LD(学習障害)について
今日は、LD(学習障害)についてお話ししたいと思います。
正式には「限局性学習症」と呼ばれるものです。
「うちの子、どうして字が読めないんだろう」
「何度教えても、計算ができない」
「私、昔から黒板の字を写すのが本当に苦手だった」
もしあなたが、あるいはあなたの大切な人が、そんなふうに悩んでいるとしたら。この記事が、少しでも氣もちを緩めるお手伝いになれたら嬉しいです。
LDとは、どんなものなのでしょう
LDは、知的な発達には遅れがないのに、「読む」「書く」「計算する」といった特定の学習だけが、極端に難しいという特性のことをいいます。
LDは、知能の低さではありません。
努力不足でもありません。
ましてや、親御さんの育て方のせいでも、本人の怠けでも、決してありません。
脳の中で情報を処理する仕組みが、多くの人とは少し違う経路を通っている状態でもあります。
医学的には、大きく三つのタイプに分けられます
文字を読むことが難しい「読字障害(ディスレクシア)」
文字を書くことが難しい「書字障害(ディスグラフィア)」
そして数の概念や計算が難しい「算数障害(ディスカリキュリア)」です。
一つだけの方もいれば、いくつかが重なっている方もいらっしゃいます。
そして、LDは決して珍しいものではありません。
文部科学省の調査では、通常の学級に通うお子さんのうち、学習面で著しい困難を抱えている子は数%程度いると報告されています。
つまり、クラスに2、3人はいる計算になります。
あなたのまわりにも、氣づかれないまま頑張っている子が、きっといるのです。
いつ頃、わかることが多いのでしょう
もっとも多く氣づかれるのは、小学校に入学してから、特に1年生から2年生の頃と言われています。
なぜかというと、LDは「読む・書く・計算する」という学習が本格的に始まって、初めて見えてくる特性だからです。
幼稚園や保育園の時期には、おしゃべりも遊びも何の問題もなく、むしろ活発で賢い印象のお子さんだったりします。
だから、ご家族も先生も、まったく予想していないことが多いのです。
入学して、ひらがなの読み書きが始まる。
音読の宿題が出る。
計算カードの練習が始まる。
そこで、「あれ?」という違和感が、少しずつ積み重なっていきます。
何度練習してもひらがなが覚えられない、音読がたどたどしく一文字ずつ拾い読みになる、文字のバランスが極端に崩れる、マスからはみ出してしまう。
そんなサインが見えてくるのが、この時期なのです。
ただ、タイプによって氣づかれる時期には少し違いがあります。
読字障害は、ひらがな学習が始まる1年生で比較的早く氣づかれやすいタイプです。
一方で書字障害は、「まだ習いたてだから」「字が雑なだけ」と見過ごされて、漢字が増える2、3年生頃にようやく氣づかれることもあります。
算数障害は、繰り上がり・繰り下がりの計算や九九、文章題が出てくる2年生から3年生頃に、つまずきがはっきりしてくることが多いように思います。
それから、もう一つ知っておいていただきたいことがあります。
日本語ではぎりぎり乗り越えられていたお子さんが、中学校で英語が始まった途端に、急に苦しくなることがあるのです。
実は、アルファベットは文字と音の対応が日本語のひらがなよりも複雑で、読字障害のある方にとってはずっと高いハードルになります。
「中学から急に勉強ができなくなった」の背景に、それまで隠れていたLDがあったケースは、決して少なくありません。
幼児期にも、小さなサインはあります
「じゃあ、小学校に入るまで何もわからないの?」と思われるかもしれませんね。実は、就学前にも、ささやかなサインが現れていることがあります。
たとえば、しりとりがなかなかできない。
「りんご」の「り」を取り出す、というような音の操作が難しい(これは音韻意識といって、読みの土台になる力です)。
絵本を読んでもらうのは大好きなのに、文字そのものにはまったく興味を示さない。
自分の名前の文字が、年長さんになってもなかなか覚えられない。
もちろん、これらはあくまで「サインかもしれない」というだけで、当てはまるからLDだと決まるわけでは決してありません。
発達のペースは、お子さん一人ひとり本当にさまざまですから。
ただ、こうした様子が氣になったときに、「この子はこういうところが少し苦手なのかもしれない」と頭の片隅に置いておいてあげるだけで、就学後のつまずきに早く氣づき、早く支えてあげることができます。
「氣になったら」の相談の流れ
もし氣になることがあったら、まずはお住まいの地域の発達相談窓口や教育センター、あるいは学校のスクールカウンセラーに相談してみてください。
