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「まぁいいか」で済ませたことは、あとで全部ツケになる

登山で「まぁいいか」と流した靴紐が、下山後に小さな痛みになった。この記事は、登山中の小さな違和感を放置したことで気づいた、「面倒なことほど先に向き合う理由」の話です。

靴紐、水分、天候確認。
山では数十秒の確認不足が、あとで大きな負担になることがあります。
そしてそれは、山だけの話ではありませんでした。

小さな違和感は、突然ではなく育っていく

面倒だと思った瞬間が、一番大事なサインだと気づいたのは、小指の爪の下に静かに血がにじんだ日からだった。

下りでは、体重が前にかかる。 靴の中で足が前へ滑る。
靴紐は、歩くほどにゆるんでいく。

気づいていた。
でも、「少しくらいなら」と、そのまま歩いた。

靴紐を結び直す30秒を惜しんだ結果

違和感は、突然痛みに変わるわけではない。
小さなズレが、少しずつ積み重なっていく。

歩いている間は気づかない。
でも、靴を脱いだとき、はじめてそれに気づく。

うっすらと赤くなった爪。
痛みより先に、浮かんだ言葉があった。
ああ、防げたことだったな」と。

大きな失敗ではない。
ほんの数十秒、立ち止まればよかっただけ。
だからこそ悔しかった。

それ以来、山頂を出る前には必ずしゃがむ。
靴紐を結び直すために。

正直、面倒だ。
しゃがみ込んで、ザックを担ぎ直しながら、また立ち上がる。

ほんの30秒。
でも、その30秒を惜しく感じる時もある。

「面倒だな」は、確認のサインだった

山を歩いていると、あることに気づく。

「面倒だな」と感じる瞬間は、たいてい何かが緩んでいるサインだ。
靴紐だけじゃない。 地図の確認、水の残量、空の色、身体の疲れ具合。

見ようと思えば確認できるものを、
「まぁいいか」で流してしまう。

でも、本当に大切なことほど、そういう小さな部分に隠れている。
面倒さは、怠けじゃない。気づきの入り口だ。
自分の身体や状況が送っている小さな通知なんだ。

本当は見ておくべきものだったりする。

山で学んだ「まぁいいか」を減らす習慣

山頂で休憩していると、いろんな出発の仕方が目に入る。
そのまま歩き出す人もいれば、装備を確かめる人もいる。

それぞれの歩き方がある。
私は、靴紐を結び直してから歩き出す。

締め具合を確かめる。足裏の感覚を戻す。
ゆっくり立ち上がる。

その瞬間が好きだ。
足が、地面をつかむ感覚。

自分の身体と山が、もう一度つながるような感覚。

もし「面倒だからいいか」と飛ばしているものがあるなら、
一度そこに戻ってみてほしい。
大きな問題になる前に。小さな違和感のうちに。

面倒なことに向き合う人は、弱いんじゃない。
自分の声を、ちゃんと拾えている人だ。

靴紐を結び直すように、自分自身も時々、整え直していきたい。

山が教えてくれた、それだけのこと。
その小さな積み重ねが、日々の歩き方を変えていく気がしている。


おわりに|面倒なことほど、山では正しい。

山を歩いていると、大きな答えよりも、
こういう小さな気づきの方があとから残ることがあります。

靴紐を結び直す30秒。
水を確認する数秒。
立ち止まる勇気。

あなたの日常にも、「まぁいいか」で流している小さなことはありますか?
もし思い浮かんだものがあれば、コメントで教えてください。

山で拾った小さな気づきが、誰かの日常でも役に立つかもしれません。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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▶次に読むおすすめ:山で見つけた感覚を、日常で使える言葉に翻訳する文章を、これからも届けていきます。⤵︎


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