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変な猫の夢を見た私は漱石を怒らせたい

何日か前、ものすごく長い猫が夢に出てきた。
そいつは、人んちの畑のさつまいもを葉やツルごとズルズル吸い込んでいた。

そうだな、蕎麦か何かを食っているようだったな。

で、あまりにも不気味だったから途中で起きた。
いや違うな。
普通に中途覚醒ってやつだ。

そんでもってトイレに行って用を足していたら突然、

「あ、漱石怒らせたろ」

と朧げに思った。

あの、脳内で関東の人間がやりがちなあののっぺりしたエセ関西弁で降ってきた。

このわけのわからない思考が。

それでもってどうしたら漱石怒るかなと枕に頭をどさどさ落としながら考えてみたところ、
『吾輩は猫である』の主人公を猫から書生に変えちまおうという結論が出たんだな。

だがな、
漱石ってのはなかなか懐の深い人間でそう簡単には怒らなそうなのだよ。

いかんせん、
正岡子規に“鰻おごるおごる詐欺”されても怒らない。
なんなら子規が食った諸々の分まで文句も言わず、払う。
挙句「金貸して」と言われても怒らない。
しかも、貸す。
それどころか
「子規、マジウケる」
くらいのノリでエッセヰを書いておられる。

私だったら絶対、
「正岡子規、マジ許すまじ打消の助動詞!」
とか言って子規の家に着払いであれやこれや送りつけているところだがな。
…ああ。
この時、子規と漱石、一緒に住んでたんだったわ。
だめだな。
自滅にしかならぬ。

でもって、内田魯庵君情報では
普通の文学者ならブチギレるような案件ですら
「おおん?俺でいいんか、やっとくよ」
くらいのスタンスで引き受ける気前の良さまで持ち合わせていたようだ。

夏目さんは他人に頼まれたことを好く快諾する人だったと思う。
随分いやな頼まれごとでも快く承諾されたのは一再でない
(中略)
若い元気の好い文学者へでも、こんな事を頼もうものなら、それこそムキになって怒られようが、先生は別に嫌な顔などはせられなかった。

内田魯庵「温情の裕かな夏目さん」

念押しでもうひとつ。
漱石ってば、一人の時間が欲しいのに自宅が門下生で溢れかえっていて読書すらままならないので、





俳句を作った

らしい。


「読書もできん、おこ!」でもなく、
俳句を作ったらしい。

其うち松山中の俳句を遣る門下生が集まって来る。
僕が学校から帰って見ると、毎日のように多勢来て居る。
僕は本を読む事もどうすることも出来ん。
もっとも当時はあまり本を読む方でも無かったが、兎に角自分の時間というものが無いのだから、止むを得ず俳句を作った

夏目漱石「正岡子規」

そうか、何か思い通りにならないときは
五・七・五のリズムでヒウィゴッ!すればいいんだな。

わかった。

いいこと教えてくれてありがとな、漱石。

……違うぞ俺!
漱石を怒らせたいんじゃなかったのか、俺!
立ち上がれ、俺!

じゃあ、ちょっくら怒らせにいってみますか。

ヒウィゴッ小声!!


『バタに溶けし黒猫』 秋目蓬石あきめほうせき

「吾輩はである。」
と喋るとんでもないを拾った。

 職場から自宅へと向かう途中、
ニャーニャーという鳴き声……
いや、“泣き声”と現したくなるほどに哀しげな声を聴いた。

 私はこの世のという全てを愛し、その全てを吸い込み、界に「我々を捕らえて煮て食うもの」としてその名を轟かせている書生という生き物である。

 猫の街には私の指名手配ポスターが貼られているという噂が耳に届いている。
とはいえ実際には、この街のどこかに私の脱ぎ捨てた薄汚い白の足袋の片方が晒し首の如く置かれていて、その臭気を元に私からたちが逃げ回っているということくらいは優に想像がつく。

 やはりという生き物は聡明かつ気高い。
それであってこそ、私の愛するという生命体である。

 とはいえ、ここ最近めっきりを見かけなくなっていた私は並々ならぬ寂しさを真冬の酸ヶ湯の雪の如く募らせていた。

 だからこそ、このニャーニャーという声に、興奮を隠せないのだ。
どれだけ下品だと罵られてもかまわない。
私はこの手でを……!

