【読書】政策の哲学 その2
出版情報
タイトル:政策の哲学
著者:中野 剛志
出版社 : 集英社
発売日 : 2025/1/24
単行本 : 352ページ
本記事は一連の『政策の哲学』紹介記事のうち、その2である。
【読書】政策の哲学 その1:主流派経済学は科学ではない
【読書】政策の哲学 その2:ロイ・バスカーの科学哲学
【読書】政策の哲学 その3:国家とは何か、政策とは何か
【読書】政策の哲学 その4:ポランニーの科学哲学を加味して
【読書】政策の哲学 その5:複雑系の世界
【読書】政策の哲学 その6:政治とは何か
官僚も感じている行き詰まり感
著者 中野剛志は現役の経産官僚で評論家だ。
元々多作な著述家であるが、昨年から今年にかけて多分、彼にとっても重要な著書を2冊著した。一冊が『入門シュンペーター』であり、もう一冊が本書『政策の哲学』だ。『入門シュンペーター』に関してはすでに紹介記事を書いた。
そして、この本も、Amazonでいまだに政治学や経済学入門の分野で10位以内に入っているベストセラーなのだ(2025.05.16現在)。
中野は有名なMMT論者だ。MMTに関する本を何冊も上梓している。その中野が現役官僚であって、主流派経済学による財政均衡論でがんじがらめだとしたら…。
本書は主流派経済学は科学ではない、と論破し、ではそれに変わる政策の哲学とはどういうものか、を論じた本である。
もちろん本書は優れた公共政策に関する哲学の書なのだけど、同時に、なんだかさまざまな科学とも呼べない擬似科学や、ルールや審議会の決定に縛られて、身動きの取れない、つまらない仕事しかさせてもらえない、優秀な官僚の嘆き節というか恨み節が聞こえてきませんかね?(耳の悪い私の空耳か…💦)
優秀な官僚は転んでもタダでは起きない。
本書は決して読みやすい本ではないが、難しすぎてどうにも、こうにも、という本でもない。
特に官僚を目指す若い人や、社会科学に興味のある人などにはぜひ読んでもらいたい(…と老婆心…💦)。
本記事はそう長くないが、ネタバレを好まない人は目次を貼るのでご希望の場所に飛んでください。よろしくお願いします。
バスカーの科学哲学
本書の第二章はロイ・バスカーの科学哲学に関する、特に自然科学に関する部分を、第三章は、社会科学に関する部分を論じている。それは批判的実在論とか超越的実在論とか言われるもので、社会科学を志す人々の間で、ある種の盛り上がりを見せているらしいp6。
中野の論は、下記の通り。
「科学」というものを最大限に広く解釈して、「(自然や社会)といった実在(reality)についての知識」として理解する…現実(reality)についての知識を何ら持たなければ、国家政策の実行はおろか、日常生活を営むのも不可能だから…正しいか間違っているか、厳密か素朴か…は別にして、いかなる国家政策も広義の科学に基づいていると言わなければならない。
つまり、国家政策を行うにあたって現実についての何からの知識が必要で、この現実についての何らかの知識を科学といってみよう、と提案しているのである。そして本書を通じて、それが科学という名に相応しいかどうか、吟味しよう、その上で政策の哲学を考えようというわけである。
現実(reality)について、ロイ・バスカーの科学哲学では実在(reality)と呼ぶ。
「実在についての知識」は、「実在」についての理論と「知識」についての理論に支えられるp4。実在についての理論を「存在論哲学」と言い、知識についての理論を「認識論哲学」という。
以降、こうした用語を軸にして、中野は政策の哲学を展開していく。
超越的実在論:バスカーの自然科学に関する哲学
政策の基礎となる社会科学とは何かを問う前に、一般に確立した科学として認められている自然科学について、バスカーは何をどういっているのか、見ていこう。
バスカーの自然科学に関する実在論は、超越的実在論と呼ばれている。バスカーは自然科学について次のように論じたp58。
科学とは、「物についての知識」である。知識とは、人間が生み出した物であり、科学者たちによる探究というある種の社会的な活動を通じて生産された物である。その意味において、科学は、人間の活動に依存する物であると言える。…
科学には社会的な活動によって生み出された「知識」という次元と、科学的知識から独立した物体や運動といった「実在(reality)」という次元の両方がなければならない。いずれか一方を欠いても、科学は成り立ち得ない。これがバスカーの科学哲学、「超越論的実在論」である。
