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『殴り殴られ詩人酒場』ep.81「黒豆と吹雪」

「いらっしゃい。あら、今日はおひとり?」
白布の墨字暖簾を分け、嵌め込みの硝子扉をひく。
かた、こと、と心地よく木と硝子とが当たる音が鳴った。
「ええ。」と返しつつ俺ははなをすすった。
甘く、温かな香りが漂っている。

「惜しかったわね……昨日だったら森田さん、いらしてたのに。」
「大ちゃん、来てたんですか?」
「ええ。なんでもね、ご実家から弟さんが遊びにいらしたとかで……」

不意に聴こえた咳払いの方へ俺は頭を下げた。
「よく来たね。ほれ、べらべら喋ってないで早く座ってもらいな。」
珍しく顔を見せた茶屋の旦那に手招きされ、俺は其方へ進んだ。
雪の窓を背にした長椅子の席に通された。
二つ空きが在っての右では丸眼鏡の男が鉛筆で帳面を突き回している。
いつからいるのだろう、彼の椀は湯気の立て方をすっかり忘れているようだ。

「あらやだ、ごめんなさいね。べらべらと……ささ。外套もらいましょ。」
俺は咳を二、三して、「今日はちょいと寒気がするもんで……」と断った。
「あらそう? お大事になすってね。」
女将はちらと俺の手元を見遣って片目をぱちと閉じた。

俺は壁と自分の腿との間に外套を畳み置く。
「さて、今日はどうしましょ。」
嘘がまこと変化へんげしたらしく、俺は身体の震えを覚えた。
「ぜんざいをひとつ、もらえますか?」
「はいよ。」
返事をしたのは旦那だった。
ちょうど、御盆にのせた湯呑みを運んできたところであった。

「でもまあ、ちょうど良かったわ。」
惜しかったり、ちょうど良かったりと二転三転する塩梅に目を回しつつ俺は湯呑みに手を伸ばした。
うちの白い湯呑みにはつるばみ色の茶が注がれている。
「朔也さん、あなた黒豆ってお好き?」
「ええ。」
「本当? あのね、朔也さん。あの子、黒豆煮たんですよ。」
茶碗に口をつけた。
ほうじ茶だった。
俺は猫の夢を見たような気がする。
夢中になって舌でちろちろと茶を飛ばす猫の夢。

ちりり、と鈴のがして、俺は背を正した。
「お待たせしました。」
はなだに鈴蘭の描かれた袖が、襷をよけて僅かに揺れる。
「ぜんざいでございます。」
湯気が濛々もうもうと立つ椀と小皿に乗せた四角の雪かぶりの如き昆布が置かれた。
「はつねちゃん、朔也さん、黒豆お好きだって。」
「ほんとう?」
俺は彼女の凪いだ笑顔を久しぶりに見たように思う。
彼女は盆を抱くようにして俺に背を向けると卓の間を抜けていった。
ちりり、ちりりと駆けていった。

「少し、お待ちになってね。」
女将は新たな客を迎えに行く。

例の丸眼鏡は湯気のないぜんざいを鉛筆でぐるぐるとかき混ぜ始めた。
俺は見なかったことにして、自分のぜんざいの椀に唇をあてる。
焼いた餅と温かなあずきの香りにすっかり夢見心地にさせられてしまった。
まるで揺籠に揺られる赤児の心持ちだ。
そんなもの思い出せた試しもないというのに、そうとしか言い表せぬ柔らかな心のままに、思わず肺いっぱいに湯気を吸い込んだのだった。

ことり、と音がした。
ふと顔を上げると、はつねが立っている。
「あの、これ……」
彼女の視線の先には、山と盛られた黒豆が在った。
「こんなに。いいのかい?」
黙って頷いている。
「ありがとう。」
さらに大きく頷いていた。
彼女は盆を抱いたまま佇んでいる。
その奥では丸眼鏡が椀を引っ掴んで口のところで傾けている。
俺はちょうど餅を伸ばしているところだった。

店に入ってくるお客の外套は軒並み粉糖まぶしの如くなっていて、それを茶屋の女将が払うものだから俺にはどうにも面白く、いつまででも見ていられる、など思っていた。

よくやく餅を飲み込んだ。
はつねはまだ傍らに佇んでいた。
「豆、いただくよ。」
俺は一瞬でも彼女の存在を風景のひとかけらピースとしてとらえていたことにいたく驚いている。

洋燈ランプの橙の光を宿す黒豆の美しさ。
豆のこうを残した、白砂に甘えぬ──
美味うまい……」
もっと気の利いたことが言えたなら、俺は自らの言葉の拙さを恨む。
箸はもうとどまる術を失っていた。
山と化していた豆はもう、あと二粒という局面。

「おや、随分と吹雪いてきたね。」
旦那が俺の背後の窓を見遣ってつぶやいた。
振り向いて窓の外を見遣ると、在ったはずの禿げ躑躅がもとより存在しなかったかの如く見えなくなっている。
丸眼鏡の男も、もうすっかりいなくなっていた。
あとには鉛筆が残されているのみであった。

店にはもう、ほとんど客は残っていなかった。

俺が残りの豆を食べてしまうと、彼女はまた黒豆を運んできた。
「どうぞ。」
先ほどよりも少なく盛られた黒い豆。
俺はまた、夢中になって忙しなく箸を動かしていた。
はつねはそれを笑って見ていた。
「もう少し、いかがです?」
俺はどうにも底無しになってしまったかの如き胃袋にたじろぎつつも、彼女の言葉に甘えた。

吹雪は止みそうもない。
ときは無尽蔵に膨れていく。
降る雪は時の文字盤をおおい、針は温かさの中ひんやりと眠るのであった。


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吹雪きました、大正。



これのタイトルのことだけは語らせてくれ。
「椿、一枝、紅」これは、「椿、一枝もらえませんか?」の意味です。
以上です。
すみません、洒落です。
言ったことによって滑った気がします。
言わなければよかったです。


貝原瑞樹は赤ちゃん返りしている!
そういうことではない。


『殴り殴られ詩人酒場』、話数多すぎだろ気色悪ィな!
と思った方へ。
ごめんなさい。
こんなに長く書くつもりなかったんです。
初期衝動だけで描いたep.6です。
ご査収ください。


ゆきお様・解説
いつもありがとうございます。
私、もういい加減創作なんてやめようと思っているのですがね。
解説には本当に救われます。
嬉しいです。
ありがとうございます。

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よもぎ よもぎちゃーん! はーい! 何が好き? ポテトチップスよりも お・ぬ・し

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