今期初!東大寺散策「西伽藍と東伽藍」~東大寺とその近傍をめぐる④
前回はこちらです
東大寺の敷地は広大で、大仏殿を中心に西エリアと東エリアに分かれています。
東には標高342mの若草山があり、その斜面のふもとに位置しているため、境内全体には坂や階段が多い。
下図の境内図の右側に向けて登りになり、歩いているだけで結構な運動になります。

それらの中でも今回は特に西伽藍のうちの戒壇院「戒壇堂」、そして東伽藍の中の「法華堂(三月堂)」を拝観しました。
※本記事では、便宜上「西伽藍」「東伽藍」としています。
西伽藍は静謐だった

映え写真のためにはるばる来た?!
大仏殿を出て西へ進むと、先ほどまでの雑踏が嘘のように閑散とした空間が広がっていました。
外国人には興味のないエリアなのが一目でわかります。
まさしく「静謐」という言葉が良く似合い、二人ともここの空気感が大のお気に入りになりました。

遊歩道の左右にはなだらかな起伏を帯びた芝生が続き、その先は木々が囲んで数々の伽藍が遠くに見えます。
そよぐ風に鳥は囀り、その気持ち良さを思いっきり堪能しながら歩いてゆくと、前方にどうやら中国人のローリー系ファッションに身を包んだ女子軍団が、SNS向けの映え写真を撮ることに夢中になっていました。
この清浄感いっぱいの場所には場違いであり、ヒラヒラ衣装を着て写真を撮るために、はるばる日本まで来たのかと思うと、おばちゃんたちは呆れるしかありません。
彼女たちにとっては大事なことなのかもしれませんが、伽藍の写る角度を避けて撮っていたので、なぜわざわざここで撮るのか意味が解りません。
奥行きのある良いアングルだったので、しばらくは早く去らないかと待っていましたが、何度も撮り直しするので、しびれを切らせてペコちゃんとのツーショットを彼女たちの真横で撮りました。
普通なら空気を読んでフレームアウトしてくれるのに、
まったく気付く気配もなかった💦
消しゴムマジックは便利ですね~。
若干不自然ではありますが、なんとか消すことができました。
念願の国宝・戒壇堂の四天王像
戒壇堂で何が見たかったかというと、なんといってもここにある国宝・四天王像です。
もちろん撮影禁止なので、文章でお伝えすると、堂内はほぼ須弥壇が占め、それが内陣と外陣とに区別されて拝観者はコの字型の外陣を周回しながらじっくり見学できます。

四天王は内陣の四隅に配置されているので、近くでじっくり観察できるのです。
今まで写真でしか観た事がなかったので、まるで生きているような表情と身のこなしに感激してしまい、中央の「多宝塔」と「多宝如来」「釈迦如来」がまったく視界に入らなかったほどです。
次回はちゃんと観ようと思います(笑)
仏像史における屈指の名作
両端の「増長天」と「持国天」は目を剝いて、激しい怒りの表情ですが、真ん中の2体「広目天」と「多聞天」は遠くを見つめるように眉をしかめて静かな怒りの表情です。
途中で止まっている私の「仏像を知ると寺院めぐりが楽しくなる」シリーズで、後日また詳細は触れるつもりですが「四天王」の基本的な持ち物は以下の通りです。
・持国天ー刀・宝剣
・増長天ー戟(先端に横刃付の鉾)・剣
・広目天ー筆・巻物
・多聞天ー宝塔・宝棒
特に私の推しは「広目天」。
持ち物も筆と巻物なので、いかにも知的さを感じ、動きも表情も静かなだけに、怒りを内に秘めて”真の怖さ”も感じます。
彼が戒壇堂のリーフレットの表紙を飾っているのも納得です。
これらは奈良時代に制作された粘土性の塑像で、建物自体は3度も焼失に遭っていますが、これらは1200年もの間、ちゃんと護られてきました。
それを思うと当時の僧侶たちの決死の努力がひしひしと伝わってきますね。
東大寺の西端の小さなお堂に安置され、ご本尊の「廬舎那仏」のような派手さはありませんが、戒壇堂・四天王像は日本の仏像史においても屈指の天平美術の傑作と評されています。
鑑真が最初に伝えた授戒の場
この戒壇堂はかの有名な中国の高僧・鑑真が日本に来て最初に戒律を伝えた場所でした。
そういえば彼はいきなり西ノ京の「唐招提寺」を建立したのではなく、先にこの東大寺で戒壇を築いたことを思い出しました。
当時の日本には正式な僧になるための規則も免許もなく、またそれを授ける事ができる者もいませんでした。
そもそも鑑真を招いたのは、僧が遵守すべき戒律「具足戒」の伝授と授ける「授戒」という正式な儀式を指導してもらうためでした。
その儀式の場を「戒壇」といい、その役割を担うのがここ戒壇堂なのです。
最初に授戒したのは聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇をはじめとする約440人でした。

