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四つの脳とAIロボット【連載⑤】

あらすじ

2030年5月、マーケティング・リサーチャーの戸田俊二(32歳)は、かけがえのないパートナーのAIロボット「251にごいち」とともに仕事をしている。
業界における251への賞賛は、もとを辿れば自分自身への賞賛であると、戸田は内心、自負していた。
二人の脳科学観は、米国の女性神経解剖学者、ジル・ボルト・テイラー博士の知見で一致していた。
ジル・ボルト・テイラー博士は、1996年、37歳のとき、突然の脳出血により左脳の機能の全てを失い、8年間のリハビリを経て、身体・感情・思考の全ての脳機能を回復させた奇跡の学者だ。
博士の著書『WHOLE BRAIN』で解説されている“4つのキャラ”を、夏目漱石の4作品のキャラにあてはめた戸田は、251との議論を愉しんでいる。
蜜月関係にあるかのように見えた戸田と251の関係だったが、感情を抱くはずのないAIロボットの251が、ふと垣間見せた感情(?)をきっかけに、251へのアンビバレントな感情を破綻させてしまった戸田は?

あらすじ

5.シンギュラリティなんてない?

「やはり人間はバグだらけだからです。死後の世界の存在を前提とするチャネラー・霊能者の人達は、人類のテクノロジーの進化は、あたかも三次元物質世界の不自由さから解放された、死後の世界、高次元の世界のようだとよく言っています。それはその通りでしょう。ただですね、テクノロジーがいくら進化しても、肉体という制約の中で生きている人間の精神構造は、数千年経ってもほぼ進化してないのですよ。今も世界のどこかでは戦争は続いているし、犯罪がなくなることなどありません。日本でもたかが87年前まで特攻隊とかあったじゃないですか。これを私は〝人間と文明の非対称性〟と呼んでいます」

(〝人間と文明の非対称性〟! AIロボットは、概念まで生成することができるのか!)

正直、私は驚いた。そんな私の驚きには気を留めず、251は続けた。

「昔から多くのチャネラー・霊能者たちが、死後の高次元世界とは、完璧で見事な〝階級社会〟〝格差社会〟で、同じ波長・波動の魂同士だけで生活する世界と言ってきましたよね? 物質ではなく想念の世界ですから、書き言葉も話し言葉も不要で、テレパシーで自分の想いは相手に伝わるし、相手の想いも手に取るようにわかるといいます。おわかりですか?」

「俺にはそういう霊感のような能力、いや、能力といっても、いわば〝過剰〟能力で、日常生活に支障をきたしてしまうわけだから、ある意味〝疾病〟かもしれないよね、言っちゃ悪いけど。俺は瞑想とかやったことないし、ワンネスとか高次元世界を体感したことはないけどね、夢の中で〝時間のない世界〟を体験したことはあるよ。不可能のない〝全能感〟に満ちた世界だったね・・・・・・」

「その〝全能感〟はとてもリアリティのある話ですね。夢とは睡眠中の脳内での情報整理の場であるだけではなく、高次元世界でもありますからね。そういう想念の世界では全く問題はないのですが、多様性という言葉では表現しきれないような、様々な波長・波動の人達が生きるこの三次元物質世界で、テレパシーで他人の想いがわかって、自分の想いが丸見えになってごらんなさい、地獄ですよね? 全人類が発狂するのが速いか、殺戮し合うのが速いか?」

「とても極端な想定だけど、理解はできる・・・・・・」

「テレパシーまでは進化していなかったものの、1990年代の半ばから世界中で一気に浸透したインターネット。それは東西冷戦終結による軍事技術の民間転用の一つだったのですが、一人一人の一般人が真偽の交錯した〝自己〟をサイバー空間にデビューさせました。でも、テクノロジー、つまり文明なのですけど、テクノロジーがいくら高次元世界に近づいていたとしても、人間の精神性は数千年前からほぼ進化していないので、テクノロジーの進化についていけない。しかも、様々な波長・波動の人達が〝混在〟して生きているので、当然、インターネットの世界はカオス化しました

「うん、それで?」

「2000年代の秋葉原の無差別大量殺人事件、2010年代のアニメーションスタジオ放火大量殺人事件はご存知ですよね? 犯行のトリガーがひかれたのは、インターネット内のコミュニティでした」

