『ドラえもんと心理学』再掲予定 子どもと向き合うということ
おぼえがき
この論考は2018年に執筆し、事務所ホームページで発表していたものです。
今回再掲するにあたり、文体のかたさをあらため、専門分野の記述を大幅に減らしました。
今後、章ごとに順次公開していく予定です。
執筆は気晴らしのようにやりましたが、当時は「子どもの心理をどう理解するのか」について真剣に考えていたように記憶しています。
というのも保育現場や教育現場は、時代と地域が変わってもさほど進歩が見られず、自分が数十年前、ときに不条理と感じていた大人たちの態度や対応はいまだ通例のように、歴然とそこに存在していたからです。
このことは、もちろん、大人としてのわたし自身をも含めてです。
「保育者は、今日を生きる子どもに出会って自分の予期を破られ、子どもの新たな側面を発見し、つきまとう自らの先入観と習慣を破られる。そのとき、保育者は自分自身を変えられる。これは保育者にとっての成長のときである」(高橋道子ほか著『子どもの発達心理学』新曜社、p88)
これは児童心理学者である津守真の言ですが、保育者や教育者はこのことをどのていど意識しているでしょうか。
「さらに、保育実践において、保育者は『~ができるようになった』というような社会的常識に近づく方向に子どもが変化するという外側からの発達に目を奪われずに、『子どもが外界を支配する主体となっている』といった、子どもの内側からの発達をとらえる……」(前掲書、p88)
「今日、多くの子どもは外側からとらえられる発達にせかされていると言えるだろう。……」(前掲書、p88)
保育現場ではいまでも、「~ができるようになり、成長を感じます」というのがひな型として使われています。たしかに、なにかができるようになることは喜ばしい。けれども、保育者や教育者はいまもって、子どもを一般的な保育目標や教育目標にあてはめたうえで、ミニ社会人という畸形に育てあげることに専心しているように思われます。
本稿はそんな幻滅と懸念のなか、子どもの心理に接近すべく、「子どもの生活の前提」というものを探るために書かれました。
題材にしたのは名作『ドラえもん』です。
この考察の核心は『子どもは自然に属する』です。
そしてこれこそ、大人が子どもの目線に立つことを阻害する究極の原因だと、わたしは思っています。
育児の啓発本のたぐいの明快さは全然ありませんが、子どもたち、そして子どもたちと関わる読者ご自身の理解の一助となればさいわいです。
2026年7月15日 筆者
ドラえもんと心理学
(目次)
はじめに
考察のむずかしさ
消せない宗教心
平均的家庭に溶けこむ異形の居候
普遍的な子どもの心性
愛嬌のあるまぬけ
意識に対する無意識の補償
合理的視点が排斥される
二つの未来
心的現実性に目を向ける
適応能力を回復する
考察材料と趣旨の再掲
拡張の本能――無限の可能性
収縮すること――厳しい現実への回帰
いずれ覚める夢
拡張を望まない子ども
ドラえもんとアートマン
