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神殿再建命令は誰の命令か──キリスト再臨預言と聖書記述を悪用する者


はじめに


この記事は、ダニエル書9章25節にある「神殿再建命令」が、メシア到来預言の起算点であるとともに、終末期のキリスト再臨の時期の考察にも影響を与えることを鑑み、神殿再建命令に関わる聖書記述を正確に読み取り、悪用による惑わしがあることを指摘し、注意喚起するものです。



神殿再建命令は、神の命令です


神殿再建命令を起算点とするメシア(キリスト)到来の預言

【ダニエル書 9章25節】
それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい
その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。

これは、ダニエル書にある有名なメシア(キリスト)到来の預言です。
「メシヤ(キリスト)なるひとりの君(王子)が来るまで、七週と六十二週ある」とあります。七週と六十二週で六十九週。つまり、キリスト到来まで六十九週という預言です。

‬一週は七日であり、ここでの一週は七年のことです。
エルサレムを建て直せという命令(神殿再建命令)が出てから、キリスト到来まで六十九週、つまり、69週×7年=483年です。

💡神殿再建命令~キリスト到来=483年(69週)
👆これは重要な預言で、この記事において何度も出て来ますので覚えておいてください。


神殿再建命令は、神の命令です

ダニエル書のこの箇所は、御使ガブリエルが神の計画をダニエルに告げたもので、エルサレムを建て直せという命令(神殿再建命令)とは、当然「神の命令」を指します。

聖書中「神が神殿再建を命令した」箇所は、ペルシャ王クロス(キュロス王)に対してのものだけです。
その命令は以下のとおりで、二箇所に同じ内容が記述されています。

【歴代誌下 36章22-23節】
ペルシャ王クロスの元年に当り、主はエレミヤの口によって伝えた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの霊を感動されたので、王はあまねく国中にふれ示し、またそれを書き示して言った、

ペルシャの王クロスはこう言う、『天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに賜わって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。あなたがたのうち、その民である者は皆、その神、主の助けを得て上って行きなさい』」。

【エズラ記 1章1-2節】
ペルシャ王クロスの元年に、主はさきにエレミヤの口によって伝えられた主の言葉を成就するため、ペルシャ王クロスの心を感動されたので、王は全国に布告を発し、また詔書をもって告げて言った、

ペルシャ王クロスはこのように言う、天の神、主は地上の国々をことごとくわたしに下さって、主の宮をユダにあるエルサレムに建てることをわたしに命じられた。

これらの箇所に端的に明確に書かれてあるとおり、神殿再建命令とは、「神がペルシャ王クロスに命令した」のです。


また、イザヤ書にも次のとおりあります。

【イザヤ書 44章28節】
またクロスについては、『彼はわが牧者、わが目的をことごとくなし遂げる』と言い、エルサレムについては、『ふたたび建てられる』と言い、神殿については、『あなたの基がすえられる』と言う」。

💡【神殿を再建せよとの命令】は、ペルシャ王クロスへの「神の命令」なのです。


考古学的年代との不整合


この神殿再建命令は、考古学的には「キュロスの勅令」と言われ、その年代はBC538-537年とされています。

ところが、聖書の記述にあるキリスト到来は、AD28年(ルカ3章)であるため、考古学的年代とダニエル書のメシア到来の預言と整合しないのです。

💡神殿再建命令~キリスト到来=483年(69週)

ルカ3章のキリスト到来の記述であるAD28年の483年前は、BC456年です。
多少の誤差があるとしても、BC456年の近辺に神殿再建命令があるはずです。

考古学的な「キュロスの勅令」であるBC538-537年は、神殿再建命令があったはずのBC456年とは、約80年(=BC538-BC456)もの差があるのです。

この大きなずれを解消するために、聖書学者(牧師も含む)は、聖書中に別の再建命令がないかを探したのです。


クロス王以外の命令らしきもの

クロス王の命令では考古学的な年代計算が合わないため、整合する別の命令がないかを検索します。
検討される聖書箇所は、以下のとおりです。

  1. エズラ5-6章 ダリヨス王「工事継続命令」

  2. エズラ7章 アルタシャスタ王「律法と神殿信仰の回復命令」

  3. ネヘミヤ2章 アルタシャスタ王「城壁城門修復許可」

これら三件について、以下に聖書箇所を引用しますが、前述のクロス王の記述のように端的に「主の宮を建てることを命じられた」のようには書かれておらず、長い文章から読み取る必要があります。


