【洋楽解説×平和学 No.044】Higher Ground 〜 自分を予言した3時間、もう一段高いところへ
🎸楽曲紹介
Title: Higher Ground
Artist: Stevie Wonder
Issued in: 1973年7月(シングル)/1973年8月3日(アルバム『Innervisions』収録)
Album: Innervisions
Chart: 全米Billboard Hot 100で4位/Cashboxシングルチャートで1位
作詞・作曲:Stevie Wonder
スティーヴィー・ワンダー特集、2日目です。
前回(5/11)はボブ・マーリーの命日アンカーから「Master Blaster (Jammin')」を取り上げました。
今日のテーマ曲「Higher Ground」は、その7年前——1973年のスティーヴィーが、たった3時間で書き上げた曲です。書いた本人が、その曲のメッセージに自分自身が救われるという、にわかには信じがたいエピソードを抱えています。
この曲を、平和学の視点で読み解いていきましょう。
1. Background:1973年、たった3時間で書かれた曲が、3ヶ月後に書いた本人を救う
1973年5月、スティーヴィーは「Higher Ground」をたった3時間で書き上げました。後年、Q誌のインタビューで彼自身が語っています。「全部3時間で書いた」と言い切れる曲が、彼の生涯で何曲あったでしょうか。
歌詞のテーマは輪廻転生です。「神よ、もう一度この世で試させてくれてありがとう/前世は罪にまみれていた」——23歳のスティーヴィーが、なぜ突然、輪廻と「もう一度の人生」のことを歌い始めたのか。本人にもよくわからなかったかもしれません。
この曲はシングルとして1973年7月にリリースされ、すぐにヒットチャートを駆け上がります。続いて1973年8月3日、第16作目のアルバム『Innervisions』がモータウン傘下のタムラ・レーベルからリリースされます。Watergate事件で揺れるアメリカ、ニクソン政権が日に日に追い詰められていた時期です。アルバム最終曲「He's Misstra Know-It-All」はニクソンへの当てこすりとして書かれた曲でした。社会への鋭い視線と、内面の探求が同居する——これが23歳のスティーヴィーが世に問うた『Innervisions』というアルバムでした。
8月6日、ノースカロライナの丸太
アルバム発売から3日後、1973年8月6日。スティーヴィーは新作プロモーションのためノースカロライナ州ダラムのラジオ局に向かう途中でした。レンタカーのマーキュリー・クルーザーを運転していたのは従兄弟のジョン・ウェズリー・ハリス。スティーヴィー自身はヘッドフォンで、できたばかりの『Innervisions』を聴いていたといいます。
車はソールズベリー(North Carolina州)郊外で、丸太を積んだトラックの後ろを走っていました。トラックが急停止します。荷台から丸太が一本、外れて飛び、車のフロントガラスを突き破ってスティーヴィーの頭を直撃しました。
4日間の昏睡。
医師たちは脳の損傷を心配し、家族や仲間も最悪の事態を覚悟したといいます。「もう歌えないかもしれない」「意識が戻らないかもしれない」。
その昏睡を破るきっかけになったのが、ゴスペル歌手アイラ・タッカー(The Dixie Hummingbirdsのリードシンガー)でした。彼が病室を訪れて、スティーヴィーの耳元で「Higher Ground」を歌ったのです。すると、それまで反応のなかったスティーヴィーが、指でキーボードを弾くように動き始めたといいます。
自分が3ヶ月前に書いた曲が、自分自身を意識の底から呼び戻した——こんなことが現実に起きるのかと、思わず息を呑む話です。
退院後のインタビューでスティーヴィーは語っています。「あの数日間、私は確実にもっと高い精神的な場所にいた。自分の人生の、未来の、何をすべきかが見えてきた。もう一段高みへ到達するために」。
2. Lyrics:「もう一度試させてくれてありがとう」と歌っていた
歌詞の核心はシンプルです。神に向かって「ありがとう、もう一度この地上で試させてくれて(So glad that He let me try it again)」と感謝する歌。
冒頭の一節「People keep on learnin'(人は学び続ける)/Soldiers keep on warrin'(兵士は戦い続ける)」で社会の現実を提示し、続いて「Powers keep on lyin'(権力は嘘をつき続ける)/While your people keep on dyin'(人々は死に続ける)」と、Watergate進行中のアメリカ社会への鋭い視線が示されます。
しかし歌の後半で、視点はぐっと内側に転じます。「Gonna keep on tryin' / Till I reach my highest ground(やり続ける/もう一段高みへ到達するまで)」——ここで「higher ground(もう一段高いところ)」という表現が初めて立ち上がってきます。
