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『殴り殴られ詩人酒場』ep.85「初暮れの沈陽」

──淺井あざいさん、淺井さん。

うつらうつらしていた。
夢のたかどのを昇らんとした時のことであったから、少々むずかるの心持ちで立ち上がり、壁づたいに玄関へと向かった。

「なんだい、玉田君。またきのこ食いにきたのかい?」
「まさか。まあ、あるんならもらいたいとこですがね。」
「はあ……まァたモノズキなもんで。で、今日は何しに来たんだい?」
「何もにも……淺井さん、、、、宛に郵便で……」
玉田君はどういうわけか俺の方をちら、ちらと見つつ、やたらに大きな肩掛け鞄をごそごそやっている。
「あいにく、本当の、、、、淺井さんは寝っこけちまっててね……」
彼はいよいよ困り果てたのか、三和土たたきに鞄を下ろし、中を探り始めた。
俺もつられてあがかまちにしゃがみ込む。

「なんだい、朔ちゃん。お客さんかい?」
背後うしろから、寝ぼけかすれた声が聴こえた。

「あった……」
ようやく玉田君は顔を上げた。
瞬間、「失礼しました!」と叫び、俺の胸元に紙束を押し付け走り出す。
俺は急いで草履をつっかけ表に出て、彼の背に声をかけた。
「滑るんでないよ!」
遅かった。
二軒先のところで玉田君はよろけ、つんのめっていた。
彼は振り返りもしないで手の甲だけで何か言ってる。
なんだかわからないので「大丈夫」ということにしておいた。

俺は玉田君が押し付けていったものに目をやった。
どうにもそれは年始状の束らしい。
先頭にはイヨさんに宛てられたものがある。
束ごと裏にしても、それもまたおそらくイヨさん宛である。

「淺井さん、郵便です。年始状です。」
俺は玄関で郵便屋の声を出した。
「はいよ。」
と返事はあるが、出てくる気配はない。
「なんだい、イヨさん。つれないじゃないか。」
俺は文句を垂れつつ部屋の畳の縁を踏む。
イヨさんはもう長卓に戻って青い壜を傾けていた。
俺は彼女の背後から年始状の束を差し入れた。
するとようやく振り向いて、
「おや、これまたずいぶん男前の郵便屋だこと。」
と横眼に酒の息を吐いた。
解けたひっつめの横顔は相変わらず、のぼせた色をしている。
「|山姥……」
「人の顔見て……失礼な子だね!」
「失礼なもんか。イヨさんが山姥で俺が金太郎だ。」

イヨさんは黙って束を分け始めた。
俺は何をするでもなく、片眼を閉じ酒壜越しの縁側を眺めていた。

「朔ちゃん、あんたにも来てるよ。」
「え?」
どこで嗅ぎつけたのか、ただの一枚ではあるが自分宛の年始状が届いていた。

──上原朔也様

むず痒さに震えた。

「朔ちゃん、この人はずいぶんと達筆だね。」
「ああ、こりゃああれだ。寄宿舎の一個上の……」
「どんな人だい?」
「どうって……お。お役人になってらァ!」
「へえ……で、どんな人だい?」
「だからお役人だって……」
「そうじゃなくってサ……」
「だから寄宿舎の一個上の……」
「ああ、もう! 朔ちゃん。あんた、察しが悪いね! 男前は達筆って相場で決まってんだ!」
「あ……ああ……」
「で、どうなんだい? 平八郎へいはちろうかい? それとも……朔太郎さくたろうかい?」
朔也さくやは?」
「馬鹿言え! あんたは見飽きたよ!」
「ひっでェな……」
俺はしょげたような声を出してみた。
「冗談だよ。で、どうなんだい?」
「まァ、強いて言うならみのるだな。」
「そりゃあいい男じゃないか!」
彼女は俺に宛てられた唯一の年始の便りをいつまでも抱きしめていた。

夕刻前、俺は縁側の障子を音の無いようにひいた。
「おや……寝ちまったよ……」
「悪いね、起こしたかい?」
イヨさんは長卓の上の蜜柑をひとつ剥き始める。
半分に割ると花の如く開いた皮に乗せ、俺の席へ置いた。
向かいあって、蜜柑を喰った。
障子を透かし、甘酸っぱい色の夕陽が差してきた。
歪に明るむ床や畳を見遣り、イヨさんは言う。

「あれ、そのうち直してくれるんだろうね?」
「ああ。そのうち……」
音を吸いすぎた雪が崩れる。
外套と襟巻ストールは、部屋の壁で黙っている。

イヨさんは空になった壜を横倒しにしたまま、いくつものあくびを中空なかぞらへと浮かべた。

「寝んなら蒲団でな。」
「ああ……」
案の定、彼女はその場で寝息を立てる。
俺宛の年始状は彼女の夢の中にある。

障子紙の毛羽立ちを煌めかせた橙が白くぼやけ始めた。

月が、変わり映えのない真新しい街をいつも通りに眺め下す。
俺の方も変わり映えのしない月を見上げ、こう呟くのだ。

「そのうち。」

を開けて見る夢に飽きたら、俺もまた夢のたかどのを昇ろうか。


【創作大賞2026】
オールカテゴリ部門エントリー中。
大正の正月でございます。



前回の酒場。


【習作】
これに出てくる暗渠、どこでしょう。


【エッセイ】
私がアイドルだった時の話です。


ゆきお様・解説
山姥についても解説してくださっています。
最近、詩人酒場の人物たちが私の脳内で見せるものには正直知らない学術系、芸術系のものが出てくるので調べるのに時間がかかる。
故に更新が間に合わない。

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