専門機関では、WISCなどの知能検査や、読み書きの力を詳しく調べる検査を通して、お子さんの得意・不得意のプロフィールを丁寧に見ていきます。LDの診断には、「知的な発達に遅れがないこと」と「特定の学習だけが難しいこと」の両方を確かめる必要があるため、こうした検査がとても大切な手がかりになるのです。
診断そのものは、児童精神科や小児神経科などの医療機関で行われます。
相談することは、お子さんに「障害」のレッテルを貼ることではありません。
お子さんの脳の個性を知って、その子に合った学び方への扉を開いてあげることだと思います。
早く氣づいてもらえた子ほど、「自分はダメなんだ」と思い込んでしまう前に、自分に合った方法と出会えるとも思います。
見えにくいからこそ、苦しい
LDの苦しさは「見えにくさ」にあるとも感じています。
たとえば、おしゃべりはとても上手で、運動も得意。
お友だちとの関係も良好。それなのに、教科書を読むことだけが、どうしてもできない。
まわりの大人は、つい思ってしまうのです。「ちゃんとやればできるはずなのに」「サボっているんじゃないの」と。
でも、ご本人の世界では、まったく違うことが起きています。
読字障害のあるお子さんにとって、文字は「揺れて見える」「鏡文字のように反転して見える」「文字と音がつながらない」
そんな体験をしていることがあるのです。
それは、私たちが知らない外国語の本を渡されて、「どうして読めないの、怠けないで」と叱られ続けるようなもの。どれほど心細く、悔しいことでしょう。
そして、その経験が積み重なると、「自分はダメな人間なんだ」という思い込みが、こころの深いところに根を張ってしまいます。
自己肯定感の低下、不安、抑うつ、不登校になってしまうこともあります。
LDそのものよりも、のほうが、その方の人生を苦しくしてしまうことが少なくないのです。
だからこそ、早く氣づいて、正しく理解してあげることが、何よりの支援になります。
「できない」の奥にある、「できる」を見つける
LDの支援で一番大切なのは、苦手なことを克服させようと追い詰めることではなく、その子の脳に合った学び方を一緒に見つけてあげることだと思います。
読むことが難しいなら、耳から学んでいく。
音声教材やオーディオブックという道があります。
書くことが難しいなら、タブレットやパソコンで入力する方法もあります。計算が難しいなら、電卓を使うことも良いと思います。
「それはズルじゃないの?」と思われるかもしれません。
でも、目が悪い人がメガネをかけることを、誰もズルだとは言いませんよね。
LDのある方にとっての音声教材やタブレットは、メガネと同じような、その人らしく学ぶための、大切な道具でもあると思います。
学校では「合理的配慮」といって、テストの時間を延ばしてもらったり、問題文を読み上げてもらったりする仕組みも整いつつあります。
一人で抱え込まず、学校の先生やスクールカウンセラー、地域の発達相談の窓口に、どうか相談してみてくださいね。
大人になってから氣づく方も
そして、これは大人のあなたにもお伝えしたいことです。
LDという言葉が広く知られるようになったのは、比較的最近のことです。
今、大人になっている方の中には、誰にも氣づかれないまま、「自分は人より頭が悪いんだ」と思い込んで生きてこられた方も沢山いらっしゃいます。
もしあなたが、長年「読み書きだけがどうしてもうまくいかない」と感じてこられたなら、それはあなたのせいではなかったのかもしれません。
今からでも、知ることに遅すぎるということはありません。
あなたがこれまで、人知れずどれほどの工夫と努力を重ねてこられたか…。
まず、そのことをご自身で労ってあげてほしいと思います。
おわりに
LDは、その人の価値を決めるものではありません。
文字が読みにくくても、豊かな想像力を持っている方。
計算は苦手でも、人の氣もちに寄り添う力に溢れている方。
脳の個性は、苦手と同じだけ、その人だけの輝きも強みも連れてきてくれていると思います。
トム・クルーズさんやスティーブン・スピルバーグ監督も、ディスレクシアであることを公表しています。
読み書きの困難は、その人の可能性に蓋をするものでは、決してないのです。
「できないこと」を数えるのではなく、「その人らしい学び方」を一緒に探すこと。
それが、LDのある方への一番温かな寄り添い方だと、私は思っています。
あなたとあなたの大切な人のこころが、今日も少しでも緩められますように…。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
※この記事は一般的な情報提供を目的としています。診断や個別の支援については、医療機関や専門機関にご相談くださいね。






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