戦争の話ばかりの祖父が、唯一楽しそうに語ってくれた「遊び」の話。【#きおくをつなごう】
2025年は、日本の終戦から80年にあたる節目の年なのだそうです。
あの日から、日本は平和という錨を下ろし、それを必死に守り続けてきたんですね。終戦記念日が近づいてくるといつも少しだけ厳粛な気分に駆られます。
私の祖父母は、戦争を経験した世代です。
子どもの頃、祖父から戦争の話を聞く機会が何度かありました。
今回は「大切な記憶や記録を残して、未来につないでいく」という観点の企画【#きおくをつなごう】に参加し、祖父から聞いた戦争の話を書いてみようと思います。
「おじいちゃんはすごかったんだから」
私の祖父は、私が子どもの頃から「おじいちゃんは、昔は兵隊さんだったんだよ」「おじいちゃんはすごかったんだから」と、よく胸を張って言い聞かせる人でした。
おそらく、孫に「自分はすごいんだ」と自慢して尊敬されたかったのでしょう。
それ以外に誇れることを見いだせなかったのか、あるいは、戦争に参加したという経験が祖父の人生における大きなトロフィーになっていたのだと思います。
子どもの私は母に「おじいちゃん、戦争の話しかしない」と文句を言っていた記憶があります。
今思えば、玉音放送を聞いた時、どう感じたのか。戦後をどう生き抜いてきたのか。もっと深く掘り下げて聞いておけば良かった、と悔やまれます。
祖父は10年以上前に他界したため、もうその答えを聞くことはできません。
ただ、祖父が戦争体験を悲観的に語ることは一度もありませんでした。祖父がその経験を自慢の種にしていたことから察するに、どちらかといえば前向きな印象を持っていたのかもしれません。
戦場で兵隊さんたちが熱中していた「ゲーム」
祖父から「〇〇の戦場で戦った」といった具体的な武勇伝を聞いたことはありません。
もし華々しい戦いの記憶があれば、祖父の性格上、何度も聞かせてくれたはずです。
ですからきっと、後方の部隊で、ほとんどの期間を駐屯地で過ごしたのではないでしょうか。
祖父は「上官がおっかなかった」といった軍の規律について話すことも多かったのですが、ひときわ印象に残っているのは、意外にも「将棋」にまつわる思い出話でした。
「従軍経験で……将棋?」
そう聞くと、少し意外な感じがしますよね。
でも、娯楽の少なかった当時、「将棋」は誰もが親しむことのできる、身近な娯楽だったようです。
祖父は言いました。
「みーんなやってたよ! 将校さんもやってたんだから。おじいちゃんは強かったんだよ」
そう言って、また胸を張るのです。
確かに、祖父は晩年までずっと将棋を指していました。
本当に「強かった」のかは分かりませんが、「好きだった」のは間違いないでしょう。
実際に、私が手慰み程度に将棋を覚えると、いとも簡単に負かしては、とても喜んでいました。正直、大人げなかったです。もっとも、ド素人の私に勝っても、強いという証明にはなりません。
とはいえ、祖父は他に対戦相手もおらず、久しぶりの対局(?)で相手が孫であるということを忘れてしまっただけかもしれません。今になって、ネット将棋でも教えてあげれば、祖父はもっと人生を楽しめたかもしれないな、とふと思います。
「遊び」は人間が持つ希望の力
祖父の断片的な話から、当時の光景が目に浮かぶようです。
厳しい訓練の合間に、兵隊さんたちが将棋盤を囲み、一手指すごとに一喜一憂している姿。
将棋は、もし将棋盤がなくても、石ころと地面さえあれば何とか形になる遊びです。
終わりの見えない戦いという極限状況の中で、こうした共通の娯楽が、どれほど祖父たちの心を慰めたことでしょう。将棋は、当時の兵隊さんたちにとって、人と人とのつながりを生み出すためのかけがえのない「宝物」だったに違いありません。
責務の合間に、ほんのひととき、そうした心の余裕を保つことで生きていた。祖父の青春時代に、思いを馳せました。
戦争のことを考えるとき、私たちはその悲惨さだけに目を向けてしまいがちです。
しかし、そこで生きてきた人々の「強さ」にも、私たちは思いを馳せることができます。
くだんの祖父はほとんど苦労話をしませんでしたが、戦時中や戦後、本当に大変な思いをして生き抜いてきたのでしょう。
それでも晩年は、恩給として十分な年金をもらい、私たち子どもや孫に家族旅行をプレゼントしてくれたり、趣味の絵や将棋を悠々自適に楽しんだりしていました。
人生の幸福とは、どこで、いつ訪れるのか本当に分かりません。
祖父が語った「戦時中でも将棋を楽しんでいた」というエピソードは、人生の浮き沈みや、苦しみの中にある希望について、深く考えさせてくれるきっかけになりました。
「遊び」は、ただの気晴らしではないのですね。
それは、どんな苦しみの中にあっても希望を見出し、人間性を保つための、私たち人間が持つ確かな力なのだと思います。
記憶を未来へつなぐということ
みなさんも、この企画をきっかけに、ご自身の家族の記憶を遡り、記事などにまとめてみてはいかがでしょうか。
ネット上に残された文章が、この先何十年、何百年と残っていくかは誰にも分かりません。
それでも、私たちが遠い昔の記憶を間接的にでも書き記しておくことで、いつか未来の誰かの役に立つ日が来るかもしれない。
今、この記事を読んでくれているあなたとは別に、まだ見ぬ未来の誰かに届く可能性を想像して文章を書く。
そう考えると、少しだけ身が引き締まる思いがします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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