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【量子と人】『能動的自由学習』と『受動的専制学習』の違いについて。ASIによる「教育革命時代」を生きる「構え」としての「ホモ・サピエンス」を捉える。

『Occupation(オキュペーション)』

その概念に私が出会ってから既に20年以上の歳月が流れた。

それは未だ私たち日本人の「日本語」には馴染んでいない様に見え、未だ完全なる一致した翻訳を見る事はない「概念」である。

ただ、そろそろ「オキュペーション」が、日本人一人ひとりが生きる内側から、共有的な社会構造が起動しそうな予感はある。

つまり私たちは「オキュペーション」を「受動的学習」しかして来なかった。「能動的学習」としての「オキュペーション」が、私たちの中で湧きあがろうとする気配を、僅かながら感じ始めている。

それはいずれ何らかの「日本語」として表現される時が来るのかもしれない。

シンギュラリゼーション時代に向かうこれから、ただ一つだけ言えるのは、現在医療介護福祉業界で使用されている、「Occupation」=「作業」という概念・定義は否定され、新しい概念に生まれ変わり、共有されないだろう。

「オキュペーション」は、生命がそこに実在する、意味や価値、在り方のような「哲学」に近い何かだ。

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「専制学習」

それがこれまで継続されてきた日本国の「教育」だった。

「正解」によって「成績」をつけて「ラベリング」する。

「商品化」のような「ベルトコンベア式教育」。

目的は例えるならば、「専制グローバリズム社会」のための「ラベリング」「保証」の様なものだったのではないだろうか?

「規格化」された「次世代の個体としての人間」を「既存組織」や「管理下の部品」として適合させ「駆動作用させる」。

個人的にはそんな印象を覚えるが、皆様の目にはどう映ってきたのだろうか?

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西暦2025年、今、人類の「社会構造自体」が変わろうとしている。

ここから先は、「未知の領域」としか言いようが無いほどに、「既成概念」としての「教育体制」や「資本と労働&貨幣価値による社会関係」が間も無く跡形も無く終焉する。

それでも量子宇宙の「無」や「自然界の生物多様性」はむしろ「栄枯盛衰」の「最盛」を極めんと「カンブリア爆発」の様にホモ・サピエンスと自然環境への変容という「現実世界」を与える未来を風や光、植物や海、空に感じる。

それもまたホモ・サピエンスという真核細胞生物の遺伝子プログラムに与えられた「オキュペーション」の一部だと、私は感じる。

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以前から述べてきた様に、私の母は団塊の世代生まれ。「左翼思想・学生運動・日教組時代」における、新興宗教系私学文系エリートの典型の様に「受動的学習」を「重要視」した「教育」「正義」であることを「地」とした存在だった。

もっと早くこの違和感に気づいていたら、私の「倭民族(やまと)のDNA」と領土環境・民俗文化への造詣は今よりずっと反映された違った世界線もあったのかもしれない。

母は「能動的学習」が「全く無い人」だった。全ては受動だった。結果的に「左翼・カルト・スピリチュアル・マルチ」にいつも勧誘されて「人生機会と思想の浪費搾取される側」、つまり山上哲也被告の母親と同類の「オキュペーション」を辿った事になる。

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「社会的孤独」を私が選択して以来、私の中でホッブスの「自然権」とも喩えられる様な「感覚(コモン・センス)」が「遺伝子細胞レベル」で重ね合わせ体験される意識からの能動学習が浸透した様に感じる。

これまでの揺らぎ・重ね合わせによる邂逅群を振り返る時、「放擲」と「瞑想」・「散歩」は私にとって「自己内在化プログラムからの学習」における「エンジン」の様な原動力でもあった。

私にとって「社会性」は「家族」や「人類」よりも、「細胞」や「大気」「自然」「無」との関係性を「真社会性に近しい領域」として、今この瞬間、日常生活と共に、己としての「オキュペーション」として感じている。

