらくしてOVA版を購入したアニメの師匠から借りた時、師匠はただ一言

🫡「心して見ろよ」

なんのこっちゃと思いながらビデオをセットし、ワクワクしながら観始めた1時間半後…

😨😨😨

ウインダリアの麓で恋人への贖罪に泣き崩れる主人公。その誰一人幸福にならない結末に、僕は呆然とEDテーマ「美しい星」を聞き入っていました。今までも悲劇的な結末のアニメはありましたが、ここまで胸が締め付けられるような作品は見たことがなかったのです。


先生ご自身が作画監督を担当した、美しすぎる幻想世界は必見!

その後ビデオを師匠に返却する際、日本古典文学である「浅茅が宿の談」や、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をモチーフにした、極めて芸術性の高い作品であることを解説してくれました。師匠は同年空前のヒットとなっていた『天空の城ラピュタ』と対比して語るのでした。

🤨「ラピュタはエンタメとして完璧だ。コナン、カリオストロ、ナウシカ、その「楽しい部分」が凝縮されてる。」

師匠は愛用のハイライトの紫煙をくゆせながら

🤔「だがな、人間の愚かさや負の部分を描ききったウインダリアの方がより先鋭的なアニメだな。」

😳「面白い…とは言えないけど、凄いアニメだったね。人気はどうなの?」

師匠は次元大介のようにニヤリと笑うと

😉「売れるってことと、凄えってのは違うのさ。」


LD版豪華なイラストが添付されていて、それだけで買った価値がありましたよ。


その芸術性は同年の『天空の城ラピュタ』をも超えていたと思います。


むつみ先生の手がけた中でも最も幻想的な作品の一つです。

今振り返ってみると、ややミーハーな『幻夢戦記レダ』に比べて、ウインダリアの世界設定は詳細までこだわり抜いていました。特に物語の根幹である死者の魂を集めて回る飛行船「幽霊船」の存在は、幻想的な本作の象徴だったように思います。個人的にこの耽美的な世界観は、レダよりもむつみ先生の作風に合致していた気さえがします。

作画のクオリティも街中の群衆や戦闘シーン、自然の描写、特に水の表現など、細部にいたるまでスタッフの皆さんの気合いがみなぎっていました。若き日の古谷徹さんの熱演も光りましたね。

僕はその後1995年頃中古盤LD版を購入し「想い出の作品」として殿堂入りさせることにしました。愚かな戦争に引き裂かれた2つの純愛…その幻影を描いた本作は、今こそ一人でも多くの方に知って貰いたいむつみ先生の作品だと思います。現在では何故か公式に視聴できないのが残念でなりません。


レダに比べるとグッツ展開も僅かでした。これは珍しい下敷き。


一方アニメ業界での評価は高く、アニメ雑誌では度々特集されました。





1986年2月のインタビュー記事。
先生が鬱になりかけるなど、難産の作品だったことが伺えます。この重いテーマを創り上げるのは、精神的に相当きつかったと思います。

❺1998年『ブレンパワード』

富野由悠季監督の復帰作として注目された作品でした。しかしWOWOWの有料放送で貧乏な僕は視聴できず、リングスを目当てに契約していたプロレスファンの先輩に頼み込んで録画してもらった想い出があります。この作品を語りだすとますます終わらなさそうなのでこの辺で…




❻むつみ伝説 マイケル・ジャクソンとの邂逅


むつみ先生の伝説は色々あるのですが、その白眉はあのマイケル・ジャクソンが画集を気に入り、彼の希望により対面を果た事でしょう。この記事がアニメ雑誌に掲載された時は身震いするぐらい興奮しましたよ。
僕の世代の人ならご理解頂けると思うのですが、当時のマイケルは音楽のみならず全てのエンタメ界の頂点に君臨する、まさにスーパースターそのものでした。そんな彼が全く奢ることなくむつみ先生をリスペクトする姿に、僕は心から感銘を受けたんです。

