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【マンダラ夢分析】西暦2000年ごろにみた自分の夢をマンダラ・モデルで分析したら、これまでの人生の総まとめのようなことが得られたという話

古い書類を整理していたら、なにやら手書きのメモを発見した。
自分が書いたものである。
よく読むと、それは「」の記録であった。

裏紙になぐり書きされているもので、表側の断片を読むと「ミレニアム」がなんとやらと書いてある。どうやら西暦2000年ごろにみた夢であることがわかる。当時の私には夢を日記につけるという習慣はなかったが、よほど印象に残ったのであろう。

次の様な夢である。

とある観光地、広い芝生の庭園があるホテルにいる。

ホテルの共用スーペース、サロンというかカフェテリアのような部屋で、私は家族学校の先輩たちと一緒にいる。
私の家族たちと学校の先輩たちは知り合いではないはずだが、特に違和感なく、一緒にいる。

すぐ横に私の荷物が置かれている。私はこの荷物のことを気にしている。

このサロンと同じ様な部屋が、となりにもう一つあることがわかる。



私は、先輩の一人から写真を撮られる。
彼は面白がって順番に皆を撮っていって、私に「撮っていいか?」の一言も聞かず、いきなりこちらにレンズを向けてシャッターを切る。少し迷惑だなと思う。



ふと案内をみて、私たちはこのホテルで、著名な女性ピアニストのコンサートがあると知る。私たちはコンサートがあることなど知らずにここにきている。

私の家族は、なぜかこのピアニストのことを快く思っていないらしい。「嫌いだ」という。

もっとも私は、そのピアニストと面識もない。
一体何が悪いのか、よくわからないが、余計なことは言わずに黙っておく。

* *

日付が変わって、コンサートの日になる。
私たちがいたサロン、あの部屋が、まさにコンサート会場に使われると知る。

私はふと、自分の荷物をあのサロンに置きっぱなしだったことを思い出し、急いで取りにいく。しかし、部屋ではもうコンサートの準備が進んでおり、かのピアニストが練習をしている。そして、私のおいたはずのところから荷物がなくなっている

荷物を失ったと不安になるが、ふと、隣の部屋を見ると、その隅の方へ私の荷物が転がされているのを発見する

荷物をみつけてホッとすると同時に、「無断でひとのものを放り出すなんて、あのピアニストは、たしかにタチの悪い人間だ」と私は思う。

* * *

私たちは別の部屋で帰り支度を始めている。
四角いテーブルの西側に一人、南側に一人、東側に二人、という具合に仲間が分かれて、なにやら口論をして、睨み合っている。

何のケンカかわからないので、私は我関せずで黙っていた。

そうしているうちに自然とみんなは仲直りして、また一緒に片付けに専念している。私はホッとする。

* * * *

私はひとり、先ほどのケンカが行われた四角いテーブルの部屋を出て、別の2階か3階へと、フロアを上る
窓から外が見える。雨の森である。

そこにホテルの支配人が来る
そして私に対し、いま始まったピアノのコンサートに出演してほしいという。私にはコンサートで演奏するようなピアノの腕はないので、驚いて拒否する。しかし、支配人によれば、なんでもこの出演オファーは、私の荷物を放り出してしまったことに対するお詫びの意味があるらしい。

そして私がコンサートに出演したならば、とても貴重な品を記念品としてプレゼントしてくれるという。そのプレゼントの品が何であるかは不明であるが、私は、それが、いまちょうどこのホテルから出発しようとしている私にとって、とても有用な宝物であるらしいことを直観する。

おわり

この夢、今記録を読み返すと、見事なマンダラ夢になっている。

はじまりの「四」

まず四角い部屋から話が始まる。
部屋の中に、たくさんの人がいる。
そのたくさんの人たちは次の二つのグループに分かれる。

私の家族たち / 私の学校の先輩たち

この両者の間に面識はないのだが、どちらも「私」の関係先であるという点で、私を介して繋がっている。



私の家族    / 私の学校の先輩

そして「私」は、「私の荷物」が、私から少し離れたところに置かれていることを非常に気にしている。



私の家族    / 私の学校の先輩

私の荷物

四角い部屋の中の四者の関係。
夢のビジョンへと変換されたマンダラである。

アンバランスな分離と結合

さて、この四者の間には距離の伸縮がある。

1)まず、私と家族の関係は極めて良好、友好的である。
私と家族はしっかりと結合
している。

2)次に、私と先輩たちであるが、関係は友好的であるが、「無理に写真を撮られる」というところで、私は少し、反発、抵抗を感じている。とはいえ「止めてください!」と言うほどのことでもなく、我慢して写真を撮られている。この馴れ馴れしく無断に「写真にとる」という動きは、分離しているところが結合に転じてくる、ということであろう。(分離から結合へ)

3)最後に私は、私の荷物との関係が気になっている
荷物は私のものであり、私と不可分一体のものである。
この荷物は、私の近くに結合しているが、しかし、なくなってしまうのではないか、分離してしまうのではないか、という不安感を私に与えている。(結合から分離へ)

つまり、下記の四者の関係は、結合しすぎたり、分離しすぎたり、という動きの相にあり、安定した正方形を描く様にはなっていないのである

四項関係が伸びきって崩壊してく?