① ダリヨス王(ダレイオス王)の「工事継続命令」

長い引用ですので、太字の部分のみざっと目を通していただくので構いません。

【エズラ記 5章1節-6章15節】
5章1-17節
さて預言者ハガイおよびイドの子ゼカリヤのふたりの預言者は、ユダとエルサレムにいるユダヤ人に向かって、彼らの上にいますイスラエルの神の名によって預言した。そこでシャルテルの子ゼルバベルおよびヨザダクの子エシュアは立ちあがって、エルサレムにある神の宮を建て始めた。神の預言者たちも、彼らと共にいて彼らを助けた。

その時、川向こうの州の知事タテナイおよびセタル・ボズナイとその同僚は彼らの所に来てこう言った、「だれがあなたがたにこの宮を建て、この城壁を築きあげることを命じたのか」。また「この建物を建てている人々の名はなんというのか」と尋ねた。しかしユダヤ人の長老たちの上には、神の目が注がれていたので、彼らはこれをやめさせることができず、その事をダリヨスに奏して、その返答の来るのを待った
(中略)

6章1-15節
そこでダリヨス王は命を下して、バビロンのうちで、古文書をおさめてある書庫を調べさせたところ、メデヤ州の都エクバタナで、一つの巻物を見いだした。そのうちにこうしるされてある。

記録。クロス王の元年にクロス王は命を下した、『(略)』」。

「それで川向こうの州の知事タテナイおよびセタル・ボズナイとその同僚である川向こうの州の知事たちよ、あなたがたはこれに遠ざかり、神のこの宮の工事を彼らに任せ、ユダヤ人の知事とユダヤ人の長老たちに、神のこの宮をもとの所に建てさせよ。
わたしはまた命を下し、神のこの宮を建てることについて、あなたがたがこれらのユダヤ人の長老たちになすべき事を示す。王の財産、すなわち川向こうの州から納めるみつぎの中から、その費用をじゅうぶんそれらの人々に与えて、その工事を滞らないようにせよ。またその必要とするもの、すなわち天の神にささげる燔祭の子牛、雄羊および小羊ならびに麦、塩、酒、油などエルサレムにいる祭司たちの求めにしたがって、日々怠りなく彼らに与え、彼らにこうばしい犠牲を天の神にささげさせ、王と王子たちの長寿を祈らせよ。
(略)われダリヨスは命を下す。心してこれを行え」。
(中略)
彼らはイスラエルの神の命令により、またクロス、ダリヨスおよびペルシャ王アルタシャスタの命によって、これを建て終った。
この宮はダリヨス王の治世の六年アダルの月の三日に完成した。

この記述にあるダリヨス王の命令は、クロス王の元年に既に出されていた神殿再建命令を、滞りなく継続せよとの「工事継続命令」です。

ダリヨス王はクロス王より後の王であり、神殿再建命令は、クロス王の元年にクロス王によってなされたことが改めて記述されています。

そして神殿は、ダリヨス王の治世六年に完成したとあり、ダリヨス王より後の王であるアルタシャスタ王が神殿再建命令を発出することはあり得ないことが分かります。


② アルタシャスタ王(アルタクセルクセス王)の「律法と神殿信仰の回復命令」

①で結論は出ているのですが、この②の命令が後に悪用されることになるので、確認しておきます。
太文字部分のみのご確認で構いません。

【エズラ記 7章7-28節】
7-12節
アルタシャスタ王の七年にまたイスラエルの人々および祭司、レビびと、歌うたう者、門衛、宮に仕えるしもべなどエルサレムに上った。
(中略)
主の戒めの言葉、およびイスラエルに賜わった定めに通じた学者で、祭司であるエズラにアルタシャスタ王の与えた手紙の写しは、次のとおりである。「諸王の王アルタシャスタ、天の神の律法の学者である祭司エズラに送る。今、わたしは命を下す