前回『ファンタジーの歴史』を書いた時はすっかり忘れてしまっていたのですが…『Beat It』のPV映像でマイケルが暴力を音楽で融和してしまうシーンを見た時、小学生の僕は本気でこう思いましたよ。

😲「コイツ、マジモンの魔法使いじゃねえか!」

一番好きな『スムーズ・クリミナル』のPVは、星の数ほど見たファンタジー映像の中で最も幻想的な光景でした。ジュークボックスにコインを投げ入れた瞬間、全ての登場人物がマイケルの歌に踊り狂うシーンは今見ても鳥肌が立ちます。

来日した時はおもちゃ屋さんでカゴいっぱいに大人買いをしたり、セガのアーケードゲームを子供のように嬉々として遊ぶ姿に、

🤭「マイケル、お前俺達と同類なんだな。」

と、ますますファンになったことを覚えています。マイケルはその後多くのスキャンダルに見舞われてしまうのですが、僕はどうしても彼が児童虐待をしていたとは信じられませんでした。セガ信者の弟は根拠もなく断言してたっけ。

😤「セガファンに悪いやつはいない。」

現在ではマイケルの虐待は否定され、「最も多くの慈善活動をしたスター」という事実だけが残っています。マイケルのピュアな精神は間違いなく本物で、だからこそむつみ先生の耽美的な世界に惹かれていったのではないかと思うのです。


セガマニア究極の目的、自身がゲームに登場するという偉業を達成したマイケル。


メガドライブの音源、FM音源チップYM2612で奏でられる名曲の数々は落涙物。Smooth Criminalはマジで凄いよ!




1988年にアニメ雑誌で特集された「いのまたむつみ大百科」



❼1988年『風の大陸』



アマゾンからの転載


むつみ先生がイラストレーターとして活躍し始めた頃、最初にハマったのが『風の大陸』でした。前回投稿の『ファンタジーの歴史』でも少し触れたんですが、1986年のドラゴンクエストの大ヒットは日本においてファンタジーというジャンルがメジャー化する強烈な起爆剤になりました。その影響をいち早く受けたのはいわゆる『ライトノベル』で、1988年にからラノベ雑誌の草分け『ドラゴンマガジン』が創刊されるに至ったのです。

😅「ドラクエより本格的なファンタジーが読みたいけど、指輪物語はちょっと…」

という中高生にピンズドの作品群が目白押して、当然僕もドハマりしていました。その創刊号からの人気作品が『風の大陸』だったのです。

宿命の糸に結ばれた三人が滅びゆく大陸の命運をかけ、壮麗なるドラマが展開されるという大河ロマン。この時期のラノベは間違いなくファンタジーRPGゲームのイメージを投影していたように思います。三人の個性的な主人公パーティーが織りなす冒険譚は、読み手がゲームの世界に惹き込まれるような幻想に溢れていました。

当時は現在と違い、まだファンタジー世界を想像する具体的な媒体が少なかった時期でした。その中で極めつけに耽美で幻想的なイラストは、『風の大陸』の世界を鮮やかに僕らに伝えてくれたのです。むつみ先生の作風は他者を寄せ付けぬ「気品」があり、それが何よりこの世界観にマッチしていました。

ファンタジーラノベの始祖とも言える『ロードス島戦記』の作者水野良先生、安田均先生は「RPGの世界観やストーリー」を特徴とする小説を「ゲーム小説」と定義していました。それを色濃く受け継いだ作品こそ『風の大陸』だと僕は思わずにはいられなかったんです。


伝説の創刊号。正直ラノベとファンタジーをどう扱うか、編集側も試行錯誤していたのだと思います。浅香唯さんのコスプレはその一環のような気がしますね。




ドラマガが母体となった富士見ファンタジア文庫により、日本のラノベは一つの文化として完全に確立されたと思います。



LDも当然買いましたよ。馬券場での現金輸送のバイト、全額突っ込んだ記憶が…😅


この時期のむつみ先生の作画光景







おまけで好きだった「ドラゴンクエスト精霊ルビス伝説」他、小説ドラゴンクエストのイラスト。この頃は本屋に行けば、むつみ先生のイラストが必ず目に入る程の人気でした。並んでる表紙を見るとつい買いたくなっちゃうんですよねえ。