 どうにも足が止まらぬのだ。

 ニャーニャーは随分と近づいてきた。
否、私がニャーニャーに近づいたのである。
蕎麦屋と日常山﨑※現:デイリーヤマザキの間のどうにもめんつゆとパンの匂いが混ざり合った少々悪趣味な蒸気をモウモウと放つ暗がりから声がしているらしい。

 ニャーニャーも近い。

 どうにも鼻がむず痒く、爆発音を立ててしまった。
ニャーニャーはシャーシャーに変わった。

 不織布の内側は不愉快に湿っている。
小石が下駄底に引っかかり、左脚だけが詰まったような感覚に苛立ちつつその暗がりに猛然と向かっていく。

 青い二つの光が私をとらえた。
と同時に、青い二つの光を放つ生命体を1体、私は捕らえた。
抱き上げたそれは、青い目の黒く艶々とした黒であった。
ニャーとシャーを忙しなく切り替えながら私の腕に抱かれている。
灰簾石タンザナイトの如く穏やかな青は憂いと悲しみを帯びている。

 半ば誘拐も同然に、
「これは野良、野生の黒
と都合良く自身を正当化しつつ自宅へと連れ帰るのであった。

「ンンンンン! 可愛い、美しい、尊いですゥ!」
撫で声で話しかけながら、柳の木に激突する。
またたびを前にしたの如く、を抱え悶絶する私。

 そんな私との様子に嫉妬したのか妻は
「この泥棒!」
とハンカチーフを噛み噛み泣いている。

息子は借りてきたのように静かにしている。

このようにして、灰簾石の目をした黒は我が家の一員となったのである。

 猫背で、洋書の翻訳に励む私の傍ら
「撫でろ」
と言わんばかりにごろんごろんと転がっている。
ビロードのような毛に古びた畳のかけらがまとわりつく。
さながらパン粉でもまぶしたカツレツのようである。
ここは噂に聞く、“山軒”であろうか。
否、あれは話によれば喰われるのは人間の方らしい。

 ふふふ、と小さく笑ったのち
不意打ちの如くをひょいと抱き上げる。
騙しでもくらったかのように、もともとまんまるの目玉をさらに丸くしておられる。

 胸の辺りがキュウと搾られる感覚を覚える。
との、とろりとした毛流れにうっとりしながら私はを吸い込まんばかりにその身に顔をうずめる。

「ただいま」
と息子が帰ってくる。
手洗いもせずにの元へ駆けてきたっ毛の頭をくしゃくしゃと撫でる。
今度は息子がをもみくちゃにしながら私がしたのと同じように吸い込まんばかりにの脳天に鼻をくっつけている。

 そんな息子を抱きかかえて、先ほどまで撫でていたっ毛の頭に顔を近づけてみる。
毎日顔を合わせていると子の成長というものに鈍くなるものだ。
なんとも言い容れぬ喜びと寂しさに、眼頭の熱くなるのを感じた。

「そろそろご飯ですよ」

 台所から妻の声が聞こえる。

猫はするりと息子の腕をすり抜け、「ニャー」とひと鳴き。

「あら、いいお返事。」

猫の食事も私の席の座布団の横に用意されている。

 台所は幸福な湯気と煙とで白く満たされている。
やや、今日の飯はおこげが期待できそうな香りである。
味噌汁の具は白葱とお揚げであろうか。

「君は、七味を使いますか?」
「好いですね」

 五口ほどは、そのままの味で愉しみたいので、
小瓶に入った七味唐辛子を左手で、右手で台拭きを運ぶ。

 大皿が三枚、その上にはふんわりと甘藍キャベツの細切りが乗せられている。
妻は揚焼鍋をジャージャーいわせている。

バタの甘くもあり香ばしくもある香りが私を包む。
いつの間にか足元にきていたもうっとりとしている。
息子は拭ききっていない手を振り回しながら
「まだ?」
と落ち着かない様子である。

