『殴り殴られ詩人酒場』ep.82「雪跡残し」
「おやまあ、朔ちゃん。あんた、ほんと間の悪い子だね……」
土間で鍋に向かっていたイヨさんが言った。
俺は玄関で外套を叩いていた。
言いかけた言葉の全てをあくびに奪われ、ただただ茫然としてしまい、立ったままでいる他なかった。
「さっきまで大ちゃん来てたんだ。弟連れて。」
「ああ……」
「大ちゃんをそのままでっかく……」
「ん?」
それ以降の言葉の並びがどういうわけだか霞み途切れてしまった。
俺はぼんやりとした中にまず、友の面影を描いた。
そしてその横に、もうひとり……大きな……
──朔ちゃん!
「……ん?」
「いつまでやってんだい? もう払うもんもついていやしないだろう?」
俺はその言葉で初めて忙しなく手を動かし続けていたことに気づく。
外套は裾のあたりを残し、すっかり乾いていた。
俺は漂う甘い匂いに誘われて、玄関を抜け土間へおりた。
草履を突っ掛けるや否や蹴つまずいて、足元を見遣ると籠がひっくり返って芋がごろりと転がっているのを認めた。
俺はしゃがみ込んで、元あったように──おそらくそうであったようにしてからイヨさんの隣に立った。
「べにあか……とか言ってたね。ずいぶんと豊作だったんだと。なんでも弟さんのいう通りに世話したら……」
俺はさっきの、大ちゃんの横に描きかけて途切れていたものの続きを描き始めていた。
「何を笑ってるんだい? 気味の悪い……」
イヨさんは湯気を払うふりをして、俺の背を叩いた。
「ほれ、朔ちゃん。食べるかい?」
皿に盛られた「べにあか」は、湧き立つ熱さえも薄紅に染めんと色を燃していた。
薄ぼんやりの頭では、どうにもそのありもしない色の湯気を払えなかった。
「しっかりおし!」
尻を打たれ、嘶き、涙で視界を濡らし芋を運ぶ。
イヨさんと俺は芋の皿を間にして縁側に腰を下ろす。
座るが先か、食うが先か彼女はもう、ふかし芋にかじりついていた。
「今、五年なんだと。」
「ん? なんの話だい……?」
「いやだね、わからないのかい? 大ちゃんの弟さんだよ。」
「ああ……」
「『ああ』ってこたァないだろう?」
「で?」
「『で』ってこともないだろう?」
ならば何なら「ってこと」とやらになるんだい?
とは聞けるはずもなく俺は裏庭を眺める。
背の高い木を残しあとはみんな、雪布団の下で眠っているらしい。
かろうじて水仙が二輪、顔をのぞかせている。
片方は花の下半分ほどを埋め、もう片一方は頭ひとつ分抜けて首の緑色を露にしていた。
俺は口の端に笑いが浮かび上がるのを感じ、芋を引っ掴んで口に押し込んだ。
「熱!」
「ああ、もう! 何やってんだい? 雪でも詰めときな!」
俺は言われたままに雪を掴み、口へ放り込んだ。
冷やされていく舌が心地よかった。
「来年の夏に一高の試験、受けるんだと。」
「そうかい、一高を……」
──もう、そんな歳かい。
その言葉は、形になる前に雪と共に溶け消えた。
皿が空になったあとも、しばらくふたりで並んでいた。
ぽつり、ぽつり、記憶の断片をこぼしながら。
もう幾度目かの、あくびがでた。
「ずいぶんと眠そうじゃないか。午睡でもしたらどうだい?」
「ああ……」
俺がその場で仰向くと「やだねェ、そんなとこに転がってると蹴飛ばすよ!」とイヨさんは笑った。
目を閉じてしまうと途端に肋の骨が二、三ひしゃげた。
「痛ェ……本当に蹴る奴がどこにいんだよ!」
「ここ!」
イヨさんは、特別大きな芋をひとかじりして少女の如き顔をした。
「あ、ずりぃぞ。そんなでっけェの……隠したな?」
「あんたがいなかったのが悪いのサ! 恨むんなら自分を恨みな!」
しばらく子どもみたいにふざけ合った。
イヨさんが、芋を全部胃に仕舞い込んだころにはすっかり頭も冴えていた。
俺は部屋に戻ると、小卓の上に書きかけの原稿を載せた。
インク瓶の蓋を捻りつつ、光の方へ眼をやった。
窓の硝子は蒼い。
雪を透かして来たであろう煌めきはせせらぎの如く空間を洗い清めていく。
続きはもう、書くまでもなく紙から染み出るが如くマスを埋めていった。
今俺の指は、万年筆と紙とをただ支えているに過ぎない。
物語は、自我を持ち、その本能のおもむくままに生まれ出ようとしているのだ。
──トン、トン、タタン、タン、トトン
庇を打つ、雪解けの音。
一定の拍で落ちてゆく。
俺は自分の襟元に万年筆に触れぬ手を差し入れる。
──トン、トン、タタン、タン、トトン
俺の胸も、同じ拍を刻んでいる。
眼を閉じた。
インクの匂いは強く、濃くなった。
紙を削る感覚はとうに消え、畳につけた尻の感覚も今はない。
指に触れる一定の拍と、ざあざあと響く何か。
ただそれだけを感じ、俺は息をする。
──朔ちゃん!
──朔ちゃん!
「いつまで寝てるんだい、朔ちゃん! ほれ! 仕事だ、仕事!」
仁王立ちのイヨさんが、襷をしごいて俺を眺め下す。
「ああ……」
俺はようやく身を起こす。
小卓の上、インク瓶の蓋はあいていた。
雪解けの音は止んでいた。
──トン、トン、タタン、タン、トトン
俺は確かめるように、階段をあの拍で踏みしめた。
雪はまだ、水仙を囲みきらきらと光を打ち返しているのであった。
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ゆきお様・解説
ゴミをゴミじゃない感じに解説してくださっています。
ありがとうございます。
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ポテトチップスよりも
お・ぬ・し