だから、また山を歩きたくなる
情報過多でパンクしそうな人へ。
山が「余計なものを置かせてくれる場所」だと気づいた日のこと。
疲れている。脚も重い。
たぶん、今日はもう十分なはずだ。
それなのに、もう地図を開いている。
それが不思議で、少し立ち止まった。
「好きだから」では、
この感じをうまく包めない気がした。
今日はもう、十分歩いたはずだ。
息も切ったし、汗もかいた。
景色も、ちゃんと目に焼きつけてきたつもりだ。
それでも、何かが終わっていない。
山を下りて、日常に戻ってきたはずなのに、
感覚だけが、まだ山に残っている。
身体のどこかが、続きを欲しがっている。
山を歩いているあいだ、
頭の中は、ずいぶん静かだった。
考えなくていいことが、
少しずつ減っていく。
足を置く場所と、次の一歩。
それだけ考えていればよかった。
……いや、考えていたかも怪しい。
通知も、予定も、
判断も、選択も、
山道のどこかで、音を立てずに剥がれ落ちていった。
最後に残ったのは、
呼吸と、足の裏の感覚だけだった。
山は、何かを与えてくれるというより、
余計なものを、持たずに帰らせてくれる場所なのかもしれない。
溢れた情報のノイズで、
パンクしかけていた頭を、
ゆっくり洗い直してもらうような時間。
だから、山を下りても、
すぐには終われない。
余韻が、まだ身体の中を歩いている。
あの静けさを、もう一度なぞりたくなる。
だから、また山を歩きたくなる。
終わったはずなのに、
身体だけが、そう思っていない。
次は、あの里山を歩いてみよう。
おわりに|山歩きには、「もう十分」が用意されていない
だから、下りても終われない。
なぜかまた山を歩きたくなる理由を、言葉にしてみました。
最後まで読んでくれて、ありがとう。山ではひとりだったのに、こうして誰かと繋がれることが、素直に嬉しいです。歩いて気づいたことを、言葉にして、誰かに届く。それだけのことが、こんなに嬉しいとは思っていませんでした。スキやコメントをもらうたびに、あの山道を歩いていて良かったと思えます。だから、また歩きに行ける。次もここで、会いましょう。
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▶良ければ、過去作にもどうぞ。山を歩きながら少しずつ変わっていった感覚を、別の旅でも書いています。⤵︎
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