JICA海外協力隊のリアル 第3回「私が幸せになりたいからです」――56歳の私が二次試験で答えたこと
前回は、一次選考に合格し、二次試験に向けて準備を始めたところまでを書きました。
二次試験には、
「人物面接」と「技術面接」
の二つがありました。
「いったい、何を聞かれるんだろう?」
私はインターネットで、過去に受験した人の体験談を調べました。
面接で聞かれたこと。
準備しておいたほうがいいこと。
JICA海外協力隊の目的。
とにかく検索して、情報を集めました。
特に何度も目にしたのが、
「JICA海外協力隊の3つの目的」
でした。
前回も書いたように、当時の私は、
「これは絶対に面接で聞かれる」
と思って、一生懸命覚えました。
でも、実際の面接で聞かれたのは、私が想像していた以上に「私自身」のことでした。
二次試験はオンラインだった
私が二次試験を受けた頃は、コロナ禍の影響もあり、面接はオンラインで行われていました。
コロナ前は、東京のJICA本部まで実際に行って面接を受けていたそうです。
それがオンラインになり、インターネット環境があれば、自宅など、どこからでも受験できるようになっていました。
面接の予約もオンラインで行います。
地方に住んでいる私にとって、これはとてもありがたいことでした。
東京まで行かなくても、二次試験を受けることができる。
とはいえ、オンラインだからといって、気軽なものではありません。
私は当日、きちんとスーツに着替えて、パソコンの前に座りました。
画面の向こうには面接官。
こちらには私。
パソコン越しではありますが、やはり緊張します。
「いよいよ二次試験だ。」
そう思いながら、画面の前で面接が始まるのを待ちました。
最初は「人物面接」
最初は人物面接でした。
まず聞かれたのは、
「なぜ、JICA海外協力隊に応募したのですか?」
ということでした。
私は、10年以上前にインドへ行ったときのことから話しました。
インドで見たもの。
出会った人たち。
そこで感じたこと。
そして、
「いつか海外で何かしてみたい」
と思ったこと。
その思いを、私は10年以上かけて温めてきました。
仕事をしながら、生活をしながら、
「いつか行けたらいいな」
と思い続けていたのです。
インドでは、マザー・テレサの施設で活動していました。
そこでのボランティアは、食事の介助や掃除、身の回りのお世話など、日常生活を支える活動が中心でした。
もちろん、そうした活動も大切です。
でも、その経験を通して、
「これまでの経験や専門性を活かして、海外で何かできないだろうか」
と考えるようになりました。
そして、
「自分の専門性を活かして海外で活動するなら、JICA海外協力隊なのではないか」
と思うようになったのです。
そんな思いを持ちながら、10年以上が過ぎました。
そして56歳になったとき。
渡名喜島から帰ってきて、JICA海外協力隊の説明会に参加しました。
それをきっかけに、
「いつか」
だったものが、
「今、挑戦してみよう」
に変わりました。
私は、そんな話をしました。
すると、面接官が、
「10年以上、夢を持ち続けていたんですね。」
と言いました。
その言葉を聞いて、
「そうか。私は本当に長い間、このことを思い続けてきたんだな」
と、改めて気づきました。
「海外へ行ってみたい」
という気持ちは、思いつきではありませんでした。
10年以上前にインドで生まれた小さな思いが、消えることなく、ずっと自分の中に残っていた。
そして56歳になったとき、ようやく、
「やってみよう」
と一歩を踏み出したのです。
「家族は何と言っていますか?」
人物面接では、家族についても聞かれました。
「ご家族は、海外へ行くことについて何と言っていますか?」
私は、
「家族はみんな賛成してくれています」
と答えました。
私にとって、家族の理解はとても大きなものでした。
特に息子は看護師です。
でも、息子は最初から看護師だったわけではありません。
大学では、なんと機械工学部に進みました。
そして大学の卒業旅行でインドへ行き、マザー・テレサの施設でボランティアを経験しました。
その後、大学を卒業して、機械設計の仕事に就職しました。
ところが、就職してからも、再びインドへ行きました。
そして、
会社を辞めて、看護学校へ。
その後、看護師になりました。
そんな息子を見てきた私にとって、息子は私の一番の理解者でした。
私が海外へ行きたいという話をしても、
「やめたほうがいい」
とは言いませんでした。
むしろ、私の気持ちを理解して、応援してくれていました。
考えてみれば、息子自身も人生の途中で大きく方向を変えています。
機械工学を学び、機械設計の仕事を経験し、インドへ行き、そして看護師になった。
そんな息子だからこそ、私の「やってみたい」という気持ちも理解してくれたのかもしれません。
「経験が宝」
母も、私の挑戦を応援してくれました。
母が言ってくれたのは、
「何でもチャレンジして。経験が宝だから」
という言葉でした。
この言葉は、今でも私の心に残っています。
失敗するかもしれない。
思ったようにいかないかもしれない。
それでも、やってみた経験は、自分のものになる。
母は、そんなふうに考えていたのだと思います。
娘もまた、挑戦し続ける私を応援してくれていました。
だから私は、家族に背中を押してもらいながら、JICA海外協力隊への挑戦を続けることができました。
数日後、技術面接
人物面接から数日後。
今度は、技術面接です。
人物面接とは違い、自分の専門分野について聞かれる面接です。
私は看護師として長く精神科病棟で働いてきました。
そして、高齢者介護や認知症の方との関わりも長く経験してきました。