創建以前の歴史を持つ東伽藍エリア

西伽藍から南へ下り、そのまま再度中門を東へと進み、そのまま回り込んで東伽藍へと向かいました。
登り坂や階段があって結構きつい。

まず出迎えてくれたのは「鐘楼」で、これもまた13世紀鎌倉時代のもので、立派な国宝です。

寺内最古の法華堂(三月堂)
法華堂は創建当時、ご本尊が「不空羂索観音」なので「羂索堂」と呼ばれていました。
現在、三月堂とも呼ばれている理由はここで毎年3月に「法華会」という法要が行われたことから、法華堂と通称が付きました。
H.Pによると現在では毎月17日に執り行われているそうです。
(もはや三月とは関係ない💦)
奈良時代・天平5年(733)の創建で、745年創建の東大寺よりも古く、かつてここには聖武天皇の早世した皇太子を弔うための「金鐘寺」があり、その伽藍のひとつだったらしいです。
やがて「廬舎那仏」や「大仏殿」が建立されると、総称して「東大寺」と名を改められました。
注目すべきは、創建当時の奈良時代と増築した鎌倉時代とが融合された外観です。
西側の屋根の重なりを見れば、2つの時代の建築様式が上手く繋がっているのがよくわかります。

圧巻!9体の国宝仏像群
先ほどの西伽藍より、こちらの方が全体的に人が多く、そのほぼ全ては外国人です。
しかし、お堂の中はほぼ貸し切り状態で、急に静寂に包まれるのです。
だからか須弥壇に立ち並ぶ9体の仏像群の迫力に気圧され、おもわず「うわっ!」とのけ反ってしまいました。
先ほどの「戒壇堂」より大きな仏像なので、かなりの迫力を感じます。
これらは全て脱活乾漆造という粘土の原型に麻布を巻いて漆で固め、原形の粘土を取り出して中を空にして、漆や彩色を施したもので、超軽いため持ち運びに便利な反面、火が点いたらあっという間に消えて無くなるという弱点もあります。
しかしこれら全ては奈良時代・8世紀の作なのを思うと、これもまた今日まで守り抜いた努力は賞賛に値し、感動せずにはいられません。
秘仏・執金剛神像
先ほど9体と書きましたが、実はもう1体仏像がいます。
おそらくご本尊の「不空羂索観音」の後ろにあった大きな厨子の中だと思われますが、こちらは秘仏中の秘仏の執金剛神像で、年に1回だけしか開扉されないとの事で、絶対に来なければならないと密かに誓った私でした。