13-20節
わが国のうちにいるイスラエルの民およびその祭司、レビびとのうち、すべてエルサレムへ行こうと望む者は皆、あなたと共に行くことができる
あなたは、自分の手にあるあなたの神の律法に照して、ユダとエルサレムの事情を調べるために、王および七人の議官によってつかわされるのである。かつあなたは王およびその議官らが、エルサレムにいますイスラエルの神に真心からささげる銀と金を携え、またバビロン全州であなたが獲るすべての金銀、および民と祭司とが、エルサレムにあるその神の宮のために、真心からささげた供え物を携えて行く。それであなたはその金をもって雄牛、雄羊、小羊およびその素祭と灌祭の品々を気をつけて買い、エルサレムにあるあなたがたの神の宮の祭壇の上に、これをささげなければならない
また、あなたとあなたの兄弟たちが、その余った金銀でしようと思うよい事があるならば、あなたがたの神のみ旨に従ってそれを行え
またあなたの神の宮の勤め事のためにあなたが与えられた器は、エルサレムの神の前に納めよ
そのほかあなたの神の宮のために用うべき必要なものがあれば、それを王の倉から出して用いよ

21-24節
われ、アルタシャスタ王は川向こうの州のすべての倉づかさに命を下して言う、『天の神の律法の学者である祭司エズラがあなたがたに求める事は、すべてこれを心して行え。すなわち銀は百タラントまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バテまで、油は百バテまで、塩は制限なく与えよ。天の神の宮のために、天の神の命じるところは、すべて正しくこれを行え。そうしないと神の怒りが、王と王の子らの国に臨むであろう』。
われわれは、またあなたがたに告げる、『祭司、レビびと、歌うたう者、門衛、宮に仕えるしもべ、および神のこの宮の仕えびとたちには、みつぎ、租税、税金を課してはならぬ』。

25-26節
エズラよ、あなたはあなたの手にある神の知恵によって、つかさおよび裁判人を立て、川向こうの州のすべての民、すなわちあなたの神の律法を知っている者たちを、ことごとくさばかせよ。あなたがたはまたこれを知らない者を教えよ。あなたの神の律法および王の律法を守らない者を、きびしくその罪に定めて、あるいは死刑に、あるいは追放に、あるいは財産没収に、あるいは投獄に処せよ」。

27-28節
われわれの先祖の神、主はほむべきかな。
主はこのように、王の心に、エルサレムにある主の宮を飾る心を起させ、また王の前と、その議官の前と王の大臣の前で、わたしに恵みを得させられた
わたしはわが神、主の手がわたしの上にあるので力を得、イスラエルのうちから首領たる人々を集めて、わたしと共に上らせた。

これも非常に長い引用で申し訳ありませんが、端的に書かれていないため、単純に抜き出せないのです。
この箇所の記述は、アルタシャスタ王から律法学者である祭司エズラへの手紙で、要旨は「律法と神殿信仰の回復命令」であって、神殿再建命令ではありません。
手紙の全体は、以下のとおり要約できます。

  • 13-20節:律法と神殿信仰の回復命令

  • 21-24節:信仰のための財政支援命令

  • 25-26節:律法の復興と法による統治命令

つまり、
神殿は既に完成しており、ペルシャのアルタシャスタ王は、統治下にあったイスラエルの民や祭司たちがエルサレムへ自由に帰還すること許し、神殿信仰の再興を支援したのです。


③ アルタシャスタ王(アルタクセルクセス王)の「城壁城門修復許可」

次は、アルタシャスタ王の治世第二十年のものです。この記述も後に悪用されますので、確認しておきます。
太文字部分をご覧ください。

【ネヘミヤ記 2章1-8節】
アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月に、王の前に酒が出た時、わたしは酒をついで王にささげた。これまでわたしは王の前で悲しげな顔をしていたことはなかった。
王はわたしに言われた、「あなたは病気でもないのにどうして悲しげな顔をしているのか。何か心に悲しみをもっているにちがいない」。

そこでわたしは大いに恐れて、王に申しあげた、
「どうぞ王よ、長生きされますように。わたしの先祖の墳墓の地であるあの町は荒廃し、その門が火で焼かれたままであるのに、どうしてわたしは悲しげな顔をしないでいられましょうか」。