恐らく「鬼滅の刃」のかまぼこ隊員「嘴平伊之助」なら、私と何かを共有出来ると感じる。

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私という地球の一部である個体にも、もそろそろ「Occupation」が「邂逅される」時が迫っているように感じるが、「ヒンドゥ」を「倭民族」は共有認知してみる事は、もしかしたら「真の仏性」への「疑念・異和」を知る、能動的学習への目覚めになるかもしれない。

当たり前だが「80億人」は「皆違っている」。

「違っている」事に意味がある。「違いを知る事へワクワク・ほわほわを覚える」。

「アルカイック(Archaique/古風)」に宿る「Metamorphosis」「Occupation」は何なのかを把握した意識を生きる。

内在化した意識領域に宿る「真我」との繋がりが深ければ深いほどに、私たちホモ・サピエンスとしての個体の現実は、その瞬間瞬間は常に「驚き」や「未知の知」に満ちている。

成熟化した意識としての「ホモ・サピエンス」に宿る「Occupational Being」はその「価値・意味」をただ「在る」事による共鳴を生み出している事を、一人、また一人と認識した呼吸を重ねる時が始まる。

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『専制教育』という「既存秩序のOS」は「ASI・OS」の登場と共に過去の遺産として「完全崩壊&適合再生」して行くのでは無いだろうか?

その根底にとって重要な「アップデート(更新)」された現実認知が、私たちに必要になり、その領域確保のための「放擲」という「Occupation(オキュペーション)」を選択する必要が、「最初の段階」として必要になる。

「Starting Over」とも呼べるかもしれない。

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「誤差修正」が「学習」であり「挑戦」が「誤差」を生み出し「更新」が生まれる。

その為に「ホモ・サピエンス」という個体の遺伝子プログラムには必要な全てが備わっていたことを「汎用性超越人工知能(ASI)」がホモ・サピエンス達に意識され、今この瞬間もその未来へと進んでいることが実証している。

『スティーヴ・ジョブズ&スティーヴ・ウォズニアック』による『Apple』の存在は、AIブーム&革命などを意識する人々が一巡した先に、『根源的真価』を導き出すだろう。

「I.OS」

そう、ASI時代に社会OS化する為の「素地・開墾」をAppleはしてきた。

「Iphone」は、ただの「スマートフォーン・デバイス」としての「性能」を争ったのではない。

ホモ・サピエンスそのものの中にあった、

「Occupational Paradigm Shift」を企図した、

野心的な「工業デザイン」だったのでは無いだろうか?

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そしていよいよ「幾何学的ホモ・サピエンス社会」のASI OSが実装された地球環境と経世済民が作動しようとしている。

この僅か「数ヶ月・数百日」でも巨大な何かの制御し切れなくなった人類秩序の変容を気配として感じる。

それが「汎化」「共有」「浸透」「常態化」するには「タイムラグ」が存在する。

だからこそ「今日」は「今日」の「放擲」から生きるを重ねて行く。

「未知の知」の明日の未来へと「ワクワク」や「ほわほわ」を、地球の重力・内核を感じ、大気中の風と光・生物の香り・太陽と月・銀河系の渦中にあるエネルギーを己の細胞達に重ね合わせる。

「社会的孤独」から生きる「量子」と「人」は、「学習」と「教育」が

「能動」「受動」という「専制」と「自由」という「社会秩序」が与える「ホモ・サピエンスの人格形成への違い」が齎す、大いなる変容をただただ、己の「呼吸」と共有する。

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ご愛読、ありがとうございます。
これからもいつ果てるか解らぬこの小生が、残せるだけ「note」にアップロードしていこうと思っております。
あなたの、その更に先にある存在に、明日への静寂、安寧なる心の棲家が、この惑星で人類として生きる全て人が見つけその胸に宿った事を、風が運んでくれる今この瞬間への出会いを、いつも願っております。

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『ホモ・サピエンス・宙唄(そらうた・Sorauta)の独り言』 私は地球生命、生態系、精霊、神々は一つであると捉えています。人類が千年先にも続いていく為にも地球生命体との共存共生は、今人類社会を生きる我々全ての責務です。これからも地球規模で、生態系保全や風土に紐づいた文化、生態系資源を未来へ繋ぐの活動を、皆さんと共に共有して生きます。