つまり、
科学には、二つの側面がある。人間の活動に依存する「他動的(transitive)」な側面と、人間の活動から独立して存在する「自動的(intransitive)」な側面である。
ここから次のような問いが発せられる。
人間の活動から独立した自動的な世界がなくても、科学は成立し得るのであろうか。
この問いに対する答えは否なのであるが、この問いに対する答えを否とすると同時に、それまでの科学哲学をも科学哲学たり得ないということで、論破していく(そこにはヒュームの経験論やカントの観念論、実証主義も含まれる)。
そして
知識の対象は現象を生成する構造やメカニズムである。そして知識は科学という社会的活動から生み出される。
と再度、科学の探究対象は人間の活動や主観からは独立した「自動的」な物であることを確認するのである。

いくつか重要な概念があるので(とはいえごく常識的で直感的に理解しやすい)紹介する。
開放系閉鎖系
階層構造
階層と創発
遡及的、溯源的
可謬主義と客観的真理
開放系閉鎖系
自然科学には実験がつきものだ。中野によると、そして、たぶんバスカーによると、それは、開放系の実際の社会や自然現象の中では因果関係がはっきりと分かりづらい。因果関係が明確にわかるように閉鎖系を人工的に作り出し、それが実験なのである、とp65。
社会現象では実験はできない(もちろん心理学など限定的な学問に対しての実験はあり得るが)。社会科学においては、開放系を開放系のまま扱う技術が必要になる。それは因果関係の厳密な連鎖というよりも「傾向(tendencies)」として分析されることになるp70。
現実世界の階層構造
バスカーの紹介で必ず出てくる階層構造がある。それが、下記のような三層構造だ。

経験の領域:人間が経験的に把握できる事象の世界
実際の領域:人間が経験していなくとも実際に起きている事象の世界
実在の領域:その事象を引き起こし得る生成メカニズムが存在する領域
人間は結局経験の領域を通して、実存の領域にある事象の生成メカニズムを推測することしかできない。道具が精緻になるにつれ、実際の領域から経験の領域へと私たちの経験や体験が積み重なり広がって、事象=データが集まり、実存の領域への推測も精緻になっていく(さまざまな理論構築やモデル化など)。
生成メカニズムの階層と創発
バスカーは、事象の生成メカニズム=実存は複数存在するだけでなく、階層構造を構成しており、序列をなすというp72。例えば人間。人間は生命体であり、生命体は物資から構成される。「人間、生命体、物質という序列になっている」のであるp73。
創発とは、wikiによれば「部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること」。先の人間の例でいえば、物質が集まって生命体になるとは、物質から生命体、あるいは生命現象が創発された、といえるだろう。また人間はそうした生命現象がより集まって「人間」あるいは「心」あるいは「社会」というものが創発された、ということもできる。
創発は自然科学の分野にももちろん普通にある性質であるが、特に社会科学を考える上で非常に重要な概念である。
…というのも、社会科学が分析の対象とする「社会」は、個人に依存して存在するものでありながら個人には還元できない自律的なもの、すなわち創発したものであると考えられるからである。
遡及的、溯源的
バスカーは科学の方法論について、純粋科学における手順(遡及的)と、応用科学における手順(溯源的)を分けて提唱しているp76-p77。
純粋科学における手順(遡及的)
(1) 法則的なふるまいの「描写」
(2) 既知の現象をアナロジーとして、ふるまいの説明で可能なものを探求する「遡及」
(3) 他の説明を吟味し、絞り込む「精査」
(4) 経験的に操作された因果メカニズムの「同定」
応用科学における手順(溯源的)
(1) 複雑な事象を諸要素に「分解」
(2) それらの諸要素を理論的な用語によって「再記述」
(3) 独立に妥当性が確認された規範的言明を通じて、再記述された諸要素から、それらを生み出した原因へと「溯源」
(4) 説明を一つに絞り込むため、代替となる説明を「消去」
応用科学における手順から説明すると、「独立に妥当性が確認された規範的言明」とは先行する純粋科学の理論や概念を意味し、再記述された現象に対して先行する理論を適用して、その因果関係を特定する操作のことを「溯源」という。