王はわたしにむかって、「それでは、あなたは何を願うのか」と言われたので、わたしは天の神に祈って、王に申しあげた、「もし王がよしとされ、しもべがあなたの前に恵みを得ますならば、どうかわたしを、ユダにあるわたしの先祖の墳墓の町につかわして、それを再建させてください」。
(中略)
わたしはまた王に申しあげた、「もし王がよしとされるならば、川向こうの州の知事たちに与える手紙をわたしに賜わり、わたしがユダに行きつくまで、彼らがわたしを通過させるようにしてください。また王の山林を管理するアサフに与える手紙をも賜わり、神殿に属する城の門を建てるため、また町の石がき、およびわたしの住むべき家を建てるために用いる材木をわたしに与えるようにしてください」。

わたしの神がよくわたしを助けられたので、王はわたしの願いを許された

この箇所も長いですが要約すれば、落ち込んでいるネヘミヤを気にしたアルタシャスタ王が「あなたは何を願うのか」と声をかけたところ、町の城門が焼かれたままになっているので、神殿に属する城の門や石垣を再建させて欲しいと願ったところ、王はその願いを許した、という内容です。

これは「城壁城門修復許可」であり、神殿の再建命令ではありません。この時には、すでに神殿再建は終わっているのです。


以上のとおり、最初に見たペルシャ王クロスの明確な「神殿再建命令」以外のものは、どれも神殿再建を命令するものではなく、まして神の命令ではありませんでした。

既に述べましたが、聖書の記述にあるキリスト到来は、AD28年(ルカ3章)であるため、聖書の記述を信用するのであれば、クロス王の神殿再建命令は、AD28年の483年前であるBC456年になるのです。

💡神殿再建命令~キリスト到来=483年(69週)
💡聖書におけるキリスト到来はAD28年(ルカ3章)
💡クロス王の神殿再建命令はBC456年


考古学的年代に整合させる試みは、神の奥義か?


前述しましたが、ペルシャ王クロスによる考古学的な「キュロスの勅令」は、BC538-537年とありました。

この年代は「神殿再建命令~キリスト到来=483年」とは、考古学的には●●●●●●整合しませんでした。

言い換えると、考古学的年代は、聖書記述に整合しないと言えます。

ところが、学者(考古学・歴史学・聖書学の学者)というのは知恵が働くもので、次のようなニンゲンワザを繰り出して、考古学的年代と聖書記述を整合させようとするのです。


アルタシャスタ王の「律法と神殿信仰の回復命令」の悪用

②のアルタシャスタ王の命令は、「アルタシャスタ王の七年」とありましたが、この考古学的年代がBC457年であるとされています。

定説では、アルタシャスタ王(アルタクセルクセス王)の治世はBC465-424年とあります。
治世のカウントは即位年の翌年から数える(非即位年制)とされ、BC464年が治世第一年となり、治世第七年はBC457年になります。

BC457年の483年後が、AD27年となり、なんと、AD28年(ルカ3章)と一年違いという年代が出てくるのです。

これは聖書預言の成就に違いない!と色めき立つ気持ちも分からなくはありませんが、そもそも②の命令は、神殿再建命令ではありません。

実はこれは、イエスの時代(AD20~30年代)の483年前を検索したところ、(考古学的年代の)ほど良いところに②の命令があったので、②を神殿再建命令として悪用し、さらにルカ3章のキリスト到来であるAD28年を、本来の暦と別の暦を探し出し都合よくAD27年となるように解釈してしまうという、ニンゲンワザを繰り出しているのです。

聖書学者(牧師も含む)は、考古学者の「定説」に引っ張られ、考古学的年代と聖書預言との辻褄を強引に合わせようとしているのです。

まったくもってナンセンスなのです。

そして、この説を推している人々は、AD27年の2000年後のAD2027年にキリストが再臨するのでは、と唱えます。

神殿再建命令の選択も年代も、まったく間違えているのですが、キリスト再臨計画の預言に関しては、結果的に聖書から算出した下の記事と近いところに来ています(笑)

ところが、患難前携挙説を信じている人々にとっては、再臨の七年前に携挙される必要があったのですが、AD2027年の七年前であるAD2020年は、すでに過ぎてしまっているので、別のニンゲンワザを繰り出すことになるのです。