❽1988年『テクノポリス』表紙


ビキニアーマーの赤毛の美少女。『幻夢戦記レダ』のイメージを重ねてしまいます。

Windows以前のいわゆるレトロパソコン時代、パソコンゲームは独自の文化圏を構築していました。これを牽引していたのがPCゲーム雑誌だったのですが、その中でもテクノポリスはアニメ美少女をパソコンで再現することに異常な執念を燃やしていました。この美少女CGと心中せんとするテクポリの狂気については以前特集しました。

1988年頃になると歴史的傑作『イース』を筆頭に、華麗なビジュアルを押し出したファンタジーRPGが台頭してきます。その流れを受けて表紙にむつみ先生を起用したのはいかにもテクポリらしかったですね。なんでも編集部が

😍「幻夢戦記レダの可愛さが忘れられなくて無理やりお願いした」

さらには同じ徳間書店のアニメージュ編集部に紹介して貰ったとのこと。公私混同甚だしいだろ😁いいぞ、もっとやれ!確かに剣をかざしたファンタジー風の美少女を描かせたら、先生は宇宙一ですからね。


1989年のパソコン4大雑誌。本屋さんにこう並んでたら、こりゃテクポリ買ちゃうよ😁

アニメーターとして名を馳せていたむつみ先生の表紙は本屋でも存在感バツグンで、アニメ・ゲーム両方のファン層を取り込むことに成功していたと思います。それまでのゲームは表現能力の限界から、アニメとはまだかけ離れた存在でした。その距離が急速に近づいてきたことを感じずにはいられませんでした。


むつみ先生からは何とセル原画で受け取っていたそうです。この時期先生はイラストレーターとしての活動が中心になっていたので、またアニメ風の美少女が見れるのは嬉しかったですね。

雑誌誌上によるオリジナルキャラクター連載、CG塗り絵コンテストなど、むつみ先生はテクポリの紙面構成に大いに貢献してくれました。この頃から「先生はゲームファンなんじゃないかなあ」と漠然と感じるようになり、よりファンになったのも懐かしい想い出です。テクポリとむつみ先生に関しては以前特集し、表紙も数多く掲載したので是非ご覧になって下さい。


『ティル・ナ・ノーグII カオスの警鐘』
むつみ先生も大ファンで、打ち合わせは5分で済んだそう。こういった欄外の僅かな情報から、むつみ先生のゲーム愛を感じるようになったんです。


硬派な『天下統一』もこんなに華やかに😍美少女の鎧武者が最高にきまってます


『トンネルズ&トロールズ カザンの戦士たち』
超激辛難易度の殺伐としたメリケンRPGですが、むつみ先生にかかれば麗しきイメージに。ちょっと『ブルトン・レイ』のイメージも入っているとか。


『大航海時代』の海賊。本物はこんな可愛くないけど😅


CG塗り絵コンテストの「名もなき赤毛の少女」は表紙連載の主人公「ラナ」へと昇華します。対となる少女「レリア」とのサイドストーリーは誌面で紹介されました。


獅子座のヘラクレスのイメージ


連載されていたファンタジー小説『スパイラルクエスト』



最終号まで担当してくれました。

1988年ころにはこんな連載も。香港裏社会を生きる男たちの熱い生き様と、哀愁漂う対比が魅力の『男たちの挽歌』についてマニアックに語ってくれています。

むつみ先生の原画を使用したCG塗り絵コンテストも忘れられません。テクポリは美少女CGに拘り続け、その投稿作品も業界屈指のレベルを誇りました。その後イースを担当される岩崎美奈子さんなども常連で、プロに転向される方も多かったそうです。