純粋科学における手順は、「何らかの現象を記述することから、その現象を生み出すもの、あるいはその現象の条件を記述することへと移動する」ような推論(遡及)を含んでいる。「鶏が先か、卵が先か」という無限に続く議論ではなく、「鶏という存在が可能になる条件は何か」と問うのが遡及だというp78。「この遡及によって、分析の対象は、特定の鶏あるいは卵に関する特定の先行条件ではなく、より広く鶏の生存を可能とする世界の構造となる」のだそうだp78。
可謬主義と客観的真理
可謬主義とは「間違い」を許容することである。バスカーの科学哲学は人間が間違えることを認めている。そして、「知識」に依存しない「実在」の階層があるとも考えている。つまりバスカーの科学哲学は「客観的な真理」があることもまた認めているのであるp79。
自らの理論が間違いうることを前提とする可謬主義の科学者には、自説に対する批判を受け入れ、修正する用意がある。可謬主義は批判を通じて科学を進歩させる上で不可欠な姿勢なのである。
つまりバスカーの科学哲学は、間違いを犯しうる人間が、「客観的な真理」に到達するために、お互いに切磋琢磨しあうことを認めているわけだ。
実証主義は「知覚されたデータによって妥当とされた」以上、その理論は確実なものであると確定され、批判する余地のないものとみなされうる点で、科学の進歩を否定する可能性があると中野は警鐘を鳴らしているp80。
批判的実在論:バスカーの社会科学に関する哲学
さて、いよいよバスカーの社会科学に関する哲学を見ていくことにしよう。
バスカーは社会科学にとって核となる問いを立てる。
自然科学のように、社会を探求する社会科学なるものはあり得るのか。
結論から言ってしまえば、バスカーはあり得るという答えを得ている。では、社会科学が成り立つような社会は、どんな社会なのか?
それは、対象となる社会構造が、社会構造を探求したり、社会構造に働きかける個々の人間から、自律的であることだp90。「バスカーは、社会における意味や信念にも自動的な次元が存在すると主張する。そのような主張を「批判的自然主義」と呼ぶ」のだそうだp90。
超越的実在論(自然科学に対する実在論)で、知識は人間の営みであり、自然の事象を生成するメカニズムは別に存在することと、相似系になっている。
従来の考え方
社会科学には、一方に個人論の伝統があり、もう一方には集合論の伝統があり、両者の間で論争が繰り広げられてきたp94。
個人論というのは、「社会的原子論」あるいは「方法論的個人論」と呼ばれる立場でありp91、「社会現象や社会制度を個人の意思決定の結果として説明しようとするものであり、社会において個人以外の存在を認めないという立場である」p91。なんか極端だなぁ。あれれれ?これって主流派経済学の「自己利益を最大化するように計算して行動する合理的個人の観点から経済現象を説明する」立場そのものじゃない??そう、主流派経済学は方法論的個人論の典型なのだそうだp91。
ではもう一方の集合論は?「集合論は社会を個人の外部に「物」として存在するものとみなし(これを「物象化」という)、個人の行動から社会を説明するのではなく、その反対に社会から個人の行動を説明する」立場である。
個人論と集合論の止揚
バスカーの社会科学に関する哲学=批判的実在論は、個人論と集合論のどちらかをよしとするのではなく、生かせる部分を統合したものとなっている。
社会には個人を拘束する構造が存在している。だが、社会を形成し、維持しているのは、あくまでも、その社会に所属している人間たちの活動である。社会は個人とは別に存在してはいるのだが、同時に人間の活動に依存して存在しているのである。
したがって、社会は個人の行動を制約するが、個人の行動を完全に決定するものではないし、人間が協力して社会を変革することは不可能ではない。社会は物象ではないが実在するのである。
構造と行為主体
社会科学の、方法論的個人論と方法論的集合論の問題は、「行為主体」と「構造」という存在論上の問題と深く結びついているp106。
方法論的個人論は、行為主体の意図や行動が社会の構造を形成しているという前提を置いた上で、行為主体の意図や行動の意味の解釈を通じて、社会の構造を説明しようとする。反対に方法論的集合論は、社会の構造が行為主体の意図や行動を決定していると考えた上で、構造から行為主体の意図や行動を説明しようとする。
上記からは方法論的個人論も方法論的集合論も、何だか真実の半分しか述べていないなぁ、という印象を拭えない。では、どう半分なの??
