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就職氷河期から這い上がり落ちて、今からまた這い上がる人生!

自己紹介には、詳細までは書いていないのですが、
改めて自分自身の社会人人生を振り返りました。

結構、赤裸々に書きました。

誹謗、中傷などしない為に、敢えて抽象的に書いている部分もございます。もし不快感を与えましたら申し訳ございません。


■大学時代の就職活動(氷河期)

関西の大学在学中(3回生の終わりごろ)に、就職活動をしていました。

応募はするのですが、面接までなかなか進めない日々でした。

応募件数ははっきりと覚えていませんが、40社程は送ったと思います。

やっと面接OKの企業が現れ、1次面接を受けて2次面接へと進むことができました。

しかし、面接をやれどもやれども内定はいただけません。
いったい、何次試験まであるのか疑問がでてきました。
と言うのも、その時4次試験(5次だったかも)まで受けていたからです。

結果は、不合格で脱落です。

グループワーク、ディベート、ロールプレイングと色んなことをしましたが、恐らく適正判断で落ちました。

しかし、この企業は内定貰うまで、何次まで面接(テスト)あるねーんって!! 正直思いました。

最後の方では、もう内定出ても行きたくないなーって気持ちにもなっていました。

補足しておきますが、皆さんが想像するようなバリバリの大企業ではございません。

ちょっと、名前は聞いたことあるかもって感じの会社で、皆様だったら働くのは、きっとやめておく会社だと思います。

その当時は、取り敢えずどこでもいいから、正社員にならないとって思う気持ちで活動していました。

最終的に、医療用品の会社の販売員として、内定を貰いました。
同期は大勢いました。
全員が販売員としての戦士です。

■1社目 医療用品販売員時代

今考えると、この会社は、すぐに人が辞めていくので大勢の人を採用していたのだと思います。

その当時は、そんな事よりも何とか這い上がって、本社勤務まで行けるようになってやろうと思っていました。

しかし、そんな思いに反して1年半で退職しました。

理由は、長時間労働による嫌気と、年を取ってからもこの働き方ができるか?って不安が出てきたからです。

そんなん、入る前から分かってるやろーって、突っ込まれそうですが、当時は社会人にならなければって言う短絡的な考えで、就職を決めていました。

もちろん、在職中は必死になって上司の指示通り自社商品中心に販売を頑張っていました。

朝の9時半から夜の11時、12時まで働き、月に1度の棚卸時は、終わるのが2時とか3時でした。

もちろん、翌日9時半から通常勤務です。

若いからその働き方が出来たのですね(笑)

今は、1カ月も無理ですねー

おかしいのは、その頃それが普通で、出来なかったら自分の能力(根性)がないからや。って、ある意味洗脳されていました。
今考えると恐ろしいですね〜

休みは週2回ありましたが、こんな働き方なので、どんどん周りの人が倒れていきます。

急遽駆り出され出社して、使えない代休がどんどん増えていきました。

今で言うところの、ブ◯◯ク企業ですね。
そういうのがまかり通ってた、時代でした。

■退職して専門学校へ

大学で経営学を勉強していたこと、大学の先輩で税理士になった人がいたこと、その影響もあり、手に職をつけるために、税理士の専門学校に2年間通って勉強しようと思いました。

その当時は、机に向かってする仕事や、年を取ってでもできる仕事(体力が無くてもできる)に就けるように、専門職である仕事に就くため、会社に退職願を提出しました。


しかし、現実中々退職はさせてもらえませんでした。数カ月先のコースに申し込む予定だったので、それまでには辞める必要がありました。

会社には、最低半年前に言わないと引き継ぎできないやろー、と半年間は最低働く様に言われました。

学校のコースが9月から開始するので、それまでには辞めさせて欲しいですと、何とか許可をもらって辞めることが出来ました。

私も3ヶ月前に辞めさせて下さいと伝えているので、そんな無茶な辞め方はしてないのです。


そんなことがありましたが、
9月から某会計専門学校の学生として通い始めることができました。

その当時、忙しすぎて(休みが無さ過ぎて)貯金が溜まっていってたので、学費は何とか自分で払えました。

学校には、毎日朝から晩まで通い勉強していました。

経営学を学んでいたと言っていますが、大学時代に遊んでばっかりで勉強してなかったので、簿記の知識は殆どありませんでした。

それで、学校の授業についていくのも必死でした。授業とは別に自分自身でも基礎を勉強してと、平行して勉強をしていました。

ちょっと舐めてかかってましたね。

その結果、1年目は不合格でした。

翌年も、同様に必死で勉強してきました。

2年目は、合否が出る前に税理士事務所の就活をしていました。

というのも、当時試験を受けて結果が出るまで4ヶ月程かかるので、合否待ちの状態で就活せざるを得ない状態でした。
(※結果は、後日合格でした。)