初回の密かなミッション
見どころがたくさんある東大寺なので、来るたびに自分なりのテーマを決めて臨みたいと思っています。
初日のこの日は「四天王を見比べる」というミッションを自分に課しました。
なぜかと言うと、事前に雑誌の写真で確認したところ、「戒壇堂」と「法華堂」の「四天王」は同じではないかという疑惑があったからです。
あるいは同じ人物がモデルかと思うほどとてもよく似ているので、実際に見て確かめようと思っていたのです。
それぞれの四天王の違いを探せ!
そのミッションをペコちゃんにも伝えて、しっかり二人で観てみました。
向きの違いはあるのですが、やはり体つきや顔つきなどを丹念に見ると、やはり同じにしか見えません。
ただし戒壇堂は160~170㎝なのに対して法華堂のものは300㎝ほどもあり、像高の違いは明らかですが、戒壇堂の四天王をそのまま拡大コピーしたものが法華堂に安置されている感じがしました。
同じ仏師の手によるものだからかと予想して、ざっくり検索して調べてみると、作者は特定できず不明だったので、ガッカリです。
わかっている事は戒壇堂の四天王は、鑑真が唐からもってきたとされる唐の仏像だということです。
もしかしたら法華堂のものは、戒壇堂のものを日本人の仏師が真似て作ったのでしょうか?
作者も作られた場所も記録に残っていないので、具体的なことは何もわからないのですが、だとしたら、真似るより違った個性のものを作ってほしかったと、個人的には思ってしまいました。
この真相はまた後日、わかる日が来るかもしれません。
威風堂々と佇む二月堂
「二月堂」を下から見上げると、その堂々とした姿にいつもドキっとします。
上から見る景色も素晴らしく、この東伽藍エリアの一番のスター的シンボルと言えるでしょう。
こちらのご本尊は絶対秘仏の大観音と小観音という、2体の十一面観音菩薩立像です。
このご本尊は、こちらの僧侶でさえも観た事がなく、いっさい人の目に触れる事はありません。

手水舎に良弁僧正物語
二月堂には立派な手水舎があります。
屋根が格調高い「唐破風造り」の上、細やかな彫刻がされているため、一層の風格を感じてしまいます。

どうしても下の龍がまとわりつく大甕に目を奪われがちですが、ここでペコちゃんが、
「上にあるやつ、さっきの話ちゃうん?」
と言いながら上の欄間を指すのです。
実は歩きながら、東大寺・初代別当、良弁僧正の逸話をペコちゃんに話して聞かせていたので、4面の欄間彫刻に閃くものがあったようです。
そのお話は過去に記事にしています。
要約すると、
2歳の時に大鷲にさらわれた良弁でしたが、二月堂前の大杉に引っかかっているのを助けられ、優秀な僧侶に成長し30年が経過し、東大寺初代別当となる。
一方、母親は攫われた我が子を探し続け、心身ともにボロボロになった状態でここに辿り着き、親子は再会を果たした。
ペコちゃんに言われて、改めて4面を順にみてみると、確かに紙芝居のようにストーリーが描かれて展開しています。

④のシーンは表には配電盤が張り付いていて、まったく見えず、裏面しか見えませんでしたが、私が勝手に予想しました。
こんなところにさりげなく歴史を表現するとは、なかなかシブイです。
さて、二月堂と言えば、やはり通称「お水取り」と言われる「修二会」が有名ですね。
私もレキジョークルメンバーと6年前に行きましたが、その荘厳で華やかな仏事に魅了されてしまいました。
(新薬師寺→春日の森→修二会:計3分25秒)

手向山八幡宮
東大寺境内内にある手向山八幡宮。

奈良市観光協会によると、東大寺大仏建立のため、九州豊前国(大分県)の宇佐八幡宮より迎えた神様が祀られているそうです。
東大寺守譲神として、ずっとその役割を担い続けているのですね。
今後またこの神社に触れる事もあると思いますが、狛犬だけはここに載せておきます。



ほんのり酒味のミルキーという感じ

最後におまけ
すでに14時をまわろうとしていたので、遅い昼食を摂ろうとかねてから目を付けていたところを回ってみたが、どこもすでにclosed!
うそやろ~!
理由としては「売れきれ」となっていたが、そんなことがあり得るか?
このインバウンドの時期に、たっぷり材料を仕入れて商売すべきでしょう?!
やっぱり奈良県民は商売下手なのか?
それとも大阪人があまりにも段取り重視だからか?
こんな状況は大阪ではあり得ません。
商売第一の府民性ですから。
ウロウロした挙句やっと入店できたところでうどんを食べました。
期待していなかったのに、とてもコシがあって美味しかったので、疲れも機嫌も一気に解消されたおばちゃんたちでした。

この日、約2万歩も歩きました。
ペコちゃんとは千歩ほども差があるのは、やはりコンパスの差でしょうか💦
チビで短足は、たくさん歩くはめになりますね。

>>次回
【東大寺とその近傍をめぐる】
①冬の「浄瑠璃寺」
②下見の春日大社
③今期初!東大寺散策「南大門と大仏殿」
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