終末期の召命は見極めよ──「信じるな、ついて行くな」イエスの警告
もし誰かにこう言われたらどうでしょう。
「聖霊によって導かれた」
「あなたは神に選ばれた」
「この働きに参加してほしい」
信仰者であれば、それを召命だと受け取るかもしれません。
しかしイエスは、終末期についてこう言いました。
「だれかがあなたに『ここにキリストがいる、あそこにいる』と言っても、それを信じるな」と。
📌この記事では──
終末期のイエスの警告と本物の召命の見極めについて考えます。
1|福音書の弟子たちはすぐに従った
福音書の弟子たちは、イエスの呼びかけにすぐに従いました。
例えば、ペテロとアンデレは漁師でしたが、召命に感動してすぐに従いました。ヤコブとヨハネもすぐについて行きました。
【マルコによる福音書 1章17-20節】
イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。
すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。
また少し進んで行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネとが、舟の中で網を繕っているのをごらんになった。
そこで、すぐ彼らをお招きになると、父ゼベダイを雇人たちと一緒に舟において、イエスのあとについて行った。
また、取税人だったレビもその場で立ち上がり従いました。
【マルコによる福音書 2章14節】
また途中で、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをごらんになって、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
これらの描写から、信仰者の間では神の召命には(自分を捨てて)すぐに従うべきだというイメージがあります。
2|旧約聖書の預言者はむしろ拒んだ
ところが旧約聖書を見ると様子が違います。
神に召された人物が、一旦それを拒む事例がいくつもあります。
① モーセ
モーセは神から召命を受けましたが、何度も躊躇し辞退しようとしました(出エジプト3章-4章)。
「わたしは一体何者なのでしょう」
「神の名を聞かれても答えられません」
「お前になど神は現れていないと言われるでしょう」
「ああ、わたしは口が重く話すのが苦手なのです」
「ああ、どうか他の人を遣わしてください」
② ギデオン
士師の時代、若者ギデオンは近隣国の圧迫からイスラエルを救うため、神から召命を受けました(士師6章36-40節)。
ギデオンはすぐに信じたわけではなく、しるしを求め二夜にわたり神意を試しました。
一夜目:羊の毛一頭分を打ち場に置きますから、露が羊の毛の上にだけあって、地がすべて乾いているようにしてください。
二夜目:羊の毛だけを乾かして、地にはことごとく露があるようにしてください。
③ ヨナ
アッシリア帝国の時代、ヨナは神から召命を受けました。
アッシリアの首都ニネベに行って「四十日後にニネベは滅びる」と告げよというものでした。
これに対しヨナは、神の前から逃亡しました(ヨナ1章1-3節)。
④ エレミヤ
エレミヤは神から召命を受けた時、「ああ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」と言って、能力不足を理由に辞退しようとしました(エレミヤ1章6節)。
⑤ イザヤ
大預言者イザヤも神から召命を受けた時、「ああ災いだ、わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者であり、汚れた唇の民の中に住んでいるのに」と言って、自分の罪深さゆえに神を恐れました(イザヤ6章5節)。
不安をあおり決断を迫るのはサタンの罠
このように旧約聖書の中では、本当の神からの召命であってもすぐ従わない例が珍しくありません。
むしろ本物かどうかを疑い、本物であったとしても自分を控えて一旦は拒み「わたしなんかダメです。他にふさわしい人がいるでしょう」と、できれば辞退しようとするのが正常な反応なのです。
もし本当に神からの召命で神があなたを用いようとしているなら、たとえ固辞し続けても、あなたの「受けるか受けないか」の決断によらずに自然と従えるように導かれるはずです。
むしろ、善意に付け込んで不安にさせ急いで決断させようとするなら、それはサタンの罠である可能性があります。
3|イエスの終末期の警告
信仰者にとって決定的なのは、イエスが語った終末期の警告です。
【マタイによる福音書 24章21-26節】
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
(中略)
そのとき、だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。
にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。
見よ、あなたがたに前もって言っておく。
だから、人々が『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行くな。また『見よ、へやの中にいる』と言っても、信じるな。
【ルカによる福音書 17章23節】
人々はあなたがたに、『見よ、あそこに』『見よ、ここに』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな、彼らのあとを追うな。
誰かが──
「ここにキリストがいる」と言っても、信じるな!
「荒野にいる」と言われても、出て行くな!
「部屋にいる」と言われても、信じるな!
「あそこに、ここに」と言われても、行くな!追うな!
