家を継ぐということ
僕が「家を継ぐ」ということを本気で考えはじめたのは、
高校三年生のときでした。
大学受験を控え、志望校を考えていたある日、ふと思ったんです。
「もし実家から遠い大学に進学したら、
もう二度と地元に戻ってこられないかもしれない」
僕には兄と姉がいます。三人きょうだいの末っ子です。
家を継ぐとしたら、必然的に僕か兄。
10歳年上の兄(当時27歳)に聞いてみました。
「家を継ぐ気、ある?」
兄の答えはあっさりしていました。
「いや、俺はやらんよ」
僕たちの家で「家を継ぐ」というのは、
つまり「農業を継ぐ」ということ。
当時すでに公務員として働いていた兄にとって、
農業は選択肢にはなかったようです。
そのとき自然と、「じゃあ僕が継ぐんだね」と、
兄弟の中での役割が決まった気がしました。
地元で就職した僕と、両親に任せきりだった農業
その後、僕は名古屋の大学に進学し、地元に戻って就職しました。
ただ、仕事と農業の両立は想像以上に難しく、
実際には父と母に農業のすべてを任せていたのが現実です。
そして、僕が40代前半のころ、母が他界しました。
農業は父ひとりの手に残されました。
僕も少しでも支えになればと、年に数日だけですが
農作業を手伝うようになりました。
父の怪我と、連帯保証という重すぎる現実
ある日、父が田んぼの横にある水のない農業用水に転落。
腰の骨を折り、農作業はできなくなってしまいました。
そのとき僕は思いました。
「今なら、まともに父と向き合って話ができるかもしれない」
そうして切り出したのが、「相続」の話題でした。
実はそのとき、僕はすでに2億円の借金の連帯保証人になっていたのです。
内訳は、相続税対策で父が建てたアパートと、
兄が住む一戸建ての住宅ローン。
母が生前は第一連帯保証人でしたが、
いまは連帯保証人は僕ひとり。
つまり――
父が亡くなれば、僕がすべてを背負うことになります。
税理士との相談と「現実」の重さ
僕は父を連れて、県庁所在地にある「相続に強い」とうたう
税理士法人を訪ねました。
そこで言われたのは、
「相続税は、ざっと1,400万円ほどですね」
……え? どこにそんなお金があるんでしょうか。
さらに、固定資産税は毎年約300万円。
つまり、家を継ぐということは「多額の借金を背負う」ことと同義でした。
誰がそんな家、継ぎたいと思いますか?
正直、僕だって嫌でした。
「お金はないけど、土地はある」農家あるある
お金はない。でも、土地はある――。
そんな農家さん、多いと思います。
ウチもその典型です。
僕は税理士に尋ねました。
「土地を物納(現物で税金を支払うこと)はできませんか?」
返ってきた答えは、即答でした。
「うちでは物納はおすすめしていません」
理由は明確でした。
「相続発生から10か月以内に土地を売って現金化するのは
非常に難しいからです」
そして、相続対策が始まった
そうして、父と僕の「相続対策」が本格的にスタートしました。
この話はまだ、途中です。
でも、「家を継ぐ」ということが、
単なる親孝行でも伝統の継承でもなく、
現実と向き合う覚悟なんだと気づかされた経験でした。
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