自分の限界の置きどころ━速くなくていい、派手じゃなくていい、ちゃんと帰れたら勝ち
山歩きを続けるうちに、何が「正解」か?安全の考え方が変わった。
「早く着く」より「ちゃんと帰る」が基準になった。
ゴールは“到達”じゃなくて“無事終了”だと思うようになった。

うまくいった日より、やめた判断が正解だった日を誇れるようになった。
「今日はここまで」が言えるのは、弱さじゃなくて技術だと知った。
体力より先にメンタルが減ることを覚えた。
だから、元気なうちに休むクセがついた。
呼吸の荒れ方が、いちばん正直なバロメーターになった。
「大丈夫だろう」は危険ワード。
その軽さで何度もヒヤッとして、身体で理解した。
装備は軽さより、“迷わない安心感”で選ぶようになった。
背中が少し重くても、心が軽いほうが最後まで安定する。
速い人より、最後まで崩れない人が強いと思うようになった。
「すごい景色だった」より「いい歩き方ができた」のほうが満足度が高くなった。

山頂の感動より、下山後の安心感のほうが深く沁みる。
達成感は一瞬、安心感は長持ちだと知った。
“想定外”は失敗じゃなくて、自然の通常運転。
予定どおりいかない前提で動くほうが、結果的にうまくいく。
どこに足を置けば安全か、どこで力を抜けば省エネか。
足の置き場を読むのが、だんだんうまくなった。
体力の限界に行きつく少し手前も、わかるようになってきた。

歩く時間の組み立て。
電車やバスの時刻、ルート、金額の調べ方。
山の外の段取りも、山の技術のひとつだと思うようになった。
時間が読めると、焦りが減る。
山の中では、自分の機嫌は自分で取る。
しんどい時間があっても、最後に「今日はいい日だった」と言えたら勝ちだ。

山に行きたくなる自分の感覚も、だんだん信用できるようになった。
理由はうまく言えなくても、あの感じはだいたい当たる。
山は、正解を教えてくれる場所じゃない。
でも、自分にとっての正解の作り方は、確実に教えられている。
気づけば、自分の扱い方が、少しずつ上手くなっていった。
これからも密かに更新されていくのだろう。
たぶんこれが、いちばんの“上達”なんだと思う。

おわりに|誰にもすごいって言われなくても、自分の中では満点だった山歩き、ありませんか?
【今日もひとつ、“なんだろう”を持ち帰る。それが私の歩き方】
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
スキやフォロー、コメントをもらえるたびに、
「あ、誰かに届いたんだな」って思えます。
無理に反応しなくても大丈夫。
ただどこか一行でも引っかかったなら、それで十分です。
また山から持ち帰った話を置きに来るので、
気が向いたら、そっと覗いてもらえたら嬉しいです。
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▶良ければ、過去作にもどうぞ。山を歩きながら少しずつ変わっていった感覚を、別の旅でも書いています。⤵︎
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