「もう無理かも」の先にあった景色|登山で限界を感じた時、自分を信じる一歩
登山で「もう無理かもしれない」と感じたことはありますか。
足が止まり、前に進む理由を失いそうになる瞬間。
でも、その先にこそ、自分でも知らなかった力に気づくことがあります。
帽子の鍔から、汗が落ちた。
汗が地面に消えていくのを、ぼんやり眺めていた。
足が、言うことを聞かなくなってきていた。
稜線まで、あと200m。
数字だけを見ると、あと少しだった。
でも、その200mが遠かった。
「あと200m」が遠く感じた瞬間
「あとどれくらい?」
声に出したわけではない。
心の中で、何度も同じ言葉を繰り返していた。
呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえる。
草原が揺れている音なのか。
自分の息が風に混じっているだけなのか。
もう、よくわからなかった。
身体は進みたいと思っているのに、足が重い。
一歩を出すことが、こんなにも難しいのかと思った。
その時だった。ふと、聞こえた。
――まだ、いける。
誰かに言われたわけではない。
励まされたわけでもない。
自分の中から出てきた声だった。
限界だと思った時、自分の中から聞こえた声
不思議だった。
「頑張ろう」と思ったわけではない。
気合いを入れ直したわけでもない。
その声を聞いたあとに、足が少しだけ動いた。
身体が先に答えを出したような感覚だった。
少しずつ歩く。一歩進む。また一歩。
大きな一歩じゃない。
でも、その小さな一歩が、確実に距離を縮めていった。
ようやく稜線に出た。
ガスが風に流されていく。
残念ながら、景色はなかった。
期待していたような青空も、遠くまで見渡せる眺望もなかった。
不思議と前が見えた気がした。
テント場の標識を見つけた瞬間、思わず声が漏れた。
「やっと着いた」
その言葉には、到着した安心だけではなかった。
自分でも知らなかった場所まで来たような、そんな感覚があった。
山頂よりも心に残ったもの
以前の自分なら、限界を感じた時点で「もう無理」と決めていたかもしれない。苦しくなったら、それ以上進む理由を探すより、諦める理由を探していた。
でも、あの日わかった。
「もう無理かも」と感じた瞬間は、本当の終わりではないのかもしれない。
まだ自分でも気づいていない余白が残っていることに。
もちろん、無理をすればいいという話ではない。
山では引き返す判断も必要だ。
安全を優先することも、登山者にとって大切な力だと思う。
でも、自分の中にある「もう少し」を見つけられる瞬間もある。
登っているのは足だけど、歩いた距離だけでは測れないものもある。
あの日、稜線で見た景色よりも印象に残っているのは、
「まだ、いける」
と自分に言えたことだった。
日常にもある「もう一歩」の瞬間
その小さな声は、山を下りたあとも残っている。
仕事で迷った時。
新しいことに挑戦するとき。
もう諦めようと思った時。
あの日の一歩が、いつの間にか背中を押してくれている。
限界は、必ず越えなければいけない壁ではない。
自分で「ここまで」と決めた場所の先に、
まだ知らない自分がいることもある。

山でも、仕事でも、日常でも。「もう無理かも」と思ったあとに、なぜかもう一歩だけ進めた瞬間はありませんか。その時、あなたを動かしたものは何でしたか。よかったらコメントで教えてください。
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#登山好きと繋がりたい #山の記憶 #心の筋トレ
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