瓦礫残らず花が咲く
高一の冬、雪が降った。
東京生まれ東京育ちたちは皆、窓の外に目を奪われている。
先生と私だけが憂いを帯びた瞳で頬杖をついたまま、遠い目をしていた。
見かねたユリナが私の口に冬季限定ホワイトチョコレートのポッキーを突っ込む。
甘ったるいホワイトチョコが溶けるとほろ苦いココアプレッツェルが崩れてくる。
口の中に広がる絶望と憂いの原因とががっちりと手を繋いでしまい、私は机に突っ伏した。
「ちょっとちょっとー。何? どうした?」
私の感情はぐちゃぐちゃだ。
目が熱くて、多分鼻は真っ赤だ。
もう顔は上げられない。
雪と、テスト明けの開放感からかテンションが寒空を貫いていったクラスメイトたちが歌い始める。
──雪やこんこ 霰やこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も綿帽子かぶり
「瓦礫残らず花が咲く」
終わった。
私の感情が終わった。
一番古い記憶では、保育園の年中の冬だ。
四歳だった私は保育園でこの歌を歌いながら泣いていた。
「ねえ、大丈夫?」
肩を揺らされた私は、意を決して顔を上げる。
「え? 嘘……何? どうしたの!」
ポッキーを半分くらい口から出した状態でぼろぼろと涙を流している私。
私は残りのポッキーを左手の親指と人差し指で摘み、ゆっくりと話し始めた。
「ねえ、ユリナ。雪やこんこの歌詞、知ってる?」
「知ってるも何も今みんなが歌ってるじゃん。あ……えっと山中君と私とあんた以外。」
「え?」
振り向くと、毎度のことながら感情の有無も血液が流れているのか否かも不明な山中君が文庫本を開いた状態であらぬ方向に真っ直線に視線を送りつけている。
多分、また視線で収斂火災を起こす練習をしている。
またも何もそれは私の妄想に過ぎないのだが。
「あの本何か知ってる?」
「知らないよ、知りたくないよ。」
「太宰治の人間失格。」
「え。」
「え。」
「何で知ってんの?」
「この間おしっこ漏れそうな時に急に言われた。これ人間失格だよって。」
「え。」
「え。」
「あ、私が人間失格ってことか?」
「いや、わかんないけど。」
毎回膀胱に拷問を加えてから用を足しに行くことが、アンドロイド的クラスメイト、ミステリアス山中の逆鱗に触れた可能性が浮上し戦慄する。
涙は乾いていた。
「で、雪やこんこの歌詞だっけ?」
「そう。」
──雪やこんこ……
ユリナの透き通った声に鼻の奥がツンと痛む。
──霰やこんこ……
喉奥に熱いものが込み上げてくる。
──降っては降っては ずんずん積もる……
視界に水が混ざり始める。
山も野原も綿帽子かぶり……
──くる……!
「だめ! だめ! ストップ! シャラップ!」
「え? っていうか歌えっつっといてシャラップとは何事ぞー!」
「歌えとは言っておらん!」
「で、何? 何がだめだったの?」
「歌詞が辛過ぎんの。」
「何が?」
「こんなにも辛いのに、明るい曲調。無理にでも前を向く少年が不憫でならん! 世の不条理!」
「え?」
古典担当の担任が憂いの抜けた顔でユリナの真横で興味津々の目をしている。
「山も野原も綿帽子かぶり、どうぞ!」
「瓦礫残らず花が咲く」
「え。」
「え。」
ブフッ!
ブホッ!
担任とユリナが同時に吹き出した。
「いや待って! あまりにも……あまりにもラルク過ぎん? 世界観、ラルク過ぎん?」
「ヒィィィイ! あんた達世代じゃないでしょラルク! なのに、あまりにもラルク!」
おい、笑うな!
しかも、二人して笑うな!
「“瓦礫”じゃなくて、“枯れ木”だよ、か・れ・き!」
「え?」
嘘だろう、嘘だと言ってくれ……
私の十一年間を……冬のたびに憂い鬱ぎ込んできた十一年間を……返してくれ。
あの歌を歌うたび、涙を流しながら情感たっぷりに歌ってきた私は一体なんだったんだ?
ただの不審者じゃないか!
