入院21日間で気づいた“当たり前”のありがたさ
硬膜内髄外腫と診断された翌月、僕は手術を受け、3週間の入院生活を送りました。
手術室へ、歩いて向かうという現実
手術前の数日間は、検査づくしの日々。
その後、いよいよ当日がやってきました。
テレビで見るような「寝台で運ばれるシーン」を想像していたけれど、現実はちょっと違っていて…
自分の足で手術室に向かい、手術台に上がる。
それが、少しだけ不思議で、妙に覚えている感覚です。
手術室には、看護師さんが4、5人いて、テキパキと準備が進められていました。
僕はまるで「まな板の上の鯉」状態。
何もできず、ただ身体を預けるだけ。
麻酔科の先生が点滴を入れると、すぐに手が温かくなって…
あっという間に意識が遠のいていきました。
手術後の目覚めと、動かない左足
気がつくと、主治医の声で目覚めました。
でも、全身がこわばって、身体中が痛い。
「足を動かしてみてください」
そう言われて、動かそうとしたけれど――左足が、まったく反応しない。
動かない足を見つめながら、不思議と焦りはなくて。
でも、「このまま戻らなかったら…」という不安だけは、じわじわと押し寄せてきました。
主治医は「時間とともに回復するよ」と言ってくれました。
その言葉に、すがるような気持ちでうなずきました。
HCUで迎えた長い夜
約7時間の手術は、背中側から腫瘍にアプローチするもので、腫瘍の位置が胸側にあったため、とても難しい手術だったそうです。
それでも、**「完全摘出」**していただけたこと。本当に、感謝しかありません。
その後はHCU(高度治療室)へ。
仰向けで6時間、背中のドレーンから血を出し続けながら、朝まで動けずに過ごしました。
痛み止めの点滴は効いているはずなのに、痛くてまったく眠れない。
することもないので、ひたすら頭の中で「足を動かすイメージトレーニング」をしていました。
リハビリが始まった日と、歩けない現実
翌朝、一般病棟へ。
でも、痛みはひかず、最初の2日間はほぼ眠れませんでした。
ドレーンと尿道カテーテルがついたままで、まだ歩ける状態ではなかったけれど、
3日目には少しだけ眠れて、ほんの少しだけ、左足が動くようになってきたんです。
そこから、少しずつ少しずつ。
看護師さんの肩を借りて立つ練習を始めたけれど、自分でも驚くくらい足腰が弱っていました。
「マラソンやってたのに…」
たった数日でこんなにも筋力が落ちることに、驚きとショックを感じました。
リハビリと、自分との戦い
尿道カテーテルとドレーンが外れた後は、歩行器を使っての歩行練習と、本格的なリハビリが始まりました。
作業療法と理学療法で、毎日2時間。
さらに、自主練として病棟内を2〜3時間歩く日々。
特に苦労したのは、左足を上げて別の場所に着地させる動き――つまり、階段の上り下り。
頭ではわかっていても、身体がついてこない。
退院する頃も、まだ歩行器を使っていたので、
「このまま本当に家まで帰れるのかな…」と心細くなりました。
普通のことが、こんなに幸せだったなんて
退院の日。
足取りはまだおぼつかなかったけれど、無事に帰宅。
その足で、お肉を食べに行きました(笑)
病院食に慣れていたせいか、久々の外食は、もう本当に感動的で。
「普通に食べられる」「外に出られる」――
それが、どれほど尊いことか、身に染みて実感しました。
腫瘍を取らなければ、もしかしたら肩から下が動かなくなっていたかもしれない。
今、こうして歩けていることに、ただただ感謝です。
まだ歩きは不安定だし、痺れや痛み、麻痺も残っています。
でも、前に進めている。それだけで、充分です。
そして、これから
退院後は、別の病院で本格的なリハビリが始まります。
「絶対に元の身体に戻してやる」――あの頃は、強くそう思っていました。
でも今は、焦らずに。
“昨日より少しだけ前に進めた自分”を大切にしながら、
また歩いていこうと思っています。
次回予告
次回は、「脊髄腫瘍手術後のリハビリとの戦い」奮闘の日々を綴ります。
体はゆっくりしか戻らないけれど、心は少しずつ前を向いていく――そんな日々の記録です。
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