税理士事務所約30社に履歴書を書いて、応募しましたが全滅。

そりゃ、そうだろ。
だって、未経験、合格なしなんだから。

当時25才。また挫折。
やる気はありますが、働く事は難しかった。

地元の本屋で、たまたま税理士事務所の応募があり、電話すると、面接OKと言われました。

前職がブ◯◯ク企業だったんで、もう何でも良いから働ければ良いわって気持ちでした。

どんな環境下でも働ける免疫はついていましたので、何でもやったるって感じでしたね。
面接と試験をしたら合格をいただけました。

今振り返って思うのですが、税理士事務所の面接受けると必ず経験が必要って良く言われます。

でも誰でも最初は、未経験なんですよ。
それを経験って言われても。
最初は、経験無いですよー
20代半ばで経験あって、そこそこデキる人ってそんなにいないですよ。
※ちょっとグチっぽくなりました。税理士さん見てたらごめんなさい。悪意はございません。

なので、やっぱり肩書(合格)は必要なんです。


■2社目 税理士事務所勤務

実際、税理士事務所では、顧問先は中小企業が大半なので、会計伝票の入力・月次決算・給与計算・決算・税務申告と少しずつやり方を覚えていきました。

そこの事務所は、私が入る直前にベテランの人が大勢辞めたので、ほったらかし状態です。自分で、見て覚えろ的な環境でした。

1年半後に、自分で顧問先を回って決算まで任されました。

出来が良かったから任されたのではなく、人数がいないから任されているだけです。
その当時は、わからない事だらけで、聞く人もいなく、辛かったですねー

しかし、時間と共に経験値がついていき、割と早い時期で他の事務所では経験できないこともさせてもらいました。
※あまり詳細に書いてもですが、相続税の計算とかも30件ほどやってきました。

年月と共に知識・経験は相当なものになっていきました。

知らない人もいると思いますので言っておきますが、税理士事務所は給与は安いです。

私の最初の給与は、税込み14万円で手取り11万円でした!!!
ビックリでしょー

実家から通い、近所の職場だったのでまあ何とかやっていけました。

大学生の頃の、長期休みの時のバイトの方が稼いでましたね(笑)

当時は、給与じゃなくスキルと知識を身につけるために必死になって働きました。

約10年、決算、税務申告、相続、登記、株価評価、設立、閉鎖、社会保険手続、税務調査、国税の調査などありとあらゆる処理をさせて貰いました。

今でも、ここまで経験させて貰ったことは感謝しています。

もちろん、辞める時は14万ではなく、平均的な給与はいただけていました。

アベノミクスで世の中の採用も増えてきている時期なので、これはチャンスだと思い、新しいフィールド(一般企業)で働きたくなり転職活動をしました。
経験した知識を使って、別の世界で働いて給与を上げたいと思い、2度目の転職を決意。

■3社目 一般企業勤務時代(輸入会社)

当日、30歳を超えると転職は厳しい。無理と言われていた時代です。

一般企業で働いたことがないと、一般企業で経理採用はしてくれないと某職業仲介会社に言われて仲介自体を断られました。

別の紹介会社へ依頼しました。
30社程応募して、5社面接へ進めました。

紹介された5社目の会社で、1次・2次面接と進み最終3次の役員面接。
30歳を超えると厳しいと言われ続けましたが、36歳で中小企業の経理職の座を獲得できました。
ホント、運が良かったのでしょう。