私は十一年分の辱めを今、まとめてくらっている。
同時に自分が生まれつきのスピード狂ならぬ、根っからのラルク思考だと知り
どういう顔をすればいいのか全くをもってわからなかった。
とんでもない聴き間違いをした挙句、見当違いの解釈をこの曲に与え続けてきた。
「グハハハハハ!!!!」
「何その悪魔的笑い!」
ここでウエストミンスターの鐘が鳴る。
キーンコーンカーンコーン……
雪のせいだろうか。
生徒たちの声の混ざり合う中でも、澄んで耳に届く。
私の十一年間が瓦礫と化し、その上に降りしきる雪。
私に残されたのは、とち狂うことのみ。
いや、普段からとち狂っている。
「I lose controlだ! I dead then my instinct was bornだ!」
「やめて怖い。歌と会話の音程混ぜるのやめて。っていうか、lose cotrolしていることに気付いたの今なの? 私、入学式の翌日には気付いてたよ?」
「その曲、私が若い時に流行ってたよ!」
二人の言葉はもちろん耳に届いている。
意味も理解している。
しかしすでに私の意識は、瓦礫の残らず花が咲いている世界に大股で一歩踏み込んでいる。
私は現実に残る右足を幻想の世界へと引き摺り込む前に二人に問いかけた。
「準備はいいか?」
「え?」
「え?」
「……準備はいいか?」
「あ、先生の方は準備はいいですか?」
「私の方も敬語にして。親しき中にも礼儀ありだから。」
「はい、すみません。」
「準備はいいですか?」
「はい!」
「今から君たちを……」
「自由への招待!」
「いや違うから、そんな爽やかな曲調じゃないから!」
“今だけ特別、許せよ毒舌”と言う勇気もなく、なんとも格好のつかないままY'Omogi-en-Cielのライブは始まった。
──争いは終わった。
破壊し尽くされた街、彷徨える人々。
街も人も、空も、何もかもが傷だらけだった。
犬の足跡が雪の上を蛇行しながら西へと向かっている。
父さんは何も言わなかった。
ただ、ただ微笑んでいた。
崩れゆく世界に飲み込まれていくその姿に、僕は手を振る。
僕は右足を引きずりながら犬の足跡を追う。
見上げた空は果てしなく白く、仄暗い。
痛みを痛みと感じることは罪だと言わんばかりに。
諦念と絶望とを絡め取ったかのような灰雪が舞う中をひたすらに進んでいく。
変わり果てた世界、ちぎれた地図。
きっと今、方位磁針など無力だ。
土けた緑色の上着の右ポケットにそれは入っている。
でも、見るものか!
茶色の革製のブーツは右足ばかりが重く湿っている。
右足を引きずった後の地面には痛々しい街が剥き出しになっている。
降り積もった雪はまるで、傷を庇う天使のよう。
僕には自分が、傷をえぐる悪魔のように思えてならない。
どうすれば……
後にも、先にも瓦礫が積み重なっている。
薄らと白いヴェールを被り柔らかな光を放っている。
ここは、夢だろうか。
犬の足跡はここで止まっている。
姿は見当たらない。
しんと静まり返った街。
先程まで聴こえていたうめき声が消えている。
いや、心臓が頭の方へ移動したかのような拍動で耳が圧迫されている。
頭が苦しい。
手も頭も熱い。
胸だけがいやに冷たい。
その場に膝から崩れ落ちる。
引きずる右足で剥き出しにした世界に新芽のような柔らかな緑色の草が揺れている。
目を疑った。
強く、強く目を擦ってから再び目を凝らす。
焼け落ちた学校には薄青色の花が咲いている。
木材だけになった家々にも、粉々のレンガにも、全て残らず薄青色の花が咲いている。
誰のものかもわからない銃にも、ナイフにも、そして不発弾にも全てだ。
しかし、誰もいない。
僕以外、誰もいない。
足元の花を摘もうと前屈みになった時、胸ポケットから方位磁針が落ちた。
薄青色の上で錆びた針はぐるぐると回り続けている。
顔を上げる。
一心にその儚げな青を網膜から脳へと送る。
記憶全てをこの色に塗り替えたくて。
否、脳に染み込ませたくて。
背中を傷の癒えた街の表面につける。
空が見える。
どこまでも白い空は、優しく明るい。
光に飲み込まれていく。
僕はその白の奥の奥にまで目を凝らした後、目を閉じた。
しばらくして額に柔らかな冷たさを感じる。
それは水に変わり、ぬるまり、また消える。
頬に、鼻に、顎に。
首に、腕に、胸に。
柔らかな冷たいものはしんしんと降り積もっていく。
やがて世界と僕の身体とが一緒になった時、そこはどんな色をしているの?
