【洋楽解説×平和学 No.000】あの名曲が今でも愛される理由を、平和学者が本気で考えてみた
No music, no life.
No peace, no life.
この二つが交わって、この連載は始まりました。
名曲には必ず理由がある。なぜあの曲は何十年も聴き継がれるのか。なぜあの歌詞が、国境を越えて人の胸に刺さるのか。その「なぜ」を、平和学という学問の視点から掘り下げていく連載です。
「洋楽×平和」を語るブログや発信は世の中にたくさんあります。でも「洋楽×平和学」——学問としての平和学のフレームワークを使って洋楽を分析する連載は、日本にこれしかありません。
執筆者について
申し遅れました。私、足立力也と申します。
社会科学の研究者で、専門分野は国際関係学、平和学、ラテンアメリカ哲学です。それぞれの分野に関して、大学で教壇にも立ってきました。
なかでも、私の中核をなしているのが平和学です。「軍隊をすてた国」「丸腰国家」として知られる中米・コスタリカの平和学的研究に関しては、日本で唯一の専門家として30年以上のキャリアを持ちます。「軍隊なしで国や社会が成り立つのか?」多くの人はそう疑問を持ちます。それに対するコスタリカ人の答えは常にこうです。「軍隊がないから、よりよい国や社会が成り立つんだよ」。私たちの一般的な常識ではちょっと理解が難しい。だからこそ、そこに研究の価値がある。そう思った私は、コスタリカ人の考える平和とは何かということをテーマに、研究者の道に入りました。
現在は一般社団法人コスタリカ社会科学研究所の所長を務めています(研究所公式サイトはこちら)。
もう一つの顔は、アマチュアミュージシャンです。基本はベーシストですが、ギタリスト、ドラマー、ボーカリストとしても15歳からステージに立ってきました。初ステージはなぜかベースではなくギタリストとして踏みましたが、その時に使ったGreco Go IIは今ジャパニーズヴィンテージギターとして高値で取引されていると最近知ってびっくりしています(もちろん売りませんよ!笑)。

ちなみに、トップ画像の左側でベースを弾いているのが私です。ここはセッションバーで、その場で初めて会ったお客さんたちと一緒にジャムった時の様子です。このように、楽器を触りながら人生を歩んできたので、音楽を「聴く」だけでなく「中に入って」語ることができます。
平和学の研究者であり、音楽の実践者でもある。この二つが合わさって、他の誰にも書けない連載になっていると自負しています。
毎回の記事は、こう読みます
この連載では、すべての記事が同じ構成で書かれています。初めての方でもすぐ馴染めますし、読み進めるほどに「今回はここがこう来たか」という楽しみが増していきます。
🎸 楽曲紹介
曲名、アーティスト、発表年。まずはその曲の基本情報から紹介します。
1. Background
その曲が生まれた背景——時代、社会状況、アーティストの個人史。一曲の裏側には、いつも時代がいます。
2. Lyrics
英語(時にはスペイン語やフランス語)の歌詞を読み解きます。何が歌われているのか、どんな言葉が選ばれているのか。原語でこそ見えてくるものがあります。
3. Music
サウンド、アレンジ、演奏の話。ベーシスト目線、ドラマー目線、ギタリスト目線——ミュージシャンならではの耳で聴きます。
4. Lessons
ここが平和学の出番です。その曲が私たちに何を教えてくれるのかを、3つの視点から掘り下げます。「構造的暴力」「文化的暴力」「積極的平和」——聞き慣れない言葉が記事中に出てきますが、大丈夫です。次のセクションで説明します。
5. In sum
結論。大きな話で終わらせません。「じゃあ自分はどうするか」——日常の中で実践できる平和のかたちを、一人の人間として考えます。読み終えたあと、少しだけ気持ちが軽くなる。そんな着地を目指しています。

この連載に出てくる「平和学」の話
ここからは、記事を読むうえで知っておくと理解がぐっと深まるキーワードを紹介します。
暴力は「殴る」だけじゃない
「暴力」と聞いて、何を思い浮かべますか? 殴る、撃つ、爆弾を落とす——たぶんそういうイメージが浮かぶと思います。平和学では、これを直接的暴力と呼びます。目に見える、誰がやったかわかる暴力です。
