毒親なんて言えなくて。家族の日に考える、"わたし"の家族史
家族って、不思議な存在ですよね。
血のつながりがあるのに、まるで他人のように感じられることもある。でも、それでも心の奥底のどこかでは、微かにつながっている。
そう、今日は11月16日。「家族の日」なんです。
子どもや家庭を社会全体で支える大切さについて理解を深めてもらうため、内閣府が平成19年度から11月の第3日曜日を「家族の日」、その前後の各1週間を「家族の週間」と定めているようです。詳しくは内閣府HPをご覧ください。
内閣府HP:https://www.cfa.go.jp/policies/shoushika/kazokunohi
わたしは一人娘で、母子家庭に育ちました。なので、「家族」という言葉に特別な感情を持っています。
家族について語ることは、きっと誰かにとっては普通じゃない私の「普通」を語ること。
これまでnoteで書いてきた家族関連の記事を振り返ってみると、いくつかの興味深い気づきがありました。
・母との複雑な関係
これは最近書いたので、読んでくださった方もいるかもしれません。母の、良かった時の話です。
これは母の悪かった時の話です。
フォロワーさんに、「お金があったら違ったんだろうなって思いました」と言われました。私は、そうだろうなと思いました。
私は良い環境で育ちませんでした。母が私を一人抱えて社会に立ち向かわなければいけなかったからです。
それによって金銭的にどうこうではなく、私と母の関係性がおかしくなってしまいました。
毎日帰って来て、「家事もやっていないの?」と怒る母。
気を遣ってお風呂掃除をすると、「やることが適当だ」と怒ってまた洗い直す母。
帰ってきたらずっと不機嫌で怒り散らす母。
それが嫌だったので、母が帰ってくる時間はあの座椅子の上で寝ていました。
でも、「寝てるんじゃないよ」と寝ている私にすら怒るようになりました。
子どもの頃の私は、どうすればよいのか分かりませんでした。
もしも一つだけ記憶を消せるなら、母のことを消したいと思いました。
でも結局、みんなが、自分の置かれた環境で、ただ人生を必死に生きています。
母も苦しかっただろうと思います。
離婚したものの、母(私にとっては祖母)が早くに亡くなったので、小さな子どもを抱えて親も頼れず。50歳間近の再就職。しかも女性。当時はより大変だったでしょう。たぶん事務か何かやっていたと思うのですが、「掃除のおばさんと同じような扱いをされる」とよく愚痴を言っていました。
様々な事情から子どもをうまく育てられなかったとしても、それが彼女の限界だった。
彼女の状況・能力ではそれ以上のことはできなかったんです。
子どもが生まれてくることに関して、子どもの意志は全く関係ありません。
親は基本的に「自分の意志で子どもを産む」のです。その責任を取るのは法的にも義務です。
(悲しいことに、それでも放棄する人もいますね…。)
でも、例え自分の意志だったとしても、人間はつねに未来が正しく予測できるわけでもなければ、正しいことができるわけでもありませんし。
複雑な感情が消える訳ではありません。現実として存命である母との付き合いの「しんどさ」はありますが、「毒親」という言葉では割り切れない慕わしさも、確かにありました。
だから、母にしても父にしても、毒親と呼んだことはありません。
・いなくなった父への思い
父はどこかに行ってしまいましたが、元気で、どこかで私の幸せを願ってくれているなら、それで十分です。
・祖父の温かさ
祖父は一人が好きなところ、絵や将棋など自分の趣味を楽しんでいるところが、私に似ている気がして。
このタイプ同士は相性が悪いらしくずっとそばにいるとケンカになってしまうようですが、今となっては一番身近に思い出します。
(祖母は物心ついたときにはいなかったので、記憶がないです)
それぞれの記憶は、決して明るいばかりではありません。
家族の話で「明るいだけ」って、むしろ珍しいのではないかと思っています。
でも、それでも人の家族の話には、必ず共感できる部分がありますよね。
皆さんは、自分の家族についてどう感じていますか?
完璧な家族なんてどこにもいない。でも、それぞれの家族には、この世に一つだけの物語がある。
家族の週間は、あと一週間続くそうですよ。
みなさんも、今日、少し立ち止まって、家族のことを考えてみるのはいかがでしょうか。
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