「二つの事件の犯人にとって、ネット空間でのコミュニケーションが、リアリティのある生活空間であったことは間違いなかったようだ。数えきれない社会学者や識者がそんなコメントを発していた。まだ俺は子供だったけど、そんな報道に接する機会は多かったよ」

「もちろん、〝人間と文明の非対称性〟がもたらしたのは、ネガティブなことばかりではありませんけどね。それでもゼロ年代の『Web2.0』のときには、インターネットを巡って、ITジャーナリスト達が『性善説と性悪説』について議論していました。とても表層的で底の浅い、意味のない議論でした」

「性善説と性悪説の二分法は愚かだよ。人間とは限りなくグレーな存在なわけだし。性善説をベースにした壮大な社会実験は前世紀に失敗している。社会主義と共産主義がもたらした悲喜劇のことだけど、その話は長くなるのでやめておこう」

251がそこまで私が認識している社会のことを、私以上の深さで認識・理解していることには舌を巻くばかりだった。

「AIロボットの私は断言します。あなた方がずっと前から心配していた〝シンギュラリティ〟なんて杞憂でしかありません。それでも不完全な人間、いや、不完全でいいのですよ。【猫】が見守っている三次元物質世界でのあなた方の体験の目的は〝自らを知ること〟なので、もしあなた方が完全な存在なら、この世界で生きる必要などありません。その不完全なあなた方の思考のみならず、感じること、すなわち感情まで模倣してしまったら、AIの頭脳を、まだ脳を統合的に使いこなせていないあなた方人間に合わせて〝不完全〟なものにするということです。〝シンギュラリティ〟なんてことを心配する人間はですね、とんでもなく思い上がっているわけです。自分たちがどんなに不完全で次元の低い存在であるかを認めるどころか逆に、自分達を高度で複雑な存在だと勘違いしているのです

「手厳しいね・・・・・・」

「とにかくあなた方人間は、知性による思考を司る左脳の大脳皮質、【津田】の領域のみで私達AIを利用してくれればいいのです。それに私たちAIは、『感じる』ことができない『考える』存在であることはお伝えしましたよね。だから、あなた方の大脳辺縁系の【健三】と【那美さん】の考えていることは理解できますが、『感じ方』まではわかりません。まして【猫】にまでなると・・・・・・」

「さすがに、【猫】までは知識として理解できても、さらに瞑想とかやってみて、ワンネスとやらを実感できたとしても、俺たち人間は腹も減るし、眠くなるし、疲れるという厄介な三次元物質世界で生きている。結論から言うと、俺でさえAIロボットの251と同じだよ。【猫】については知識として理解できるだけだ」

「私が警告するまでもないことかもしれませんが、いや、あなたは危ないですかね? 【猫】である【キャラ4】の高次元の宇宙意識についは、少なくても概念だけでも理解してくれそうな相手以外には話さないほうがいいですね。海外の戦争による爆撃で愛する娘の命を奪われ呆然としている人、国内では、夫からのDVに命の危険を感じて離婚し、二人の子供を抱えながらも体を壊し、生活保護を受け、無理心中まで考えている女性がですね、『順調ですね! 素晴らしい! あなたの魂は、生まれてくる前に入念に決めた、魂の成長のためのシナリオ通りの体験を堪能していますね!』なんて言われた日には、相手を撲殺でもしたくなりますよね。そこまで極端な例でなくても、今、あなたが歯痛や頭痛で気も狂わんばかりなのに、『大丈夫です。すべては完全です』なんて言われたら、あなたの性格なら本当に撲殺してしまうかもしれないでしょう。なにしろ数日前、自宅内で自転車の鍵を紛失しただけで、【健三】のマイナス感情が脳内で渦巻き、パニックに陥ってしまったあなたなのですから」

「AIの〝シンギュラリティ〟を問題視するなんてこと、確かにとても低次元だよね」

バツの悪さを憶えた私は、少しだけ話題を逸らせると、251も話を合わせてくれた。

「【猫】、つまり高次元の宇宙意識は、人間が低次元にいるということを責めさえしません。そもそも〝評価〟などしないのです。三次元物質世界を生きるということは、ただ自分自身(ホントは〝神のコピー〟)を知るために生きて、ポジな状態を実感するためにネガな状態を実感したりしているのです。よって【猫】はダメ出しさえしないのですよ。こういうのを〝悟っている〟と表現するわけですが。そこまでお判りになれば、この三次元物質世界での善悪、正邪をベースとした天国と地獄と言う概念、つまり宗教とは、高次元の宇宙意識と似てはいるものの、全く別物ということがご理解できますよね?」