でも、平和学の創始者ヨハン・ガルトゥングは、もうひとつの暴力を発見しました。構造的暴力です。
構造的暴力とは、誰かが殴っているわけではないのに、社会の仕組みそのものが人を苦しめている状態のことです。
遠い国の話ではありません。この日本にもあります。同じだけ働いているのに、女性というだけで賃金が低い。性的マイノリティであるだけで、法律上のパートナーとして認められない。出身大学によって就職の選択肢が狭まる。非正規雇用のまま何年働いても安定した暮らしが見えない。そして世界で最も大きな構造的暴力は貧困です。治せるはずの病気で人が死ぬ。能力があるのにチャンスが与えられない。殴った人は誰もいない。でも、人は確かに苦しんでいる。それが構造的暴力です。
さらにもうひとつ。文化的暴力。これは、構造的暴力や直接的暴力を「仕方がない」「当たり前だ」と思わせてしまう文化や価値観のことです。「女の子なんだから」「伝統だから」「そういう国だから」「自己責任でしょ」——こういう言葉が、暴力を見えなくしてしまう。
この三つ——直接的暴力・構造的暴力・文化的暴力——はつながっています。構造が土台にあり、文化がそれを覆い隠し、その結果として直接的な暴力が表に出てくる。この連載では、名曲の中にこの三つがどう描かれているかを読み解いていきます。
「平和」=「戦争反対」じゃない
暴力に種類があるように、平和にも種類があります。
戦争がない状態。銃声が止んだ状態。これをガルトゥングは消極的平和と呼びました。「悪いことがない」状態です。大事なことですが、それだけでは足りない。
構造的暴力がない状態——つまり、社会の仕組みが公正で、誰もが自分の可能性を発揮できる状態。これが積極的平和です。
でも私は、ガルトゥングの定義だけでは不十分だと考えています。ガルトゥングの積極的平和は「構造的暴力がないこと」、つまり結局は「悪いことの否定」で定義されています。それでは「よいことを創造する」という側面が抜け落ちてしまう。
そこで私は、こう再定義しています。
消極的平和=暴力を否定する動き。「戦争反対」「差別をなくせ」
積極的平和=平和の要素そのものを創造する動き。「教育を良くしよう」「幸福度を高めよう」「つながりを作ろう」
「反対する」ことと「創り出す」ことは、どちらも大切です。でも、ベクトルが違う。この連載では、ひとつの楽曲が「何に反対しているのか」だけでなく、「何を創り出そうとしているのか」まで踏み込んで考えます。
この連載の最後のセクション「In sum」では、大きな社会の話を「じゃあ自分はどうするか」に落とし込みます。日常の中で、あなた自身が実践できる積極的平和。それをいつも探しています。
音楽そのものが「積極的平和」を作り出す行為である
私はその研究の延長で、音楽を使った「平和をつくるワークショップ」なども行ってきました。例えば、20年くらい前、日本と韓国の市民が集まって交流を深めるワークショップに参加し、その中で「日韓共同でひとつの曲をつくる」というセッションを設けました。
まずは全員でハンドクラップを録音。次に、参加メンバーに、日韓交流の発展にいちばん必要だと思うことを一言で言い表してもらって、それも録音。それを、ごく簡単な3コード進行に乗せてできたのが以下の曲です。
なにぶん20年前の機材(MIDIすら一切使わず、ノートPCだけで作りました)ですから、非常に拙い仕上がりです。ですが、これを「日韓両国の市民が共同でつくったんだ」ということが、ひとつの大きな「平和創造」なんです。もちろん、それに合うように、3コードとはいえ、アジア風の旋律も意識しました。冒頭のダイヤル音はコミュニケーションの意志を表し、続くHelloという言葉は我々の間にある言語障壁を意味しています。しかし、その後の曲展開で、日韓市民の間にある壁がどんどん取り払われていくという構成です。あまりにもちゃちな楽曲で皆様にお聴かせするのも恥ずかしいですが、平和学と音楽との関連性の強さを表す例として受け取っていただければ幸いです。
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では、あらためまして、【洋楽解説×平和学】、どうぞお楽しみください!