最終的にむつみ先生のキャラを使用した自由課題にまで発展しています。先生の魂はこうして多くのパソコンユーザー達に引き継がれていきました。


毎回審査員としてコメントが掲載されました



芸術的なMSXのCG。どんな投稿にもMSXネタを挿入するのが僕のポリシーです。


カラーステッカーやフロッピーシールも大人気でした。未だに勿体なくて使っていません。






むつみ先生が表紙のテクポリは全て所有しています。
一番MSXやゲームにのめり込んでいた時期です。

❾ハードコアゲーマーむつみ


ソニーとセガによる「ゲーム機最終戦争」は、黎明期からゲームに触れてきた僕たちの世代にとって一つの時代の終わりを意味していました。この件についてはまたいずれ…

そんな想いをむつみ先生に漠然と感じていましたが、現在のSNS全盛と違い、クリエイターのプライベートな情報は断片的にしか伝わってきませんでした。ところが1996年にあるセガサターン雑誌でむつみ先生のコラムが連載されると、実はとんでもないハードコアゲーマーであることが判明したんです。先生がゲーセン狂いで、自宅に筐体を多数保持していることを知ったのもこの時でした。


僕は熟慮の結果セガサターンを選択。結果物量の暴力にセガ帝国が崩壊する様をリアルタイムで体験するハメに…


まあその後PSも色々買い込むんですけど。社会人になって人生で一番ゲームにお金を使っていた時期です。当然超絶貧乏で、毎日100円のドムドムのコロッケバーガーばかり食べてました😁

1973年生の僕はファミコン文化の直撃世代で、小学生の頃からゲームを身近に感じていました。むつみ先生はそれより一回り上の世代で、ゲームを積極的にプレイする人は限られていたと思います。その中でファミコンから最新機種まで遊び倒していたことに感銘を受けましたよ。後に知るのですが、実は女子高校生の頃からインベーダーハウスに通い詰めた筋金入りのゲーセン乙女だったそうです。当時ゲーセンに通う女性は極めて少数派でした。

メガドライブ時代からのセガファンであったことが判明すると、セガ信者の弟は鬼の首を取ったように

😤「やっぱそうだろ。マイケルといい、天才は大体メガドライバー!」

確かにプロクリエイターにはセガファンが多く、セガのゲームは玄人を惹きつける「何か」があるのかもしれません。
僕はむつみ先生の作品に、プレイされた数多くのゲームのエッセンスが加えられていたことが何より嬉しかったんです。その一つの到達点が、次項で述べる『テイルズ オブ デスティニー』だったのでした。


「閉店前15分だけゲーセン行った帰り道の虚しい事といったら…」メチャ解る!僕はこの時期キックボクシングジムの夜間練習でクタクタになった後、ゲーセンに駆け込むのが日課でした。プレイ中に蛍の光が流れると切なさ炸裂!


『ときめきメモリアル対戦ぱずるだま』は名作なのですが、最終ボスの藤崎詩織は極悪な強さ。さらに敗北した場合は主人公を藤崎が強奪し、指名したヒロインは告白を見つめながら涙ながらに身を引くというスパルタンな仕様です。コナミのゲームに「ときめき」なんぞ存在しません😁


対戦格ゲーも全盛期でした。バーチャファイターを語ると止まんないのでまたいずれ・・・



先生がツインファミコンを所持し、ディスクのゲームを大量に所持していることを知って驚愕。ツインファミコンはこの時期としては唯一のAV出力端子を搭載したファミコンで、熱烈なファミコン野郎は大体所持してました。

初代『悪魔城ドラキュラ』のゴシックホラーを基調とした世界観はむつみ先生にピッタリかも。是非新作のキャラデザをして欲しかったです😭




1996年『ラストブロンクス -東京番外地-』は不良文化が暴走族からチーマーに移りつつある世界背景を持つ異色作。エッジの効いたストリートファッションのキャラデザが印象的でした。流行ファッションがゲームに取り入られるようになった走りの作品だと思います。むつみ先生が結成したレディースも見たかったなあ。何故かチーム名やファッションが70年代暴走族なのはご愛嬌。

