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ドラえもんと心理学4 平均的家庭に溶けこむ異形の居候

前章の概説

宗教とは本来、「強烈無比の印象を残したものを熟慮すること」である(宗教 religionの語源はラテン語のレリギオ religioであり、回顧する、結びつける、内省するなどの含意がある)。

わが国において『ドラえもん』は長年愛され、ある種の象徴にもなっている。よって、これは「一定の宗教心に近い心理を惹起する誘因」になっていると考えるべきである。

『ドラえもん』のなにがそうした現象を生んでいるのか、さらに考察する。

平均的家庭に溶けこむ異形の居候

 
 じっさいのところわたしたちの生活のなかに、こんな異形の居候が現れたなら、心底当惑するにちがいありません。

ところがそれが最初に現れたのは、子どもの部屋であります。「将を射んと欲すれば」のことわざが教えるとおり、それは少年「のび太」の心をつかむことで、彼の小さな世界を首尾よく同化してしまいます。

わたしが原作を読んだかぎりでは、それは少年のび太の保護者に対し生活費などを支払いもしなければ、礼もいいません。しかしそれは確実に衣、は不要でしょうが、食と住の世話を受けています。

 ところでわたしの考察方法について先にはっきり述べておきますが、まず考察の対象は原作者が生前創作したものの成果物のみで、これは主として連載や単行本の形式であって、アニメーションは含まれません。

アニメーションとして制作された『ドラえもん』は、私見では解釈の世界であり、並行世界であり、もしくは伝説の再現であります。

この意味では、わたしはアニメ『ドラえもん』を否定していません。むしろ好感をもっています。原作者が意図しつつも諸般の都合で描ききれなかったと思われる描写が見事補完されていると思わされたことも、わたしにはいくたびかあります。

ですがこれについて考察することは「解釈の解釈」をすることになりますから、本稿では避けたいと思います。

 さて、未来からやってきたと豪語するそれは、現代の平均的家庭に居候します。物語が始まった当時の都市部における平均的家庭の様式ですから、少年の父親はホワイトカラーの会社員、母親は専業主婦です。

住居は借家で、さほど裕福でないらしい描写が散見されます。
この点、それはなんの助けにもなりません。それは社会不適合の素質や症候をもっていないにもかかわらず、現代社会的な義務を受けつけないのです。

このことは大人の目にはきわめて奇妙に映ります。それはいったいなんなのでしょうか? 家庭においてそのような存在が許容されるとしたなら、それは子どもであります。

 そう、彼は子どもなのです

そして大人を補佐するためにやってきたのではなく、ただ一人の少年のために遣わされました。
これが第一に、主要な読者たる子どもたちに受けいれられる理由です。

もし彼が少年の登校後、アルバイトにでも出かけるようであれば、物語は一気に子どもらの関心の外に飛びでてしまいます

なに食わぬ顔で夜の食卓を囲むとき、父親は彼の勤労に同情し、かつ賞賛するでしょう。なぜなら、彼は現代的男性の同志であり、かつ育児もこなすので、一つのパイオニア例だからです。

母親は彼に感謝の言葉を並べたてるでしょう。今日はドラちゃんの給料日だったから、おかずはムネ肉じゃなくてモモ肉にしたわ! 

それだけで済めばいいですが、このパイオニア例を前にしてこの若い女性が内心穏やかでいられるわけがありません

くしくも世は「勤労婦人の福祉」に目覚めはじめております(連載時)。夫や、世間の目が気になるでしょうし、それでなくとも時代の空気というものは否応なく皮下に浸透します。

心の無意識はこの影響を絶対に免れません。テレビをつけても、新聞を読んでも、彼女はふらふらと勤労女性の像に引き寄せられていき、ついには現状を変革すべく果敢にこの問題に取り組むか、潜在的な葛藤が高じて神経症を患うことになるでしょう。

 そうして彼が居候先に選んだこの家庭は急激な変革を迫られ、ゆゆしき混乱状態を呈します。彼は、静謐な水面に投げこまれた一個の石です

少年のび太は、この複雑な大人の事情を抱えるドラえもんという存在を、一個の模範として見なければなりません。

もはやそこに対等な友情が育まれることはないでしょう。

 さいわいにも『ドラえもん』において、ドラえもんが現れたことによる従前の世界の崩壊はありません。彼は少年の両親に変革を求めませんし、両親も彼に適応を強要しません。

ここには精神的な互助関係のみが存在しています

 こういいますと、わたしたち大人はすかさず、つぎのような指摘をしたくなるでしょう。「彼は経済的に一方的に依存しているじゃないか。養う人間が一人増えたとなれば、その負担はいかほどになるか。これを軽視するなど到底できまい」と。

残念ながらこうした指摘は、『ドラえもん』という漫画においては枝葉末節の意見にすぎません。なぜというに、少年の家庭は行きすぎた貧困に陥っていないからです。

もし陥ったとしても、それは論ずるに値しないのです。
子どもは親に対して精神的な依存しかしておりません。経済事情など知ったことではないのです。

(『普遍的な子どもの心性』につづく)


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