noteオフ会!氷室神社と不空院~東大寺とその近傍をめぐる⑤
5月9日のこの日、どこをどう回るのか何も決めずに、noteでのお友達と10時に東大寺で待ち合わせしていました。
どなたなのかは後ほどお伝えます(笑)
近鉄奈良駅から県道754号線沿いを東へ東大寺を目指して歩いていると、奈良国立博物館の長蛇の列に気付き、思わず立ち止まって見入ってしまいました。
「超 国宝―祈りのかがやき―」が絶賛開催中なので、とんでもなく人が集まっているようです。
この日は午後から雨予報なので、あまりひどい降り方なら、ここに入るのもありかなと思っていたのですが、それはあまりにも甘い考えだったことを思い知らされました。
前期・法隆寺「百済観音」、後期・中宮寺「菩薩半跏像」という目玉を立てていますが、たまたま昨年、法隆寺とその周辺を深掘りしたので、どちらもしっかり鑑賞済みなので、諦めはつきます。
それにしても、この人気には驚きます。
私にはあの列に加わる勇気など微塵もありません。

「氷の神」を祀る氷室神社

待ち合わせ時間より30分早く行ったのは、東大寺のすぐ西隣にある「氷室神社」へ寄ろうと思ったからです。

氷の神様を祀る
創建は和銅3年、西暦では710年。
元明天皇が藤原京から平城京へ遷都した年で、奈良時代の始まった年です.。
氷室とは、氷や雪を貯蔵するための貯蔵庫で、古代から世界各地で存在した施設の一つでした。
その名の通り氷室神社は氷の神様として知られています。
日本では、氷は夏の暑さをしのぐ手段や食料保存のために欠かせないものであり、皇室への献上品としても重要視され、いかに保管するかが非常に重要でした。
冬場に池で作られた氷は、「氷室」という穴を掘って造った室に収めて保管されていましたが、神社の近くでは今でも氷室の跡である大きな窪みを見ることができます。
え?窪み??どこにあったんやろ??
これはまた次回への繰り越し案件です。
このあたりは古代、「闘鶏の国」と呼ばれて、皇族の狩猟地でもあり、氷を夏場に朝廷へ献上することに加えて、皇室に深い関わりがある場所でした。
おみくじも「氷みくじ」で、こだわりを感じます。
京都の下賀茂神社は小川に、貴船神社は水鉢に浮かべて占う「水みくじ」でしたが、こちらはやはり「氷」です。
おみくじ一つとってもそれぞれ筋が通っています(笑)

平城七朝
奈良時代、平城京で行われた氷室の祭りのこと。
平城の新都に氷池や氷室が造られ、守護神を祀り、夏の天候などを占うなどの祭紀が始まりとされています。
今でも毎年5月1日には全国の製氷業者が参列する献氷祭が行われているそうです。
いやここだけでなくGWにこのあたりの神社仏閣で軒並み様々な催しがありましたが、普段の平日でさえ混雑しているのに、とても訪問する気にはなりませんでした。
過去にGWに出かけては後悔の連続でしたから💦
幕末の狛犬たち

狛犬も見るからに年季が入っていますが、意外にも幕末安政年間のものでした。

この年、ハリスが当時の13代将軍・家定と会見し日米和親条約(1854)おまけ的な追加条約の「下田協約」が結ばれました。
まさしく「大政奉還」が10年後に迫っている激動の最中でした。
そんな歴史を見続けた狛犬たちなのだと思うと感慨深くなりました。
御朱印に火打石?
さて、御朱印ですが、頂くときに火打石を打ってお祓いをしてくれるのには驚きました。
とても有難い所作ではありますが、これもまた外人ウケする演出ではあります。
私の感覚では、「火打石」は商売などの縁起担ぎだという認識でしたが、こういう風にも使うのですね。