 私は息子に箸と肉叉フォークを渡し、配ってくるよう頼む。
いかんせんこの頃はまだ西洋文化というものに慣れ切っておらず、肉叉フォークとナイフでの食事では味という味すべてが抜け落ちて感じられたものだった。

 程なくして、溶けたバタの中からこんがりとした少々歪みのある楕円が姿を現した。
黄金色をぽたりと滴らせながら、網の上で休んでいる。
それが今度は大皿に移され、甘藍キャベツの枕で夢心地である。

「さあさ、熱いうちに食べましょ。」

私は妻と子の皿を、妻は私の皿を手にそわそわと運んでいく。

と息子はすでに行儀良く座っている。

「いただきます。」

 揃って囲む食卓。
の額ほどの部屋で、揚げたてのカツレツに舌鼓を打つ。
とはいえ、私は舌である。

ふうふうと息を吹き吹き、少し冷めてはさくさくと小気味の良い音を立てて食べるのだ。
本当は大きく野太く、「美味い」と言いたいところだが、
「大変、美味しいですね。」とを被る。

「ニャー」とひと鳴き、の皿は空である。

「カツレツ、食べるかい?」
「いけませんよ。」

朗らかに流れる夕飯どき、この時がどうかいつまでも続きますようにと願わずにはいられなかった。

 猫可愛がりする書生というのは私のことである。

 ただ、それだけのことである。
穏やかな幸せの傍らに
身の丈よりほんの少しだけ背伸びして、見える世界は美しい。

柳が白銀に彩られるその日にも、この道が地続きで在らんことを
私は祈っている。


(完)

『吾輩は猫である』は確実に漱石の看板商品小説だから、
それをこねくり回したら怒るだろう!
絶対怒った!
これ、絶対怒った!

だって、主人公を「猫」から「書生」に変えたし
なおかつ、漱石的には書生は猫嫌いっていう設定なのに猫好き過ぎて吸い込んじまう猫吸い常習犯に仕立て上げたからな。
こりゃもうブチギレでしょう。

そんでもって、巻き添えで宮沢賢治も怒らせた。

さながらパン粉でもまぶしたカツレツのようである。
ここは噂に聞く、“山猫軒”であろうか。
否、あれは話によれば喰われるのは人間の方らしい。

宮沢賢治『注文の多い料理店』が発刊されたのは1924大正13年12月1日。

漱石が死んだのが1916大正5年12月9日。

賢治「お前、絶対読んでねえじゃん、山猫軒知らないじゃん!」

いや賢治よ…
門下生で溢れかえっていなければ、漱石も読んでいると思う。
あの世で。
きっと
「山猫の名前ってあるのかなあ。無いよなあ。猫だもんなあ。」
とか言ってると思うよ。
逆に山猫に“ジョバンニ”とか“カムパネルラ”なんて名前を与えていたら
「読んでけっして好い感じの起るものではない。」
とか言い始めるからな。

…いやもしかすると俳句作りまくってて読んでないかもな。

どっちだよ!

ああ。
夢を見たあの日の月が、霞がかっていたことを
「その晩は、朧月夜であった。」
って言えば一発で漱石怒らせられるじゃん!

「朧月夜は春である」って「吾輩は猫である」のリズムでブチギレできそうじゃん!
なんでここまで気づかなかったんだ?

漱石を怒らせるつもりが賢治を怒らせたでござる…
意にそぐわないでござる…

でもまあ…
変な改変小説がひとつ書けたということでよしとしてやろう。

今日こそ変な夢を見ない!
押忍!


【その他漱石でも賢治でもなく俺の小説羅列】
「読書の秋」の読書無理勢の私は「執筆の秋」にしたい。
読まねェくせに書く。
というわけですでに5本、秋だからやってみた。
そして、まだ書きたい。
秋だから。


【参考資料】
◽︎長野朝日放送
猫の死亡通知

◽︎「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
作物の批評

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