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ドラえもんと心理学9 二つの未来

前章の概説

少年のび太の悲惨な運命を救うために来たはずが、ドラえもんは彼とともに馬鹿みたいに過ちを犯し続ける。これが少年のび太の真の成長に貢献するものだとしても、やはり非効率のそしりはまぬがれない。ドラえもんには一応「少年のび太を人並みの適応力を身につけた人間にする」という任務があるわけで、効率の悪さというのはすくなからず作中および読者の違和感をさそい、ひいては作品の存続にかかわりかねない。

ギャグ漫画だからという意見もあるが、さいわいわたしたちには比較対象が用意されている。「ドラミちゃん」である。率直にいって、彼女は当該任務にもっとも適したロボットであった。

しかし彼女は少年のび太に選択されない(単行本24巻)。
かつ重視すべきは、彼のこの選択が読者である子どもたちに支持され続けてきたということである。

この問題について議論を深めることは、子どもらが自身の成長のため、本質的になにを欲しているのかを教えてくれるであろう。

二つの未来

 
 『未来の国からはるばると』で受けいれられて以来、数十年にわたり、ドラえもんはわたしたちから排斥されませんでした。
これまでわたしたちが証明してきたとおり、それは彼が「不自然な力を行使しない子ども」だったからです。

この評価は、『ドラえもん』という作品になされるには、ちょっとばかり逆説的であることをわたしも承知しています。
けれどもこれは、ドラえもんだけでなく、同じ未来のロボットであるドラミちゃんを考察したなら、容易に理解可能なものとなるでしょう。

 ドラミちゃんもまたネコ型ロボットであり、外観の特徴はかなりデフォルメされた愛らしい女の子で、典型的な女性的心理を付与されています。

基礎能力が兄であるドラえもんをはるかに凌駕していることは、原作者が明言しているとおりです。兄妹と認めることができるのは、かろうじてそのシルエットくらい。

彼女は、少年のび太の周辺でいうならば出来杉英才という優等生に匹敵する、といってはいいすぎかもしれませんが、物語のなかではデウス・エクス・マキナ級の働きをするだけの力があります

 あの運命の元旦、机の引き出しから飛びでてきたのがドラミちゃんであったなら、まず彼女は仰天する少年のび太に首尾よく事情を飲みこませるでしょう。わたしはあなたの未来からやってきた、あなたを悲惨な未来から救うために

いっぽうドラえもんはといえば、初めて見た餅に夢中になって、あげく用件もいわずいったん帰ってしまうので、のび太がおおいに困惑したのでした。第一話ですでにこれだけの違いがあるわけです。

 わたしはドラミちゃんと出来杉英才とを比較し、その能力値が近似しうるといいましたが、出来杉英才を家庭教師につけようとしたなら、保護者はおそらく大変な出捐をしなければなりません。にもかかわらずただで面倒を見てやるというのなら、これはとんでもない幸運です。少年のび太は一夜にして世紀のラッキーボーイとなります

さらに彼の怠慢は単なる不遇だったというふうに再評価されるでしょう。彼の悲惨な運命は、本人が悪いわけではなく、単に機会や方法に恵まれなかっただけなのです。

 さて、しかし、のび太という少年が不遇の天才か、凡人か、あるいはただの馬鹿かといった問題は、もとより本稿の関心事ではありません。本稿の関心事は、本作品と対峙したさいにわたしたちの心理に生起するものの本質であります。

『ドラえもん』という漫画は、すくなくともわが国の子どもたちには、あまりに自然に根づいている観念です。しかもわたしたちの前に現れて半世紀も経ついまでさえ生き生きと活動し、世間に通用しております
外観の愛嬌や商品価値だけでは説明がつきません。なぜというに、この作品にはいまなお読み継がれている生きた物語があるからです。

 外観が子どもの気を引き続けていることは、なるほどたしかに事実です。同じ近未来的ロボットといって、アイザック・アシモフの小説に描かれるような無駄のない完璧なヒューマンフォームであれば、子どもには受けいれられません。子どもの心理が自然そのものの状態にあることは何度も述べましたが、自然というのは抽象的思考をしません。これは未開の部族の心理や、文明人であっても中世くらいまでの建築様式などを見るとわかるでしょう。

すなわち自然的精神というのは、実用主義と縁遠いのです。そこにはかならず投影や遊び心があります。実益や実用の観点だけで自然淘汰を説明することができないのは、多彩な生物の態様から明らかです。

ですから、あのずんぐりした不細工なネコ型ロボットは、子どもにいたく気に入られて当然なのです。

 にもかかわらず、わたしたちの心に生起するのはそれだけではないのです。つまり、愛らしいだけではだめなのです

なぜドラミちゃんでなく、ドラえもんでなければならないのか。ドラミちゃんが主人公であったなら、はたして本作品がこれほど息の長いものになったでしょうか。ドラミちゃんとはいったい何者でしょうか?

 ドラミちゃんとは、あらゆることが可能な未来そのものでありますドラえもんはそうではありません

ドラミちゃんの道具は有効ですしかしドラえもんの道具は無効と化します。作中しばしばこのようなことがいわれます。「ドラえもんの道具はいつもろくなことにならないんだ」。また、「ドラえもんの道具は肝腎なとき役にたたない」と。男の知性万能主義を崇める現代社会で採用されるのは、いったいどちらのほうか、口にするまでもありません。

それなのに少年のび太のとなりにい続けるのは、黄色いのではなく青いほうなのです

(『心的現実性に目を向ける』につづく)


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