ちょっと小学生のお習字にも見えなくもない💦
南都春日山 不空院

初対面を感じない初対面
いよいよ約束の10時が迫ってきたので、急ぎ待ち合わせ場所へと向かいました。
相変わらず鹿と観光客が入り乱れての混雑の中、その間をすり抜けて脇目もふらず向かいました。
到着してすぐに、私から見ると後ろ向きにベンチに座る雰囲気のあるステキな女性を発見しましたが、いきなり声をかける前に確認しようとスマホを開けると、すでにメッセージが入っていました。
ーベンチにいますー
これで確信を得た私は、その方の横から「つきふねさんですか?」と声をかけました。
即「はい」と答えられて軽く頭を下げて下さった姿はアイコンとよく似ています。
行き先もスムーズに決定!
実はこの日に行きたいなと思うところがありました。
しかし、つきふねさんにもし、おススメのところがあればそこに行きたい。
でも彼女は「どうしましょうか?」と言うので、すかさず私は提案したのです。
「不空院はどうでしょう?たしか秘仏公開されていますよ。」
マップでその位置を確認すると、つきふねさんは即座に位置を把握し、
「新薬師寺の近くですね。」と言うではありませんか!
いや私は東大寺から南へ徒歩で20分だとしか思わなかったのですが、言われてみれば、その手前にある寺院です。
どのルートで行くか、ほんの少しの間、思案したかと思うとすぐに
「ではこちらから行きましょう。」
さすがです。
いつも東大寺を散策されているだけあって、まるで我が家の庭のように熟知されているのがよくわかりました。
いつも思うのですが、Webで知り合ったお友達に前置きは要りません。
趣味や考え方性格的なことまで、日頃の投稿内容からお互いにインプットされているので、とにかく話が早い。
長い前置きなど一切不要で、いきなり本題に入れるところが何よりも大きな利点です。
マニアックな話に花を咲かせていると、約1.5Kの20分の道のりもあっと言う間でした。

入るなり、歓迎ムードが満載で、すぐに館内の解説案内をしてくださいました。
すごく丁寧な長い解説だったので、全ては憶えてはいませんがポイントをまとめると、
・鑑真和上と弘法大師空海の滞在跡地
・戦乱や地震、明治の明治の廃仏毀釈で荒廃
・復興は橿原・久米寺の三谷弘厳和尚
・女人救済の寺
ご本尊は南都三大不空羂索観音のひとつ
「不空羂索観音」とは以前にも触れましたが「六観音」のうちのひとつで、見た目は「八臂三つ目」、羂索するための縄を持つ観音様です。

東大寺「法華堂」の立像、興福寺「南円堂」の坐像とともに、「三不空羂索観音」に数えらています。
印相は合掌、持ち物は蓮の花、錫杖、払子、そして羂索は縄ではなく網。
より多く人を救えるようにと網なのだそうです。
鎌倉仏らしく、やや頭でっかちですがふっくらした頬があどけなさを感じ、親しみやすい温かみが表れています。
手に持つ蓮の花が開いているのは、まさしく悟りを開いた瞬間で、限りなく「如来」に近い存在の菩薩さまである証だとの事でした。
なにより面白かったのはこのご本尊の下の両脇に白鹿が2匹控えていて、まるで神社の門前の狛犬のようにご本尊を護っていました。

秘仏・宇賀弁財天女
この寺院のもうひとつの目玉の「宇賀弁財天女」を見るために本堂の裏側にある「鎮守堂」へと移動しました。
ただ裏側へ移動するだけなのですが、随所に小さな見どころがあります。

花はアヤメ?と思ってGoogle先生に聞いてみると「イチハツ」というアヤメ科の多年草だそうです。
しっとりとした詫び寂びの庭には良く似合い、粋な風情があります。
そんな演出に気を取られて進むと、奥まったというより隅っこに追いやられた物置小屋のようなお堂がかわいそうなぐらい縮こまって建っていました。

小さなお堂の奥にこれまた小さな宇賀弁財天女で大きさは高さは30cmほどでょうか。
紅を差してはいますがお爺さんにも見えなくもない、性別不明な雰囲気です。
観光リーフレットによると、
豊穣福徳の宇賀神と才智を司る弁財天が習合した日本独自の形で、頭上には「頭は老人で体は蛇」の宇賀神を乗せた八臂で持ち物は輪宝や弓、宝珠などを持ちますが、注目すべきは「鍵」です。
その鍵は人生でどうしても解決しない、あるいは足りない物事へとたどり着ける部屋のものだとの事です。
心にシコリのような悩みを長年抱えている人は、ぜひとも心してお参りして下さい。
この内陣は絵天井になっていて、華やかな花の絵が美しかったのですが写真を撮れなかったのが残念です。
明日香村の橘寺と比べると迫力に欠けますが、まだ真新しいその絵はとても見応えはありました。



お揃いの御朱印帳
ここでふたつとして同じものがない「奈良晒」の御朱印帳を買いました。
しかも不空院オリジナルのもので、春と秋の特別拝観期しか一般拝観は出来ない寺院なだけに、かなり希少です。

最初はつきふねさんが買おうとして、土台の布目や手描きの花の絵など手作りのなのでどれにしようか迷っている間に、私もこの素朴さに惹かれて買ってしまいました。
私の花は「エンドウ」です。
つきふねさんは結局なんでしたっけ??
もう忘れてしまいましたが、とにかく花違いのお揃いのものをゲットしました。
noteオフ会紀行、まだまだ続きます!
【東大寺とその近傍をめぐる】
①冬の「浄瑠璃寺」
②下見の春日大社
③今期初!東大寺散策「南大門と大仏殿」
④今期初!東大寺散策「西伽藍と東伽藍」
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