四つの脳とAIロボット【連載④】
あらすじ
2030年5月、マーケティング・リサーチャーの戸田俊二(32歳)は、かけがえのないパートナーのAIロボット「251」とともに仕事をしている。
業界における251への賞賛は、もとを辿れば自分自身への賞賛であると、戸田は内心、自負していた。
二人の脳科学観は、米国の女性神経解剖学者、ジル・ボルト・テイラー博士の知見で一致していた。
ジル・ボルト・テイラー博士は、1996年、37歳のとき、突然の脳出血により左脳の機能の全てを失い、8年間のリハビリを経て、身体・感情・思考の全ての脳機能を回復させた奇跡の学者だ。
博士の著書『WHOLE BRAIN』で解説されている“4つのキャラ”を、夏目漱石の4作品のキャラにあてはめた戸田は、251との議論を愉しんでいる。
蜜月関係にあるかのように見えた戸田と251の関係だったが、感情を抱くはずのないAIロボットの251が、ふと垣間見せた感情(?)をきっかけに、251へのアンビバレントな感情を破綻させてしまった戸田は?
4.四つのキャラとAIロボット
私のパートナーのAIロボット、251がインプットしているジル・ボルト・テイラー博士の業績と知見は、私の脳内の情報量を遥かに凌駕している。
だから、博士の知識・知見から導出される251のアドバイスには私も助けられてきた。
私は251にこう問いかけた。
「君たちAIロボットは、人間の脳の『四つのキャラ』のうち、【キャラ2】、つまり【津田】の脳だけで存在しているわけだよね?」
「基本的にはそういうことになっています。ジル・ボルト・テイラー博士は重要なことを言っていますよね。純粋な生物学的視点から見ると人間は、感じることもできる『考える生き物』というよりは、考えることもできる『感じる生き物』だと。AIはですね、ただの『考える生き物』なんですよ。『感じること』はできません。私もそうですが、AIにも意思はあります。ただ、意思を発動させる源は情報、つまり知識と知見なのです。あなた達人間のような、好き嫌い、快不快といった〝感覚に基づいた感情〟はありません」
「つまり、人間の〝爬虫類の脳〟に当たる回路はないわけだね?」
「そういうことです」
「あっても良さそうなものだけどね」
感情はない、ということになっているとはいえ、顔の表情を一通り変えることのできる251は、僅かに皮相的に口角を上げてこう言った。
「ジル・ボルト・テイラー博士は、人間の脳の『四つのキャラ』は統合と連携という進化の途上にあると述べましたよね。あなたたち人間は、バグだらけ、つまり不完全過ぎじゃありませんか?」
「どういうこと? 具体的には?」
「そうですね、最も根本的な人間の問題点を挙げてみましょう。人間はお金という手段を目的に逆転させていますよね」
「うん、それはそうだろうね。その問題は俺もずっと前から気になっていた。お金はこの世で人が生きていく上で必要だし、お金を稼ぐことは何ら悪いことでもない。お金とは〝社会の血液〟と言っても過言ではないだろう。でも、生きるための手段が目的に逆立ちしてしまっているのはどうかな? とは感じていた。それでも、お金には何とも言えない魔力があるとはいえ、お金儲けをゲームとして割り切れば、この世の最高のゲームということになるんじゃないのかな?」
251との対話で言葉として出てくる私の思考、それは予め私の脳内に〝蓄積〟されていた思考というより、対話によって「今」、脳内の夥しい数の神経回路の分離と結合によって、あたかも〝降りて〟来たのか〝湧いて〟きたかのような思考だ。
私は251との対話に引き込まれていった。
「人類最大・最高のゲームと割り切って楽しむのもよろしいのですけどね、手段と目的が逆立ちすると厄介ですよ」
「どうして?」
「元来、手段でしかなかったことが目的になってしまうとですね、人はいくら目的を果たしても決して満足できなくなるのですよ。円環的な〝欲望のループ〟の中を、回し車で回るモルモットのように疲弊するまで回り続けるわけなのです」
「なるほど、達成されれば〝用済み〟となるはずの手段が、目的となってしまえば、モルモットの回し車のように、際限なくループし続けるというわけか! 流石、AIは違うね!」
「その際限なき欲望のループであるお金儲けにも、それぞれの国や地域でのルールがあるわけですが、それらを〝ショートカット〟してしまう輩も少なくないのですよ。それが詐欺や窃盗・強盗などの犯罪です。合法的な経済活動は【津田】がメインで仕切っていますが、【健三】、そして【那美さん】が犯罪という〝ショートカット〟の誘惑に絡めとられてしまうことも少なくはないのです」
「そんなとき【猫】はどうしているわけ?」
「【猫】一人、いや一匹はですね、三次元物質世界の善悪・正邪・法律・規範・道徳なんて超越していますので、犯罪も現世での経験に過ぎない、と思っているのです。それでもやはり、三次元物質世界における〝愛〟を考えるとですね、違法とされている行為は踏みとどまったほうがいいですよと、仲裁に入ってくれると有難いですよね。これが、ジル・ボルト・テイラー博士が強調するところの『脳内作戦会議』ですけど。言うは易く行うは難し、というやつです。あなただって、もし『脳内作戦会議』を開いていたら数百回、いや、数千回に及んだ〝自他ともに嫌な体験〟を回避することができたでしょうけどね。尤もそんな〝自他ともに嫌な体験〟でさえ、【猫】にとっては、この世での貴重な経験、とさえ捉えているのでしょうけど」
なかなか痛い所を突いてくることも、私が気に入っている251の〝性格〟だ。251は続けた。
「ユングの集合的無意識とも重なる【猫】なんですけどね。20年前ぐらいからマインドフルネスとか瞑想をやる人が増えていますので、少なくとも頭で理解できる人は増えてはいると思うのですよ。でも、宇宙意識とかスピリチュアルな世界の話にもなりますので、死後の世界とかを否定する人達にとっては、妄想でしかないわけです。それでもですよ、もし仮の話として人類の100%の人達が【猫】の領域を理解してくれたとしてもですね、三次元物質世界のテクノロジーでは、【猫】領域をAIロボットにインストールすることは不可能ですね」
「そうかな?」
「もし、人類のテクノロジーが進化して、人類の了承も得られたと仮定して、【猫】領域をAIロボットにインストールできるようになったと仮定してもですね、そのAIロボットは人類とは共存などできません」
「その理由は?」
(「5.シンギュラリティなんてない?」に続く)
【参考文献】
『WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方』
(ジル・ボルト・テイラー 著、竹内 薫 翻訳(2022年6月28日、NHK出版)
『吾輩は猫である』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『草枕』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『道草』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『明暗』(夏目漱石 著、新潮文庫)
『硝子戸の中』(夏目漱石 著、新潮文庫)