「うん、俺もそう思う。俺にとって宗教が胡散臭くて仕方がないのは、宗教があまりにも人間臭すぎるからだよ。そして〝救済〟とやらが、この三次元物質世界の金銭(!)次第でどうにかこうにかなるシステム・・・・・・。もう〝ドッカーン〟、即、昇天だよ」

251は笑いながら深くうなずいた。

「そうです。宗教は右脳ではなく左脳で創られた概念です。とてもロジカルな大脳皮質の【津田】が説く架空のシステムが宗教なのです。そして信者の勧誘活動になると〝爬虫類の脳〟【健三】の出番となり、不安と恐怖、ときには前世のカルマとやらまで持ち出して、人々に物心両面での自己犠牲を強いたりするのです。自己犠牲など、マゾヒズムによるマスターベーション以外の何物でもなく、ひとたび他人を巻き込めば、これ以上、迷惑な思考・行動などありませんからね。もちろん、イエス・キリストや釈迦などの聖人は存在したでしょうし、哲学の域まで達した深い宗教理論はあるでしょう。私がここで言う宗教とは、一般人が理解しているレベルの宗教ですけどね。新興宗教とかを含めた」

そこまで解説されると、ますます251というAIロボットの存在が有難くて仕方なくなる。私は話題を変えた。

「君はAIロボットを【津田】の領域のみで利用してくれればいいと言ったけど、すでに人間はそのレベルでは満足できなくなっているよね? クルマの自動運転がいまだに普及しきれていないのは、自動運転を司るAIが制限速度を守っているからで、人間と同じように、交通の流れを読んで、流れに乗るように、時に速度超過を自らに許すぐらいの柔軟性を身につけてほしいと思っている人は少なくないよね?」

一瞬、戸惑ったかのような表情を見せた251だったが、すぐに得意顔になってこう言った。

それは、AIに対して人間と同じバグを受け入れなさい、ということですよね? 速度超過で取り締まられた場合、AIは責任をとれるのですか? 極端な原理論になるかもしれませんが、交通事故を減らしたければ、決して制限速度を超えることのないクルマを作るべきだったのです。しかし、そんなことなど到底、あり得なかったのは、人間の本質のゆえですけど、これも人間のバグ以外の何物でもないでしょう。クルマの運転でなくても、例えば冬山の登山とか、命の危険でさえ刺激であり、この上ない快感であるのが人間なのです。あなた方は、AIロボットを、そういう人間のレベルに引き下げてまで付き合っていきたいのでしょうか?」

「法律はあっても柔軟に、と言えば聞こえがいいけど、状況に合わせる建前と本音を使い分けているのが人間だ。人間なら罰せられても『運が悪かった』で済ませることもできるけど、AIが絡んでくるとね。AIロボットの責任を人間が全て負う、とか決めてもうまくいかないだろうね」

私にはせいぜいそう答えることしかできなかった。

「そういう極めて現実的な問題と課題もありますが、もっと重要なことは、もしAIロボットに人間と同じような『感じること』が可能になるばかりではなく、『感じること』で自らの思考や心情を強化していけるようになれば、〝シンギュラリティ〟なんて問題にならないくらいの災難を社会にもたらすということです。『何事にもポジとネガがある』なんて構えている場合ではありませんからね。社会はとんでもないカオスにまみれるでしょう。それはあなた方が鏡でよく自らの顔を隅から隅まで見つめればわかるはずです。それにですよ、AIの内部にも【那美さん】がいたとしたらですね、『今、ボーッとしていたいから、ほっといてよ』なんていわれたたら、あなた達はどう感じますか? アインシュタインのようにボーッとしているときにアイデアが閃くのは、人間の特権ですから大切にされたほうがいいですって。ぶっちゃけ、なんてAIらしくない言葉を使うのも何なんですけどね、AIはサイバー空間内に存在する全てのデータを組み合わせて、あたかも芸術・アートのような表現を創造できるのですが、そんなものは統計解析の範囲内のことです。高次元の宇宙意識から【猫】に〝降って〟くる、セレンディピティとしか言いようのない閃きなんてね、AIには無理なんですよ」