──争いは終わった。
破壊し尽くされた街、彷徨える人々。
街も人も、空も、何もかもが傷だらけだった。
だがそれは、重なり合った透明の下で静かに眠っている。
西へと続く足跡に続く痕跡は、歪さの傍で止まっている。
──瓦礫には残らず、花が咲いていた。
マイクをステージに置き、跪き白い照明を見上げた私は頭の芯まで冷え切った感覚を覚えていた。
ユリナは顔面のパーツを失っている。
もちろんマイクなんてないし、白い照明ってのは教室の蛍光灯だ。
普段なら厨二心をくすぐらない猛烈につまらない光も今日ばかりは十五歳の拗らせた妄想の影を色濃くすることに力を貸してくれている。
涙腺のみならず身体のあちこちが緩んでいる担任が
ぼたぼたと、窓の外の雪にはならなそうな熱帯の雨みたいな涙を流しながらなぜか屁をこいた。
「ごめん、今先生の屁で世界観が瓦礫と化したね……」
とおんおん泣いている。
その涙は主に屁に対する恥だろうが!
程なくしてあのアンドロイド……ではなくて、アンドロイドかもしれないミステリアスなクラスメイト山中君がズイズイと人間臭く近づいてきて大真面目な顔をして言う。
「花はネモフィラ。花言葉は“あなたを許す”。瓦礫に咲いた花は……」
ひとしきり自分の解釈を述べて廊下に消えていった。
枯れ木と瓦礫……
確かにどちらも「生」と少し離れたところに位置しているが、だいぶイメージが異なる。
私の中では枯れ木はやや希望を込めた「終」。
瓦礫は、ひたすらに絶望、絶望のその先も絶望。
終わりのない「終焉」という、あの学年主任のA藤先生の名言「問題外の外」並みに目が回るアレ。
【問題外の外】
常軌を逸しているさま。
「有り得ない」ほどひどい。
※物理的に考えていると目が回るので注意
ほどなくして、この歌詞を作った人物が武笠三という人物であることが判明する。
「これ、なんて読むの?」
「タケ・カサゾウ」
「え?」
「タケ・カサミ」
「絶対違う!」
「ブ・リュウサン」
「何その四川料理の達人みたいなのは。」
一向に作詞家の名前が読めないユリナと私は好き勝手言っている。
主に私が好き勝手言っている。
「あ、それムカサ・サンって読むんだよ。」
「え。」
「え。」
「え?」
「百歩譲らなくてもムカサはいいとして、サン?」
「sun?」
「son?」
「いやいやthree!」
「いやもうそれトトロのさつきちゃんが“ごがつちゃん”になるくらいの……」
「それを言ったら君らが隣のクラスの早苗ちゃんのことをサンちゃんって呼んでることの方が以上でしょ?」
確かにそうだ。
「三」は「サン」だか「早苗(サナエ)」は「サン」では……
「いや、先生。サナエはS・A・N・A・E。S・A・N、サンです。」
「うっわ、ほんとだ!」
世紀の大発見みたいな顔をしているが、大したことではない。
名前をバラバラにされた早苗を憂う。
自分でやっておいて憂う。
私が少年だと信じてやまなかった彼は武笠三(四十歳)だった。
で、そもそも「雪」に一人称の歌詞はない。
もう自分の妄想力が栄華を極め過ぎてて怖い。
金と知識は貧困層のくせに妄想力だけは富裕層なのだから困る。
こうしている間にも雪はズンズンと積もっていき、中央線が走ることを諦めた。
レールは埋まり、中央線ユーザーのそれ以降の予定及び鉄道会社職員のノー残業デイ(かどうかは知らん)は崩れ落ち、瓦礫となった。
それでも雪は止むことなく舞い降りてくる。
瓦礫残らず花が咲く。
白い、白い、雪の花。
いまだに「雪」は私を苦しめる。
もちろんひとつは自身の勘違いから生まれた灰色の世界のせい。
もうひとつは……雪掻きである。
今年はまだだが、気温が下がるたび戦慄している。
次に瓦礫と化すのは私の腰だと怯えた瞳をしている。
だがしかし、脳が間違いを信じることをやめない限り私は冬が来るたびhydeになれる。
だからもう少し、このままでいさせて。
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ユリナの結婚時々カツカレー、ところにより小泉八雲。
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屁をこいた担任が屁をこかなかった時の話。
【そのほかの聞き間違い】
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お・ぬ・し