⚠️終末期の大患難とは
多くの人は、大患難を戦争や災害だと考えています。しかしイエスが強調しているのはむしろ「人による惑わし」です。
偽キリストや偽預言者が現れ、できれば選ばれた者をも惑わそうとするのです。
イエス自身が「信じるな、ついて行くな」と命じているのだから、終末期に誰かが現れて特別な使命を語ったとしても、それを信じてついて行ってはならないのです。
4|初臨と再臨では構図が異なる
福音書の弟子たちは、イエスの召命にすぐに従いました。
しかしそれは、イエス本人に出会い、直接その声を聞いたのです。
ところが──
終末期では構図が異なります。
終末期の偽物の召命は、人を介してやって来て、イエス本人に会うことはありません。
だからこそイエスは「だれかがあなたに『ここにキリストがいる』と言っても、信じるな」と警告しているのです。
📌再臨は──
特定の場所や特定の人物を介して出会うものではありません。
イエスはそれを、稲妻が地上全体に閃き渡るような出来事だと語りました。
【マタイによる福音書 24章27節】
ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。
5|終末期に現れる人を介した召命
終末期には、人を介した「召命らしきもの」に遭遇するかもしれません。
あなたの気づきは選ばれた証拠だ
複数の人が同じ夢や幻を見ている
これが本当の救いです、終末の働きをしよう
市民運動やデモ活動や抗議集会に参加しよう
特別の使命は目覚めた者しか分からない
その他、フェイクニュースや偽陰謀論やスピリチュアルが溢れており、情報の真偽を見分けるのはすでに困難な状態です。
選ばれた者をも惑わそうとする
信仰者に対しては──イエスの荒野修行のように──聖句を用いて、あなたの良心に巧みに訴えてくるかもしれません。
あなたは自分の十字架を背負わないのですか
イエスの弟子たちは召命にすぐに従いました
イエスはすべて自分を捨てて従いなさいと言いました
あなたは神に選ばれたくないのですか
あなたは神を悲しませるのですか
これはわたしが言っているのではなく、神があなたに言っているのです
真面目で善良な人ほどその善意ゆえに無下にできず、このような誘導に巻き込まれてしまいます。
アダムとエバのように──。
最初に惑わされたのは、神を信じていない人ではありませんでした。
神の言葉を愛していたエバでした。
6|ユダヤにいる人々は山へ逃げよ
イエスの終末期の警告は、何もかも信じるなと言っているのではありません。逃れる道を示しています。
【マタイによる福音書 24章15-16節】
預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
この当時のユダヤとは、神の名のもとに形成された社会または価値観を指しています。終末期においては、そこに惑わしが現れるのです。
荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つ
預言者ダニエルが言う「荒す者」とは反キリストを、「憎むべき者」とは偽キリストを指しています(ダニエル9章27節)。
聖なる場所とは神殿、神殿とは信仰者自身です(コリント第一3章16-17節)。
つまり終末期の大患難は──信仰の外側ではなく、神を語る価値観の内側──信仰者の内面に起こるのです。
読者よ、悟れ。
信仰者の内面に、反キリストや偽キリストが見えたなら──
山へ逃げよ
聖書における「山」とは信仰者の集いです。
つまり、荒らす憎むべき者がいない山に逃れなさいと言っているのです。
【マタイによる福音書 18章12,20節】
12節
あなたがたはどう思うか。
ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
20節
ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。
👉逃れる山は、百人規模のものもあれば、ふたりだけの山もあるのです。
7|結び
終末期における「信じるな、ついて行くな」という言葉は、信仰者に向けられたものです。まだ聖書の神を知らない人に向けたものではありません。
聖書の神に辿り着いたなら、人がどう言っているかではなく、聖書にどう書かれているのかを、どうかご自分で確かめてみてください。
聖書に書かれていないこと、あるいは納得できない説明を受けた場合、そこには惑わしが潜んでいる可能性があります。
あなた自身の良心の声──違和感を見過ごさないでください。
しかし、聖書の言葉を巧みに用いた惑わしもあります。実際のところ、その多くは語る側も善意であるため、真偽を見極めることは容易ではありません。
だからこそ──
「信じるな、ついて行くな」という言葉が与えられているのでしょう。
キリスト再臨が迫る中、人は不安に駆られて何かにすがりたくなるものです。けれども、その不安の中でこそ、心の奥で神を求めてください。
そうすれば──
通るべき門は開けられ、逃れるべき山に導かれるでしょう。
【マタイによる福音書 7章7-8節】
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
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