外の世界の暴力と腐敗を直視しながら、それでも自分は高みへ向かう。これがこの曲のメッセージの構造です。怒りでも諦めでもなく、「やり続ける」という決意。
そしてサビで繰り返される「'Cause it won't be too long(そんなに長くはかからない)」というフレーズ——23歳のスティーヴィーは、この時点で何かを予感していたのではないかと感じてしまう一節です。事故、昏睡、そこからの復活までの数ヶ月のことを、知らないまま歌詞に書き込んでいた。
3. Music:シンセベースが切り拓いた新しい地平
音楽的に、この曲はファンクの歴史における転換点のひとつでもあります。鍵を握るのはシンセベース——ホーナー社のクラビネットとシンセサイザー(TONTO:The Original New Timbral Orchestra)を駆使したスティーヴィー独自の音響です。
従来の生ベースが担っていた低音部を、シンセサイザーで分厚く・歪んだ音色で鳴らすこの手法は、後の80年代のファンク/ヒップホップ/エレクトロに決定的な影響を与えました。Red Hot Chili Peppersがこの曲を1989年にカバーして大ヒットさせたことからも、ロック側からの再評価は絶大です。
そして驚くべきことに、このアルバム『Innervisions』に収録された複数曲で、スティーヴィーはベース・ドラム・キーボードのほぼすべてを一人で演奏しています。盲目のミュージシャンが、シンセサイザー技術の最先端を一人で取り込み、新しい音響を作り上げた——音楽史的にも、これは奇跡のような事件です。
歌唱面でも、この曲のスティーヴィーは独特です。突き刺すようなシャウトと、震えるようなビブラート、そして繊細なメリスマ(装飾音)が混じり合います。祈りと叫びが同居するような声。それが「Higher Ground」というタイトルの精神性とぴったり噛み合っています。
4. Lessons:この曲が教えてくれる二つのこと
Lesson 1:消極的平和の「向こう側」を歌う
平和学において、消極的平和とは戦争や直接的暴力の不在を指します。この曲の冒頭で歌われる「Soldiers keep on warrin'(兵士は戦い続ける)」「Powers keep on lyin'(権力は嘘をつき続ける)」は、まさに消極的平和すら達成されていない世界の現実を直視する一節です。
しかし、この曲の核は、その現実を嘆くところで終わりません。「やり続ける/もう一段高いところへ到達するまで」と歌い、現状を超えていく方向性を示します。これは、ガルトゥング理論で言えば積極的平和への意志そのものです。
戦争がないだけでは足りない。構造的暴力(権力の腐敗、人々が死に続ける構造)が解消され、人間が尊厳を持って生きられる「高み(higher ground)」へ向かう必要がある——23歳のスティーヴィーがそれを直感的に歌詞にしていたことに、改めて驚かされます。
Lesson 2:「やり続ける(keep on tryin')」という積極的平和の核
ガルトゥング理論を発展させた私(足立力也)独自の平和学理論では、積極的平和を「善を積極的に作り出すこと」と定義しています。重要なのは、達成の有無ではなく、方向性です。
「Higher Ground」が繰り返し歌うのは、まさにこの方向性の話です。完成形でも到達点でもなく、「まだ続ける、もう一段高いところへ向かって」という意志。平和は状態ではなく、心の方向性——この理論的核心を、スティーヴィーは1973年に音楽として体現していました。
そして3ヶ月後、彼はその「方向性」に文字通り救われます。昏睡状態の彼を呼び戻したのは、自分自身が書いた「やり続けよう」というメッセージでした。外に発した祈りが、自分自身に戻ってくる——音楽が持つ平和的な力の、もっとも純粋な形のひとつではないでしょうか。
5. In sum:祈りは、必ず誰かに届く
1973年5月にたった3時間で書かれた曲が、3ヶ月後に書いた本人を昏睡から呼び戻す。フィクションのような話ですが、現実です。
平和をつくる行為も、これに似ているのかもしれないと考えています。今、自分が世界に向けて発する祈り、行動、言葉が、どこへ届くかは分かりません。しかし、それが**やり続ける(keep on tryin')**という方向を向いている限り、いつか必ず誰かに——あるいは自分自身に——届く。
次回(5/15)はSW特集③として「Living for the City」を取り上げます。同じ『Innervisions』に収録された、構造的暴力の最も鋭い告発の歌です。
※「積極的平和」の概念に関してはNo.015「Sweet Sweet Smile」(Carpenters)、No.043「Master Blaster (Jammin')」もあわせてご参照ください
※「内省と社会批判の同居」というテーマに関してはNo.011「What's Going On」(Marvin Gaye)もあわせてどうぞ。
📌 この連載【洋楽解説×平和学】について——初めての方はこちらの記事をどうぞ。