アルタシャスタ王の「城壁城門修復許可」の悪用

今度は、③のアルタシャスタ王の「城壁城門修復許可」の悪用です。

③の許可は「アルタシャスタ王の第二十年、ニサンの月」とあり、この年代は、先ほどのBC464年がアルタシャスタ王の治世第一年とすると、第二十年のニサンの月(現代の暦で一月)はBC445年になります。

BC445年の483年後は、AD39年です。
これを受けて通常なら、③は命令でもないし年代も合わないな、となるはずです。

しかし、このBC445年を「神殿再建命令~キリスト到来=483年」と整合させるために、聖書学者(牧師も含む)は次にようなニンゲンワザを繰り出します。

① 聖書では一か月を30日
 一年を360日と数えるとし、
② 483年を日数に直すと
 483年×360日=173,880日
③ これを現代の暦(太陽暦)に換算すると
 173,880÷365.25=476.05…年
④ BC445年の476.05…年後は、AD32年
になるというのです。

そして、AD32年がキリスト磔刑の時期に近いことから、これをキリスト到来として、ダニエル書の預言と整合させようとするのです。

これはもう、あきれてものが言えない。

この説を推しているのは患難前携挙説を妄信している人々で、AD32年の2000年後のAD2032年にキリスト再臨があるとし、その七年前であるAD2025年の9月(ユダヤのラッパの祭りの時期)に携挙が起こり大患難時代が始まると息巻いています。

神殿再建命令の選択も年代も間違えているうえに、173,880日?、まったくデタラメです。
AD2025年に携挙は起こらないでしょう
AD2025年に携挙が起こらなかった時に、彼らは目覚めることができるのでしょうか。

彼らには下の記事を読んでもらいたいと切に願います。

再掲しますが、
💡神殿再建命令~キリスト到来=483年(69週)
💡聖書におけるキリスト到来はAD28年(ルカ3章)
💡クロス王の神殿再建命令はBC456年

このように読み解くことによって、

👉アダム創造からキリスト到来までが、ちょうど4000年となり、キリスト到来に2000年を足して、6000年になると言えるのです。

②や③の聖書記述が神殿再建命令だとすると80年以上の年代がずれることになり、アダム創造からキリスト到来まで、ちょうど4000年にならないため、キリスト到来に2000年を足すという操作の意味をなさないのです(2000年を足しても6000年にならないのに、なぜ2000年を足すのかということ)。


おわりに


これらの迷走の原因は、聖書を預言として正しく読解せず、学者(考古学・歴史学・聖書学の学者)の見解に信頼を置いている(置きすぎている)ことにあります。

聖書は歴史書の側面はもちろんありますが、史実を取り入れた預言書なのです。

聖書預言は、聖書の中で解くものです。
それを科学的に分析しようと聖書の外に証拠を求めると、整合しない情報にぶつかり聖書を信じれなくなるのです。

考古学的な年代と聖書年代との不一致があった場合、どちらに信頼を置くのかが問われているように思います。


最後に歴史の面から、年代を特定するのに極めて信頼性の高い情報が書かれた箇所を紹介します。
ローマ皇帝の在位年です。


📕キリストの到来の記録

【ルカによる福音書 3章1-23節】
皇帝テベリオ在位の第十五年、(略)、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。
(中略)
民衆は救主を待ち望んでいたので、みな心の中でヨハネのことを、もしかしたらこの人がそれではなかろうかと考えていた。
(中略)
さて、民衆がみなバプテスマを受けたとき、イエスもバプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊がはとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から声がした、

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。

イエスが宣教をはじめられたのは、年およそ三十歳の時であって、人々の考えによれば、ヨセフの子であった。


「皇帝テベリオ(ローマ皇帝ティベリウス)在位の第十五年」とは、AD28年(西暦28年)のことです。

この年にイエスはバプテスマを受けたとあり、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」と天から声があったとあるように、イエスが神に是認されたこの瞬間が、キリストが到来した時でした


💡アダム創造からキリスト到来までが、ちょうど4000年で、その年は西暦28年でした。

つまり、

✅アダム創造から6000年目は西暦2028年であると、聖書から読めるのです。



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