そこで、創発という概念が重要になる。
社会における創発
…ある階層における実態は、より低次の階層における複数の実態の統合から創発しているのである。実態は、全体として、その中にいくつもの異なる階層を有していて、それぞれの階層が「部分」となっているが、部分もまた、その内部に、より提示の階層にある部分を持っているという入れ子の構造が延々と続いている…
そして、それぞれの階層における実体はより低次の階層から創発しているが、還元することはできない固有の因果力を有しているという意味において相対的に「自律的」である。
この「創発」と「構造」の「自立性」の概念を踏まえることで、「構造(全体)」と「行為主体(部分)」とは密接不可分でありながら、いずれかをいずれかに還元できないという意味において、なお別個の実在であると理解することができる。構造と行為主体は別の階層に属していて、それぞれ固有の性質や因果力を有しているのである。
つまり、何を言っているかというと…
社会科学は、人間という個々の人々が形作る社会を対象にした学問であるが、社会の動静は社会を構成している人々の行動や意思にのみ還元できるものではない。一方で、社会にはさまざまな構造がありうるが、それは物象のように固定的なものではなく、人々が日々の営みの中で維持し、変化を続けている。社会を形成する各種の構造は、人々の行動や意思からは自律的であるが(創発によって個々人の集合とは別の性質が現れる)、まったく変革できないものではない。
社会を形成する各種の構造は、人々の行動や意思からは自律的であるという点で、社会科学が科学たりうるのである。
そのほか、この章ではルーカスによるケインズ経済学批判p96やミクロ経済学とマクロ経済学p114など、経済学について重要な議論をしている。ご興味のある人は直接本書に当たってほしい。
今後の予定…
次回は国家について、政策についての章を取り上げる予定である。
引用内、引用外に関わらず、太字、並字の区別は、本稿作者がつけました。
文中数字については、引用内、引用外に関わらず、漢数字、ローマ数字は、その時々で読みやすいと判断した方を本稿作者の判断で使用しています。
また、文言の間違い、表現のわかりやすさなど、随時訂正しています。ご了承ください
おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために
ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。
中野剛志の著作
MMT関係
その他:中野剛志の著作
著述家として、そして現役官僚として「よくこれだけ書く暇があるな」と思わせるほど、中野剛志は多産だ。その中で、心に引っかかったものをピックアップ。
買ったけど読めていない。分厚さに躊躇している。
これは読んでみたい。
現役官僚が自国政府の政策を堂々と批判できる。そういう言論の自由を今後も担保したいものだ。
インタビュー記事
著者が語る:動画
ミルトン・フリードマン
悪名高きシカゴボーイズと彼らによってめちゃくちゃにされたアルゼンチン経済。
ロイ・バスカーの著作
別の著者によるバスカーの科学哲学の入門書
番外:バスカーという名のアイリッシュウイスキー
Amazonで検索すると、バスカーで一番最初に出てくるのはアイリッシュウイスキーだ。なんか評判良いらしい。飲んでみようかな?
普通にイオンやドンキにあるそうだ。
赤が特に華やかで美味しいというウワサ…。
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