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次のWeb小説に求められるもの。エブリスタの選評と直木賞作家の言葉から見えた、テンプレの先にある競争に思うこと|書籍化ログ(#創作論 #Web小説 #カクヨム #小説家になろう #アルファポリス #生成AI )

こんにちは。こんばんは。
普段はラノベを書いている「うら表紙」と申します。

最近、不安で変な時間に起きてしまうことがあります。
ハッと起きて、心臓がドキドキして、改めて寝ようと思っても
漠然とした憂鬱さに押しつぶされそうになる。

創作が嫌になったわけではありません。
書くことは相変わらず好きですし、
新しい物語を考えている時間はとても楽しいです。

ただ、
エブリスタの選評を読んでからというもの、
ふとした瞬間に怖くなるのです。

「この先、自分は何を武器に書いていけばいいんだろう」と。

先日、Web小説の評価基準の変化について創作メモを書いたところ、
思った以上にたくさんの反響をいただきました。

その中で改めて感じたのは、私だけではなく、
多くの書き手が似たような空気を感じ取っているのかもしれないということでした。

なんとなく、これまでと同じやり方だけでは足りなくなってきている。
でも、じゃあ何を積み上げればいいのかは、まだ誰にもよくわからない。

今日はそんなモヤモヤについて、自分と向き合うつもりで書いています。



●選評を読んでいて、苦しくなった


竹書房主催「エブリスタ小説大賞2025」の選評を要約するとこうです。

※詳しく知りたい方向け。読み飛ばしても大丈夫です。
ストーリーの厚み

起伏のある展開や、先が気になるストーリーは作れている(中間選考突破レベル)ものの、結末に向かって「1本の糸のような」薄い印象の作品が多かったと指摘されています。設定も雰囲気だけで描かれており、没入感に欠けるとのこと。民俗学や歴史など、しっかりしたリサーチという土台があれば書き味がライトでも厚みが出るとアドバイスされています。

キャラクターの魅力(推しキャラとしての強度)
現代小説において、キャラクターの魅力はストーリー以上に重要だと断言されています。外見の描写が不足している点や、セリフ回し・熱いシーンでの個性の表現など、三次元の存在と同じくらい「ずっと見ていたい」「課金してでも推したい」と思えるだけのスペックと性格的魅力の両立が求められています。

文章・表現力
今回一番物足りなさを感じた部分として挙げられていました。基本的な文章作法(三点リーダーの使い方、視点の混在など)が押さえられていない点への厳しい指摘に加え、「文芸(文章の芸術)」として光るレトリックへの熱望も語られています。

総じて、面白い設定やアイディアだけで走り切るのではなく、「架空の世界をどれだけ作り込んでリアリティを持たせられるか」「複数の糸が編み込まれたような密度の濃さがあるか」という、作品の深い部分での完成度が強く求められていることが読み取れます。

結果は、小説部門もコミカライズ部門も大賞は「該当作なし」。

それだけでもなかなか厳しい結果なのですが、
私が気になったのは“基準”そのものでした。

選評でも

展開は作れている、
読ませる力もある、

と書かれているんです。

けれど、世界観の厚みが足りない。
キャラクターの魅力がもう一歩足りない。
文章そのものの表現力も求めたい。
ざっくり言えば、そんな趣旨の内容が選評にはありました。

もちろんコンテストごとに求められるものは違いますし、
それが絶対の正解だとは思いません。

ただ、それでも読んでいて感じたのです。

「ああ、これからは作品のかなり深い部分まで見られるようになるんだな」と。

少し前までのWeb小説は、
とにかく読者を惹きつける瞬発力が重視されていたように思います。
一話目で興味を引くこと。
続きを読ませること。
ランキングの中で埋もれないこと。

もちろん今でも大事です。

ただ最近は、それだけでは足りなくなってきている気がします。
物語の奥に何があるのか。
どれだけ世界を作り込んでいるのか。
作者が何を見て、何を考えてきたのか。
そんな部分まで、問われ始めているように感じています。

●「8ページ目のイケメン」の話

そんなことを考えていた時に、
YouTubeで直木賞作家の今村翔吾氏の対談動画を見ました。
マーケティング視点で書かれた
「イクサガミ(ネトフリ)」が大ヒットしたことでも有名な方です。