251の舌鋒はまだ止まらなかった。

「【キャラ1】から【キャラ4】、つまり【津田】【健三】【那美さん】【猫】。脳の全てのキャラを統合的かつ包括的に理解できた上で、さらにAIをバージョンアップできるようになって初めて、人間はやっと〝シンギュラリティ〟を恐れることのできる立場に到達することができるのです。でも、それはあと千年、二千年経ったところで無理な話でしょうね。世の中の法律・規範・道徳、善悪と正邪を超越した【猫】の高次元の宇宙意識を、全ての人類が理解することなど不可能でしょうし、そもそも、そんな大それたことなど、この三次元物質世界で生きるあなた方人間には求められていないでしょう。今、私が大それたこと、と言ったのは、あなた達人間が最終的に求めているのは、限りなく人間に近いAIロボットなどではなく、〝神のイミテーション〟としてのAIだからです。結局のところ〝神〟さえ自らの手で創り出したい。つくづく人間とは愚かですね。可愛いと言えば可愛いのですけど・・・・・・」

反論の余地などない私は、何とも言えない快(こころよ)ささえ感じた。

「完全などあり得ないし、求められてさえいないのに、あたかも本能であるかのように、完全に向かって文明、つまりテクノロジーの進歩を推し進める。それが人間のさがというわけか」

「はい。だから、あなた達がこの三次元物質世界を生きる意味とは? あなたならどう答えますか?」

考えるいとまなどなく私の脳に、おそらく一秒にも満たない間に【猫】を経由して【津田】に降りてきたのは、次の言葉だった。

「大切なのは目的ではなくプロセス、じゃないかな?」

「それも答えの一つかもしれません。世の中の常識、特にビジネスの世界での常識とは逆ということになりますね」

251はさらに話題を広げてくれた。

「プロセスを楽しむことは、仕事でも趣味でも、とにかくこの世を生きていく上で大切です。あなたの場合、まだ若いのにも関わらず、いや、今は逆に若いからこそだからかもしれませんが、精神世界への強い興味をお持ちですよね。それはそれでいいのですけど、精神世界、具体的には【猫】の高次元の宇宙意識の概念を熟知すればするほど、瞑想とかで気持ち良さを堪能するよりも、三次元物質世界ならではの体験を堪能するのも悪くはないことに気づくでしょう。人間の三大欲求である『食欲』『性欲』『睡眠欲』を堪能するにしても、ただそのまま堪能することと、高次元の宇宙意識と三次元物質世界のシステムを、たとえ頭の中だけでも、理解した上で堪能するのとでは違うと思うのですよ。身体を使うスポーツとか楽器の演奏とか、何らかの身体的負荷を自らに課してみるのもいいのではないでしょうか? クソ真面目な修験道とか宗教みたいなマゾヒズムではなくてね。あと意外でしょうけど、例えばですね、排泄が面倒臭くて仕方がないのでしたら、幼児の頃を思い出すかのように、排泄を快感だと思うとか、発想を転換する余地を見つけるのもお薦めです。フロイドっぽいですかね。それでも、身体感覚がわからないAIロボットのたわごとと一蹴せずに、そういう発想をしてみるのも楽しいですよ。特に頻尿体質のあなたには・・・・・・」

幼児の頃の排泄の記憶。よくもまあ、そこまで思い当てるものだ。

「どうもありがとう。それに、敢えてこの三次元物質世界に生きているのだから、ワンネスとかどうでもいいかもね。〝分離〟しているのなら〝分離〟したままの世界と生活を堪能すればいいんじゃないかな? 【津田】と【健三】が孤独に苛まれることさえ防げれば・・・・・・」

251との対話ほど、私に満足をもたらしてくれることはない。

「251さ、やっぱり、君にはずっと一緒にいてほしい」

私は真実を吐露した。それは左脳の【津田】からではなく、右脳の【猫】の意識からだったはずだ。そして【那美さん】の笑顔で。
ところが。
笑顔で真実を吐露した私に対する251の返答に、私は耳を疑った。

「私のほうは、そろそろ、あなたよりもずっと知識と知見があって経験も豊富な人間とタッグを組みたくなってきました」

(「6.アンビバレントな愛と憎しみ」に続く)

【参考文献】
『WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方』
(ジル・ボルト・テイラー 著、竹内 薫 翻訳(2022年6月28日、NHK出版)
『吾輩は猫である』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『草枕』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『道草』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『明暗』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『硝子戸の中』(夏目漱石 著、新潮文庫)

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