初夢のモラトリアム
私の出遅れた初夢は二日の深夜から三日未明にかけてやってきた。
言うなればペストマスクに黒マント、手には禍々しいステッキを持って。
窓の外ではちらちらと雪が舞っている。
シャリ……シャリ……と微かな着地音を響かせている。
私は夢遊病者のようにふらふらと起き出して、右へ左へ揺れながら階段を降りる。
何の迷いもなく食糧庫の扉に手を掛けた。
氷のような床にへたり込み、甘いような苦いようなふわふわとした黄金色にかじりつく。
飲み込むたびに喉から食道、胃にかけてじわじわと灼け焦げていく感覚がする。
頬が燃えるように熱い。
ただでさえぼんやりとしていた頭に靄がかかる。
心臓は何者かに握られたような心地悪さでバクバクと暴れている。
その何者かの手から逃れようとするかの如く。
土は白く染まることなく私の意識と共に夜の色と一体化したまま湿り続けていた。
という具合に何かをはき違えたミステリー小説のような始まり方をしているが、要はまた体重200キログラムの人間が夜中に余分なカロリーを迎えに台所に馳せ参じた記録に他ならない。
もっともらしい言葉で「恥」をコーティングするな!
こういうのは剥がれる瞬間が一番見苦しいんだから!
それはさておき、初夢用の夢が新年早々モラトリアムを楽しみ過ぎたらしく一日の猶予を経てやってきた。
──二度あることは本当に三度あった。
過去二回、金縛りにあったことがある。
そしてこの度三回目を無事、済ませた。
それも、あろうことか初夢。
しかも、台所で。
それは突然やってきた。
肋骨をグイとおさえつけられるような感覚。
体感としては左第五〜八肋骨、右第六肋骨が折れた。
何で実際には折れたこともないのに「ああ、これね。このぶんじゃだいぶいっちゃってる。うん、いっちゃってる。」と知ったかぶるんだろうか。
しかも、知ったかぶった挙句実際には何もなっていない。
……人間ってのは知ったかぶる生き物なのだろうか。
それが悲しきかな、我々の本能なのかもしれない。
おお、いやだいやだ。
でだ。
今回の金縛り、とにかく「無」なのだ。
白い服の女とか死んだじいちゃんが、なんてことはなくてただ黄緑色の芋虫の体液みたいな色の光が不気味に点滅していた。
鉄塔のてっぺんのファーン、ファーンと妙な余韻を残すライトのように。
「無」の中で聴覚だけがひたすらに研ぎ澄まされている。
いや、むしろ耳というより脳に直に音の爆撃をくらった感じ。
───空蝉文庫新人賞、大賞は後藤帆奈美さんです!
鮮明に覚えている。
空蝉文庫新人賞も後藤帆奈美さんも存じ上げないが、とにかくこの謎の賞と謎の人物の名前をはっきりと。
そして“誤作動”だと信じたい精神活動が爆発的に起こったことも。
夢から覚めている現実を生きる私は空蝉文庫新人賞も後藤帆奈も全く知らない無関係なとるに足らないどうだっていいものだ。
が、夢の中でがんじがらめになっていた私にとって空蝉文庫新人賞は絶対にとらなければならない賞だった。
そして、後藤帆奈美はライバルだったらしい。
──空蝉文庫新人賞、大賞は後藤帆奈美さんです!
この言葉が呪いのリフレインの如く何度も何度も頭の中で鳴っていた。
背後にはシュイキィィィィィィィン……と不愉快な高音が流れている。
「ああ、いやだ!」
耳を塞ぎたいのに腕も手も動かない。
身体の横にガッチリと貼り付いている。
皮膚の感覚だけは生きていて、目尻から耳の穴に向かって熱いものがつたっていくのがわかる。
過ぎた後は痛痒い。
左耳に入り込んだそれが不愉快に身体半分をくぐもらせる。
彼女の新人賞受賞をまざまざと見せつけられた私は、
「クソ、クソクソクソクソ……!!!!」と叫んでいた。
金縛りにあっていても、心の声だけは出せるらしい。
……悔しい。
「私の方が……!」
こんな生々しく鼻がひん曲がりそうな感情が全身を支配する。
それと同時に素直に喜べない自分が哀しい。
……激しく自己嫌悪しているんだ私は。
だって、人の成功を素直に喜べなかったんだぞ!
しかも、「ボクチンの方が素晴らしいのにィ!」的な気持ち悪いことまで思っちゃってんの。
びっくりじゃない?
