あメりか生活 白人非白人の夫と妻
所:病院
「未知も一緒です」夫は待合室に迎えにきた看護婦に言う。
何の反応も示さない看護婦。
未知ひじで夫の横腹をつつく。夫、何のため未知がそうしてるのかわかってない。「言ったでしょ?!」未知の内心。
診察室に着く。血圧測り、常用薬の確認。その間、看護婦は未知を一度も見ず。
未知、質問が夫に聞こえてないのに気づき助け舟を出す。
看護婦、未知への反応なし。
看護婦、医師に渡すノートに黙って記録。
未知、気になってる血圧値を聞くのを躊躇、聞きそびれる。不安高まる。
看護婦退室。入れ替わりに医師入室。医師も未知を見ず。
未知、同室にいる自分が完全無視されているのに、不満高まる。
夫は聴覚に支障がある。その上詳細を頭に入れずに済ますたちの夫。 医師、質問。夫、想像/創造で答える。医師はふむふむとうなずく。
がまんできずに、未知口を開く。「妻です」
反応なし。
まだ無視されてる未知。未知ひるむ。一息つき、声が小さかったせいかと思い直す。
未知、大声出す。「わたし、妻なんです!」
そこで初めて医師未知を見る。
「ほおう、ようこそ」 そのあと態度一転、医師、夫と未知に向かう。容態を述べ新しい薬の名前を告げ、次の診察の日、その前の血液検査の必要を話す。
未知、やっと安堵、ぐったり疲れて病院を出る。
帰宅後、未知と夫の会話
未知「 言ったでしょ?!次は、あなた『妻の未知だ』いえ、私の名前なんて忘れちゃっていいから『妻だ』と言ってよ。ゼッタイ!」
夫:「君が妻に決まってるじゃないか。未知だから未知って言ってどこがワルイ?」と口にもし内心思ってる。
それでも「君がそうしてほしいならそうする。オーケー。わかった」って言ったすぐ翌日忘れちゃうこともありで、未知がカンカンになって怒って初めて夫は未知にとってこれは重大なのだと納得し始める。
未知にとって精神の健康上ストレス減上大事なのは確かだが、夫本人の健康回復と維持上重要なのだと未知は信じてる。
高齢の夫。自分はその健康管理の総合リーダー。医師の言葉が聞けるか否かは重大な責任。夫の生死に関わるかもしれない、正直。
この地では「奥様ですか」などと聞いてくれる人などいない。プライバシー侵害にふれるという恐れからなのだろうか。
もし未知と夫が白人同士、黒人同士、ラテン系同士であれば、上記の状況は起こらない。疑問なしにまず夫婦だと見られる。
経験してないのだが夫が黒人かラテン系で妻の人種がちがってもおそらくまずたいてい夫婦と見られるだろう。
実際、 未知が病気で短期間入院したとき、夫がつきそいだった。看護婦も医師もチラッと見て、ああ、そうか、国際結婚なんだとすぐに結論を出したのだろう、最初からどちらも見ながら(夫の方へ顔むけてるのが多いかも)診断、今後の治療について説明した。夫が無視された時間は皆無。
ではなぜ、未知は無視されたの?
それは夫が歳のいった白人でつきそいが未知、つまり白人以外の女性だったから。未知はまずホームヘルパーと見られたのだ。
ホームヘルパーは周知のように世話を受ける人その家族にとりこの上なく大切な存在なのだが、妻とは病人の夫との関係性も法律上も異なり病院側の扱いが全く違う。
上記の看護婦も未知を妻と知らない以上病人の症状なりを話すわけにはいかないのだ。
日本もそうなのだろうか。ここ米国では専門細分化が進み、未知の夫のようにさまざまな疾病のある者は何人もの医者とのアポあり、その都度看護人そのほか大勢の人と接する日常生活を送っている。
幾度も経験してる入院では大げさでなく一晩で十数人の医療関係者が介入する。
その都度夫が未知を「僕の妻です」と明快に宣言しない限り、未知は自分が妻であることを入室する人一人一人に説得しなければならない。
「妻です」 「わたし、妻なんです」 「妻よ!」
この話をしたら同性同士で結婚した友人たちは、一人が入院中、もう一人が「私、彼女の妻です」と大声ではっきりと幾度言ってもわかってないのか同性結婚に反対なのか聞こえないふりをされると言う。
そうなんだ。彼女たちの立ち向かうものは私たちのとは比べ物にならないほど大きいのだと納得。
アメリカで異人種間結婚が全国的に合法化されたのは1967年。60年にみたない。同性結婚は2015年。ほんの10年。それもまだ脅かされているのが現状だ。
未知は、自分に起こってるのは女性差別そして肌の色のちがい、つまり人種差別のせいと思っていた。
それはそうなのだがその背景には奴隷制の歴史の上に成り立つ米国社会がある。
白人の経済力が他の人種一般に比べ圧倒的に大きい、つまり貧困問題。
さらに白人の多くが信奉する宗教もからまって同性結婚者たちが差別され続けるといった社会状況があるのだと認識を新たにする。
そう思うと、ホームヘルパーの方々の日々受けている差別も未知の目線に入ってくる。
「人間みな同じ」ひびきの良いこの言葉、そう言って日々過ごしたいところなのだが、未知の日常はそこからはるか遠い。さて未知にできることは?
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