【ハッピーライティングマラソン#59】背後霊と私
※ 今回で3回目。本田健さんの『ハッピーライティングマラソン』に参加させていただきました。
『漫画版』





『エッセイ版』
私の母は、周囲の友人たちから「背後霊」と呼ばれていた。 冗談ではなく、本当に。どこへ行くにも私についてくる。付き合わされるというか、子離れができないままピタリと背後に張り付いている母を見て、友人たちは笑いながら言った。 「出た、さきこの背後霊だ」と。
だから、私が関東で暮らすようになったとき、心のどこかでホッとしていた。やっと背後霊から解放されたんだと思った。だって、母の過剰な心配を背負いながら生きるのは、少し疲れるから。
それが……不思議なものだ。 離れていても、実家で父がけがをしたり何か困りごとがあったりすると、ふと背後に母の気配がして、あの独特の声が聞こえてくるような気がした。いわゆる虫の知らせだ。背後霊はまだ、私のすぐ後ろにいた。
そしてある日、本当の「最後の声」を聞くことになった。電話だった。ささいなことからの喧嘩別れ。受話器越しの苛立った声が、生前最後に交わした言葉になってしまった。
しばらくして姉から連絡が来た。母が亡くなったと。 直前に母と別れる夢を見て泣いていた私は、どこかで覚悟していたのかもしれない。 2月19日。節分が過ぎて暦の上ではもう春でも、出雲の2月は容赦なく冷たい。雪の降る、悲しくて凍えるような出雲の空だった。関東から飛行機に飛び乗り、なんとか葬儀には間に合った。
葬儀が終わってしばらくして、ハッと気づいた。 喪服を着るのを忘れた……どころか、持っていたことすら完全に忘れて、わざわざ新しく喪服を買ってしまっていたのだ。
嫁入り道具として母が揃えてくれた「和装の喪服と雨合羽」のセット。「雨合羽なんて、つけてもらっても着ないよね~」と笑う私に、母はこう言ったのだ。 「私の時に、ちゃんと着られるようにしてあげるから……」
あんなに悲しくて凍えるような出雲の雪。あれは、母が私にあの雨合羽を着せるための、あまりにも気の利いた演出だったのだ。 母娘ふたりだけの、冗談みたいな約束。まさか本当に守ってくれるなんて。あの時の他愛もない会話をしっかり覚えていてくれたことが、こんなに悲しい日なのに、なんだか勝手にうれしかった。
関東へと離れて暮らしたことも、最後に喧嘩別れしてしまったことも。あの日あの雪は、「気にしなくていいのよ」と、私の今までの親不孝をすべて許してくれたような気がした。
……それなのに。 母がせっかく用意してくれた完璧な舞台だったというのに、私はショックのあまり頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。 せっかく許してもらったのに……。
ホント、自分でも笑ってしまう。私ってやつは、本当にどうしようもない。でも、そんな私を見て、母はあの世で呆れながら笑っていたかもしれない。
母が亡くなり数年後。私はひどい体調不良に襲われた。 自律神経が乱れまくって、何にもする気力が出ない。「うつ病かもしれない、病院へ行った方がいいのかな」なんて本気で悩んでいた。
そんなとき、毎晩同じ夢を見た。母と病院の待合室で待っている夢だ。 「母は何の病気なんだろう? 私に何を訴えたいんだろう?」 毎日毎日考えて、ある時ふと気がついた。
私が母の付き添いをしているんじゃない。母が、私の付き添いをしてくれているんだ、と。 「背後霊」はいつの間にか、私を守る「守護霊」になってくれていたのだ。
よくよく考えて、自分で首の異常だと判断して整形外科へ行くと、頸椎ヘルニアと診断された。「よく耐えたわね」と医者に言われるほどの状態だった。
そんなこんなで、母は今でもよく私にいろんなことを教えてくれる。 私は一応、毎日「両親、ご先祖様、ありがとうございます」と心の中で唱えてはいるが……今日は改めて、あの日の喧嘩別れを取り消すように、ちゃんとした「声」に出して母に届けたい言葉がある。
少し照れくさいから、昔みたいにちょっと笑いを含んだ明るい声で。
「おかげさまで、私は毎日たくさん笑って、幸せに過ごしてるよ!」
その声に、母は今も私の背後から、静かに微笑んでくれていると思う。
最後までお読みいただきありがとうございます。
皆さまの大切な人への思いが、心をつなぐ光になりますように
(。-人-。)✨ Love & Peace💕
※この作品は、AI漫画生成ツール(新宇佐美式AI漫画)を使用し、 著者の指示のもとで制作しています。
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