僕はこの頃毎日のようにゲーセンに入り浸ってました。「なめとんのかコラァ!💢」と奇声を上げながら黒澤の喝入れコンボを叩き込んでいるスーツ姿の奴を見て「サラリーマンって大変なんだなあ」と他人事のように思ってましたよ😁



1996年『ダイナマイト刑事』はいかにもセガらしいゲームの一つ。『ダイ・ハード』の世界観をモチーフにしたベルトスクロールアクションなのですが、ブサイク過ぎる大統領の娘を筆頭に敵も味方もイカれた奴らばかり。それでいてゲーム自体は超A級ストライダーいうのが最高です。「どせいからでんぱが来た」というのがイイですね。

「俺の武器を知ってるかい? モップ! 柱時計! コショウ!」 このCMがこのゲームの狂気を物語っています。まあ「突っ込んだら負け」なバカゲーなんですが

😡「完全に刑事の仕事を取り違えている」

と、現役警察官の空手の先輩のツッコミに爆笑してしまいました🤣



『ぷよぷよ』のオリジナルはMSX2版なんですが、ブレイクしたのはセガのアーケード版やメガドラ版なんですよね。僕も手が小さかったので、メガドラのパットは使いづらかったです。



サターンはギャルゲーが豊富でしたが、むつみ先生はあまりお気に召さなかったみたい。『ファイティングバイパーズ』のハニーは元祖ゴスロリキャラで、コスプレしてる人も多かったですね。1997年の美少女キャラはこんな感じでした。


この時期は『テイルズ オブ デスティニー』の制作に忙しかったんでしょうね。セガ信者の弟は

😭「むつみ先生、何でサターンで出してくれなかったんだ…」

と泣き崩れていました。なんでや!むつみ先生関係ないやろ!


対戦ゲーム全盛期でしたが、1993年をピークにゲーセンは緩やかな衰退の時期を迎えていました。それでも実名で「フェラーリ」「ポルシェ」が登場するバブリーな『スカッドレース』はゲーセンならではの魅力に溢れていました。



1997年『ミスター・ボーンズ』は、洋物バカゲーの極北的作品。ミニゲームの中で「リズムダジャレ対決」があるんですが、

「布団がふっとんだ」

「時計なんか、そんなものほっとけい」

「元旦にお坊さんが二人歩いてた」「これが本当の和尚がツー」

というZ級ギャグの連発に笑いが止まらなくなりました。原文のジョークは英語なので、このチョイスは神がかってますよ🤣元モントローズのギタリスト、ロニー・モントローズが音楽面で全面的に協力・監修している侮れない作品でもあります。

❿1997年『テイルズ オブ デスティニー』


プレステ、サターンの「ゲーム機最終戦争」が勃発すると、ゲームの表現能力にはほぼ制限がなくなってきました。優美なオープニング動画が当たり前となり、ゲームに主題歌が制作されるというゲーム新時代が到来したのです。


ありとあらゆるゲーム機が並べられた「ラオックス・ザ・コンピュータゲーム館」
最新デジタルゲームの最前線でした。僕はMSXのゲームが最後まで置かれていたので、しつこく通ってましたよ。

1997年の年の瀬、行きつけだった秋葉原ラオックスゲーム館で、ゲーム野郎たちが大型ディスプレイに釘付けになっていました。それこそが『テイルズ オブ デスティニー』のPV映像でした。

わずかニ分足らず、現在から見れば荒く貧弱な映像だったかもしれません。しかしそれは長きに渡り、結ばれようと幾度となく交錯してきたアニメとゲームが、ついに一つに融和した歴史的瞬間だったのです。そのキャラデザが日本のファンタジー世界を描き続けてきたむつみ先生だったことは、ファンだった僕にとって万感胸に迫る思いでした。