だって、空蝉文庫新人賞には応募すらしてないのに。
そもそもそんな新人賞どこにもないのに。
後藤帆奈美だって、名前はおろか顔すら知らないのに何でここまで私は妬ましく感じたのか。
ああ……ジョバンニ。
私は私が怖いわ……!
いいえ、無意識のうちに私の穢い部分が人間の形をしているの。
それがいつかきっと人を殺めてしまう……
「ジョ……ジョバンニ……?」
「ああ! ジョバンニ!」
「ジョバンニ……」
「ウヒイイイイイ!!!! ド日本人!!!!」
よっぽど台所が騒がしかったからなのか竹刀を持った天野が私の顔を覗き込んでいる。
「泥棒でも入ったかと思ったよ。 ギャアアアア!! なんて聴こえるし、来てみたら倒れてるし……」
「だがしかし、私が台所で倒れているのは日常茶飯事だから問題なしだな!」
謎にグッドラックのポーズをかますワシ。
いやいや、台所で倒れているのが日常茶飯事ってのはどう考えても問題だろ!
ほら、寝るよと天野に腕を引っ張られたがさすがに歯を磨きたい。
奴はケツをボリボリかきながら去っていった。
汚じさんじゃねえか!
しかし、おわかりいただけないだろうが私はほとんど闘争心がない生物である。
サバンナで熱風に揺れる草くらい、ない。
稀に爆発的に「ぐぬぬ」となる時があるが、そういう時でもあまりそれを表には出さない。
仮にそのぐぬぬ、な対象にめでたいことがあったとして、それは素直に喜べるタイプだ。
だがしかしだ。
初夢によれば私の中は、
「よかったね……うれしい。私もうれしい!」
なんて祝福を述べると反吐が出るらしいのだ。
いかんせん穢い部分が人型になった奴にとってはそれが“心にもないこと”だから。
あの胸骨をバッキバキにおられている間中、
「あんたの作品を前に我が心動かざるは山の如し!」
と思っていた。
ちなみに、後藤帆奈美の受賞作のタイトルは『呼吸の主導権はハンバーガー』だった。
これはいかにもSNS映えしそうなエモ構文に終始していて、X(旧Twitter)を中心に火がついた話題作。
御涙頂戴と後ろ向きギャグ、章末はほとんど必ず主人公がハンバーガーやらフライドポテトの“カロリーを抱きしめて”眠る。
ああ……反吐が出る!
夢によって暴かれし我が本性と言ったところだろうか。
と言おうと思ったら素でエモを毛嫌いしていたという事実が浮き彫りになっただけであった。
しかしながら、金縛りにあいながらの初夢というのも、なかなかに乙なものだ。
というのは強がりで、硬直が解けた時身体は嫌な汗でぐっしょりと濡れていて心臓は破裂しそうな程に強く拍動していた。
一度、目を閉じる。
右側切歯の裏に何かこびりついている感覚がある。
舌で押してみると、ほのかにブランデーの苦味を感じる。
ああ……そうだ。
ブランデーケーキだ。
……台所の床に寝そべって小説みたいなことを言うな!
まどろっこしいんだよ。
とにもかくにも不快だった。
そりゃあそうだろう。
台所の床なんだから。
なお、一度目の金縛りは月代がテラテラ輝く落武者が腹の上に乗っていた。
こやつは垂れ下げた鬢がツヤッツヤで、「パンテーン」を連呼してきた。
くそう……金縛りデビューもとい金縛りヴァージンをよくわからん枝毛のない落武者に奪われるとは……
我が不徳の致すところなり!
二度目は金髪の自称アイルランド人の女性。
「ステファンを返して!」とエアコンの下で叫んでいた。
「セロファン?」とボケをかましたかったが口まで固まっていたのでできなかった。
それにしたって夢ってのはいいよな。
年が変わればリセットされて、また無に返って「こんなの初めて……」とか言っても怒られやしないんだから。
でもな。
新年早々自分の汚いところをありありと見せつけられてとんでもない幕開けとなっちまった2026。
とりあえず後藤帆奈美様、どなたか存じ上げませんがこの度は空蝉文庫新人賞受賞おめでとうございます!
ただ私はカロリーは抱きしめたくないです。
カロリーを燃やしながら眠ります。
そして私は今年も支離滅裂な世界を生きてやる。
妙な野心を抱きしめながら。
↑
あのゆきお様が私の初夢が教材だったら、という世界線を作ってくださいました。
びっくり。
気分は二葉亭四迷です。
ああ……この感じで網タイツ教師ナオミに授業してもらいたい!
↑
ナオミである。
↑
歳神様が門松の竹に刺さる日々も終わりましたね。
↑
夢って大体不可解で理不尽。
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ポテトチップスよりも
お・ぬ・し