その中で紹介されていたエピソードが印象的でした。

エンタメ最前線の韓国のウェブコミックでは徹底的なデータ分析が行われていて、
エンタメの合理化が極まった結果、
みんな8ページ目にイケメンを出すようになったそうです。
どの作品を読んでも8ページ目にイケメンが出る。
それも似たような黒髪のイケメンです。

結果としてどれを読んでも金太郎飴のような状況が生まれたのだそうです。

そうしたデータの最適化から作られた作品は
結果的にIPとしての熱狂やグッズ展開には繋がらなかったと語られています。

私はこの話を聞いて、怖くなりました。
まさに今のweb小説で起きていることと同じ現象です。

人気は出る、
読まれる。
けれど、書籍化しても売れない。

Web小説を書いていると、
どんな主人公が好まれるのか、
どんな展開が受けるのか、
どんなタイトルがクリックされるのか、
そういうデータを分析して、
“最も読まれる形”へと作品を設計していく流れが生まれます。

それ自体は悪いことではありません。

実際にカクヨムではそういった設計をしなければ
誰も読んでくれません。

でも、それだけを追い続けた先に何が残るのだろうとも思うのです。

●AIが当たり前になった時代に


最近はAIの進化も本当に速くなりました。
少し前まで未来の話だったことが、気づけば現実になっています。
きっとこれから先、破綻のない物語を作ること自体はますます容易になるのでしょう。

そうなった時に残るものは何だろう。

私は正直に言うと、その答えをまだ持っていません。

ただ、動画の中で今村氏が言っていた
「100円の皿と1億円の皿」の例えは妙に心に残りました。

ご飯を乗せるだけなら100円の皿でも十分です。
それでも高価な器に価値が宿るのは、その器の背景に物語があるからです。

誰が作ったのか。
どんな土地で生まれたのか。
どんな歴史を積み重ねてきたのか。
そこに人は惹かれる。

だとしたら、物語も同じなのかもしれません。

●物語に“私”を乗せるということ


今回の選評とプロの視点を重ね合わせて、改めて感じたことがあります。

物語の表面的な面白さを磨くことと同じくらい、
自分自身の引き出しを増やすことが、
これからの創作にとって大切になるだろうということです。

今村氏は
「読者はバカではない。お金の匂い(=計算や狙いすぎ)が見えたらすぐに見抜かれる」
とも語っています。
私は「100ワニ」を思い出しました。

流行を分析することは不可欠ですが、
書くその瞬間においては、
純粋に物語と向き合う作者の「剥き出しの感性」が求められる。

だからこそ、遠回りに見えるかもしれないけれど、
興味を持った分野を深く掘り下げることや
自分だけの色をそのまま差し出すこと
が大切なのではないかと思うのです。

そうした執筆以外の地道な積み重ねや実体験が、
結果として
「AIやデータには出力できない、その人にしか生み出せない手触り」
になっていくのかもしれません。

ただ、私はそんな偉そうなことを言える立場でもありません。

これまでの発信でも何度か書いてきましたが、
私自身は決して特別な才能に恵まれたわけではなく、
いまだ凡人の域を出ない存在です。

だからこそ怖いのです。

データやテンプレを踏襲するだけでは足りない。
その先にある「作者ならではの手触り」まで求められる時代になっていくのだとしたら、
自分には何が残るのだろう、と。

正直なところ、
これからのWeb小説の世界に挑み続けることを想像すると、
不安と恐怖しかありません。

「自分にはこれがあります」と胸を張れるほどの何かが、
本当にあるのかどうかもわからないのです。
noteを書いている時もいつも思っています。

AIがどんどん進化していく中で、自分の書く意味を考えてしまう。
「自分らしいってなに?」「個性のある文章ってなに?」って。
それなのに、ペンを置くことは考えられない。

たぶん私だけではなく、創作をしている多くの人が同じようなことを考えながら
机に向かっているのでしょう。

正直なところ、今の私には明確な答えはありません。
それでも、
手探りでこれからも必死に書き続けていこうと思っています。

この先どんな道になるのかはわからないけれど、
続けてみないとわからないと思うから。


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うら表紙|無名→書籍化の記録(WEB小説) 読んでくれたこと、心より感謝します。いただいたチップは真心と思い、大切にします。私は時間がかかりましたが、あなたが私よりもっと短い時間で、自分の人生を愛せるよう願っています。