🥹「そうだよな、やっぱここはむつみ先生だろ…」

DEENがゲームのイメージを確たるものにして創り上げた渾身の一曲「夢であるように」が、たおやかに僕らを包んでいました。

『きっとふたりの出逢いも 遠い日の奇跡だったから…』

ファンタジー、音楽、ビジュアル、それぞれが別の道を歩み続け、いつしかゲームという運命の糸によって結びつく・・・
そんな『運命の物語』こそ、僕にとってのテイルズ オブ デスティニーだったのでした。


いのまた先生の世界観を、きわめて忠実に動かしてくれたのは嬉しかったです。


発売前から雑誌の特集で盛り上がっていました。何と発売前から読者イラスト投稿の特集が組まれたぐらい。きっとむつみ先生のイラストを見て想像してたんでしょうねえ。


PS2版のリメイクも良作でした。




本作の象徴である「意思を持つ剣」ソーディアンのデザインにも先生のこだわりが。


一番お気に入りだったマリー・エージェント。こんな奥さんを貰えたら幸せだなあと思ってました。 ちなみに僕の嫁さんは剣道三段、女子学生関東選手権ベスト4で、怒ると見境なく武器を振り回す所は一緒です😁

おまけでむつみ先生が関わったゲームのタイトルです。


1991年『アークス・オデッセイ』 パッケージイラスト


1995年『サージングオーラ』面白いんだけどゲームバランスがイマイチなのが残念😅



2004年『BBボール』

⓫インタビュー集


最後はむつみ先生のインタビュー記事で〆たいと思います。ご自身の半生を振り返りながら、それぞれの作品についての想いを語られています。

アニメーターのアルバイト時代にいわゆる「インベーダーハウス」に通い詰め、「死ぬほどやってました」とのこと。女子高生時代からとは、やはり筋金入りのゲーマーなんですね。








2003年の展示会の広告。オリジナルクリアファイル超欲しいよ!😍

1997年、あの時の感動を伝えたい…


僕所有の2冊。何時見返してもあの時の感動が蘇ってきます。



いかがだったでしょうか?最近の投稿「ファンタジーの歴史」「ゲームを愛した漫画家たち」を執筆していて、「むつみ先生は絶対外せないよなあ」と思って資料を集めてたんですよ。ところが『テイルズ オブ デスティニー』のOPを久しぶりに見た瞬間、完全にスイッチが入ってしまいました。

日本のゲームにとって、先行した文化でありオタクの象徴でもあったアニメとの融合は悲願でもありました。その集大成として、これまた新興の文化であるファンタジーRPGが選ばれたのは歴史の必然だったのでしょう。その全てに深く係わられたむつみ先生のキャラクターたちが生き生きと動く姿に、僕は溢れる想いが止まらなくなったんです。

このPVを初めて見た1997年、ゲームは既に日本の冠たる文化として世界に発信する存在にまで成長していました。しかしその過程には、むつみ先生のような天才が長く積み上げてきた歴史があってこそだと強く感じたのでした。



恐らくむつみ先生の作品は永遠に愛され続けることでしょう。しかしその偉業を語り継ぐ時に、先生がゲームを心から愛してくれたことを皆さんにも伝えて欲しい…そんな気持ちを込めて綴ってみました。

そして何より素晴らしい作品を贈り続けてくれたむつみ先生に心より感謝し、この項を終わりたいと思います。

                       サイボーグMSX

僕は全ての知識がド素人なので、記述で間違いがあればコメント欄でお知らせください。直ぐに修正いたします🙇‍♂️

いつもスキ💛や凍結された僕に変わってのXでの紹介ポスト、暖かいコメントなど感謝です🙇皆さんとの繋がりが次の投稿への励みになるんです🥹 

校正も一応やっているのですが、なにか文章でおかしな点があったらコメント欄でご指摘頂けると有り難いです🙇



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