この時点で、やっと大学時代に入れなかった一般企業に入社できました。
中小企業ですが、人数も200~300と中堅の会社でした。

最初は、会社のルールや経理処理を覚え、業務改善が私の課題となりました。そりゃそうですよね。

中途入社で入れば、通常の経理業務だけでは満足してもらえません。
業務改善をしてくれるだろうと凄いプレッシャーを感じていました。

他の人が終わってから残業して業務フローを書いて、業務の改善項目の洗い出しを行い、会社が求めている業務を即時に対応出来るようにと自動化(今で言うDXです)を進める準備をしていました。

その会社には情シス部隊がおり、色々とシステム構築のロジック(考え方)やプログラムの書き方なども教えていただきました。
今は自分の財産になっています。

その会社では、DX関係の成果を上げ、自分自身も新たな経験ができたことで、少し自身も付きました。

そんな、やりがいの合った会社でしたが、会社の経営体制に変化があり、自分自身の中で考え方が合わず、また転職の道を選択。

■4社目 一般企業勤務時代(卸売業)

この時点で、既に40歳です。
もう転職できる年齢の限界を超えていました。

幸いなことに、紹介会社に就職先をいくつか紹介していただけました。
4社目で、1次の総務経理面接・2次の役員面接を受け合格を頂けました。

この会社を選んだ理由は、海外(東南アジア)に子会社があり、海外勤務を経験したかったこと、金融商品会計基準に準じたレベルの決算や連結決算をしていたからです。

今まで、自分が経験したことのないレベルで仕事ができると思いました。

40歳からでも、色々新しいことを学び、身につけることができました。

にもかかわらず、約4年勤務して退職しました。

がむしゃらに働きすぎ、子供が小さいにも関わらず、妻にワンオペで負担を掛けすぎてしまっていたからです。

この働き方は幸せではないと感じ始めました。

給与は、転職事に上がって来ていたのですが、何が自分に取って大事なのか?必要なのか?を考えた時に、働くことがゴールでなく、手段だと改めて気付かされました。

そこからの、行動は早かったです。
その時管理職まで行ってましたが、退職願いを出しました。

そこでも、中々退職まで時間はかかりましたが、次のステップに進む
までには辞めることができました。


■新たな力をつけるために、データサイエンスの勉強

退職後、紆余曲折ありました。
その後、データサイエンスを学ぶために学校に行く準備をしました。この勉強をするのは、自由の道に進むための一つの手段になるだろうと思い決めました。
入学までの期間の間に、妻にお願いして少しの間ラオスに行く許可を頂きました。


それが、以下の記事に記載しています。

旅から帰ってきて、データサイエンスの勉強を6カ月しました。
主に、分析手法、R言語、Python、SQLなどです。

勿論、当初の目的であった子育てに参加できるようになりました。

■病気で手術・入院

  詳細は、こちらに書いてます👇️


■フリーランスの道へ

年齢や自分の置かれている環境で、その時々の働き方に変化がありますね。
一番良いのは、人生バランスを取って働ければ良かったのですが、自分はその環境の中で上手く対応できませんでした。

ただ、サラリーマンを辞めて全く後悔はありません。
何となくですが、退職する前からいずれフリーランスで働くだろうなーって、思っていました。
また友人からも、私はサラリーマンに適してないと、よく言われてました(笑)

ただ、副業などを事前に経験しておけばよかったとは思いますが、追い込まれた方が、必死になってやるので自分にはあってたのだと思います。

未経験でこの世界に飛び込み、これから大変だと思います。
今後どのように進むかまだ模索していますが、やれることから少しずつやっていきたいと思います。


■最後に

勿論、事前にフリーランスになるだろうなーって考えていた時点で、最低限の収入は確保できるようには、準備していました。

それが、会計処理の請負と株式投資です。

株式投資については、またどこかで記事にできればとも思っていますが、記事を書くのに相当時間がかかりそうなので、折を見て作成したいと思います。

長文になってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございます☺️

もし、似たような経験がある方がいれば、ぜひ教えてください。
「あ、わかる…!」というだけでも、すごく嬉しいです☺️

気軽にコメントいただけるだけで、めちゃめちゃ励みになりますので✨️

長時間おつきあい頂きありがとうございました😄



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りゅう|自分らしい生き方を探している人 この記事が少しでも参考になったら、とても嬉しいです。いただいたチップは、今後の記事制作やブログ運営など、より良い発信を続けるために大切に使わせていただきます。

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