「どんな質問が来るんだろう?」
と、少し身構えていました。
そして、最初に聞かれたのが、少し意外な質問でした。
「身体拘束について、あなたの意見を聞かせてください」
最初の質問は、
「身体拘束について、あなたの意見を聞かせてください」
というものでした。
私は精神科病棟の看護師として働いていました。
精神科の現場では、患者さんの命に危険が及ぶ場合、身体拘束を行わなければならないことがあります。
私は、
「患者さんの命の危険を守るために行うのであれば、やむを得ない場合もあると思います。ただし、最小限で行うべきだと考えています」
と答えました。
必要だからといって、簡単に行っていいものではない。
できるだけ身体拘束をしなくても安全を守れる方法を考える。
そして、本当に必要なのかを、その都度考える。
私は、これまで精神科病棟で経験してきたことを踏まえて、自分の考えを答えました。
「あなたは、何ができますか?」
そして、もう一つ聞かれたのが、
「あなたは、現地で何ができると考えていますか?」
という質問でした。
私は、
高齢者介護や認知症介護を長年行ってきた経験があります。
と答えました。
でも、それだけではありません。
海外に行ったら、日本と同じ方法でケアをすればいいわけではありません。
文化も違う。
生活習慣も違う。
介護に対する考え方も違う。
だから、
「自分がこれまでやってきたことを、そのまま現地に持っていく」
という考えではいけないと思っていました。
私は、
「これまでの経験を生かしながら、患者さんに寄り添い、その都度考えていきたい」
ということを答えました。
現地に行ってみなければわからないこともある。
その場所で、その人にとって何が必要なのかを考える。
自分の経験を押しつけるのではなく、相手に寄り添いながら活動する。
そのときの私は、そんなふうに考えていました。
そして、面接は終わった……はずだった
技術面接も終わりに近づきました。
これまでの経験について話し、自分ができることについても答えました。
そして、面接官から、
「ありがとうございました。」
と言われました。
「ああ、終わった。」
私はそう思いました。
緊張していたので、少しほっとしました。
ところが――
そのあと、面接官が、
「一つだけいいですか?」
と言いました。
そして、
「ぶっちゃけ、あなたは何のために行きたいと思っていますか?」
と。
不意を突かれた
完全に不意を突かれました。
もう面接は終わったと思っていたのです。
しかも、それまで準備していた答えではありません。
JICA海外協力隊の目的なら、何度も覚えました。
「開発途上国の経済・社会の発展、復興への寄与」
「異文化社会における相互理解の深化と共生」
「ボランティア経験の社会還元」
もちろん、そういう答えもできたと思います。
でも、その瞬間。
頭で考えるより先に、口から出てきたのは、
「私が幸せになりたいからです。」
でした。
「私が幸せになりたいからです」
自分でも驚きました。
そんな答えをするとは、まったく思っていませんでした。
でも、そのときは、それが一番正直な答えだったのだと思います。
私は、誰かのためだけに海外へ行きたかったわけではありません。
海外で活動してみたい。
新しい世界を見てみたい。
これまで知らなかったことを知りたい。
いろいろな人に出会いたい。
自分の経験を誰かの役に立てたい。
そして、
自分自身も新しい経験をしてみたい。
そんな気持ちがありました。
10年以上温めてきた「いつか海外へ」という夢。
56歳になって、その夢を実際に追いかけてみる。
それは、誰かに頼まれたからでもありません。
「やらなければならない」からでもありません。
自分がやってみたいと思ったから。
そして、その経験を通して、
自分自身も幸せになりたかった。
だから、あのとき、
「私が幸せになりたいからです。」
という言葉が出てきたのだと思います。
すると、面接官は笑いました。
そして、そのまま面接は終了しました。
画面越しに、
「ありがとうございました。」
と挨拶をして、オンライン面接を終えました。
パソコンの画面が終了すると、
「私、なんて答えたんだろう……」
と、少し可笑しくなりました。
あの答えは、正しかったのだろうか
面接が終わってから、
「もっと違う答えをすればよかったかな」
と思いました。
JICA海外協力隊の目的を一生懸命覚えたのに。
最後の最後で、
「私が幸せになりたいからです」
なんて。
もっと立派なことを言えばよかったのかもしれません。
でも、今になって振り返ると、私はあのとき、初めて本当のことを言ったのだと思います。
人の役に立ちたい。
自分の経験を生かしたい。
現地の人と一緒に活動したい。
それも本当です。
でも、それと同時に、
自分の人生を、もう一度、自分で動かしてみたかった。
自分が知らない世界を見たかった。
新しい人たちに出会いたかった。
そして、
「こんな人生もあったんだ」
と思える経験をしてみたかった。
それも、私がJICA海外協力隊に行きたかった理由だったのです。
二次試験を終えて
こうして、人物面接と技術面接。
二つの面接が終わりました。
56歳。
10年以上温めてきた「いつか海外へ」という夢を、本当に自分の手でつかみに行った二次試験でした。
結果がどうなるのか。
このときは、まだわかりません。
ただ、面接を終えた私は、
「できることは全部やった。」
そんな気持ちでした。
そして、ここから私は、
結果を待つことになります。
果たして、56歳の私に届いた結果は――。
次回へ続きます。

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