さて、このような四者の関係が繰り広げられている場、空間が、「著名な女性ピアニストのコンサート」に利用されるという。つまり私たちはこの部屋から(丁重にではあろうが)追い出されるということである。

こうなると四者のただでさえ不安定な関係はバラバラになることだろう。
その追い出されるということを、私たちは快くは思わない。

そして実際に私がその部屋から出て、コンサートが始まろうと言う時、私は私の荷物が、その部屋に残ったままだったことに気づく。

私と私の荷物の間が、もともと不可分に結合していた二者の間が、ずいぶんと遠くへ分離してしまっている。




分離


私の荷物

私は荷物を探しにいくが、もともとあったところにない
私が知っている、私が記憶している場所から、私の荷物はいなくなってしまった。ここで荷物と分離されたことに対して、私は強い不安を感じる。

しかし、私の荷物は永遠に失われることはなく、すぐに隣の部屋で発見される。それでも私は、私と私の荷物の間が勝手に分離されたことで、「ピアニスト」に対して反発を覚える

そうして私たちは、この部屋、このホテルそのものから分離しようと、支度を始める。四項関係はますますバラバラになりそうだ。

ユングによる意識の四機能

ちなみに、この四者の関係をユングのいう意識の四機能に重ねてみると次の様になるだろう。

ユングは人間の意識の機能を「感覚」「思考」「感情」「直観」の四つに整理する。

  • 「思考」:なにであるか/なにでないか、を分別

  • 「感覚」:ある/ない、を分別

  • 「感情」:好き/嫌い、を分別

  • 「直観」:現れてくる/消えていく、を分別

この四つの機能がバランスよく、つかづはなれずに連動すると、私たち人類の精神(心)は大いに安定した調和のとれた状態になる

四つの心的機能間の「距離」が遠く離れすぎたり、また過度に近づきすぎてある機能が対立する別の機能を飲み込んでしまったりすると、四機能の調和は達成できない。

この調和のとれた心の状態を目指すことを、意識の表層に教えるのが「マンダラ夢」である。

四機能を象徴する登場人物たち

それでは、この意識の四機能を、私の夢に出てくる者たちに重ねてみよう。
概ね、次の様になると思われる。

  • ある/あるではないが不可得な「感覚」==「私の学校の先輩」

  • 分離/結合が不可得な「思考」==「私」

  • 同一化/差異化が不可得な「感情」==「私の家族」

  • 増益/損減が不可得な「直観」==「私の荷物」

  1. 二項間の距離の近さ遠さを気にしてばかりいる「私」は、分離と結合が不可得にゆらぐ「思考」の機能を担っている。

  2. そして好き/嫌い、結合するか分離するかをはっきりと表明する「家族」たちは「感情」の機能を象徴しているといえよう

  3. 「写真を撮る」ということで、私の存在を際立たせるようなことをする先輩たちは、さしあたって、ある/ないが曖昧なところからあるを際立たせてくる「感覚」機能であろう。

  4. そして私の荷物は私の補助機能となるものであるが、それは増益/損減、つまり、やってくる=あらわれてくる/なくなってしまう、という分別が曖昧なところで困惑している「直観」を担っているといえよう。

この四つが、付かず離れずに調和して補い合い、正方形を描く様に配置されればよいのだが(ユングのいう個性化)、この夢のこの段階では、付かず離れずどころか、すっかりバラバラになりそうな危険な雰囲気である。いや、バラバラになるというか、四角形が潰れて歪んだ菱形になっている。

これ、「歪んだ菱形」くらいで済んでいるからまだよいが、「三角形」になったり、完全に潰れて「線」になったり、あるいは「点」になったりすると、なかなかきついことになる。

新たな四項関係の設立(マンダラ状の調停)

ところが、このバラバラに分離したような状態から、今度は結合へと動きが転じる。正方形を描く様にゆらゆらと動いていく。

まず帰り支度を始めた私たちは、四角いテーブルを囲んでいる。
これだけでもうマンダラっぽい。このテーブルの周囲に、四人がいる。誰が誰だかいまいちよくわからないのであるが、四人いることは確かである。うち一人は私である。

・西側に一人
・南側に一人
・東側に二人

東西南北に一人づつ配置されるとバランスが良いのだが、北側は誰もおらず、東側に二人が寄っている。正方形になるべきところが、三角形に潰れている。これはまさに先ほどの、私、私の家族、私の学校の先輩、私の荷物の関係が描く図そのものである。

そしてこの正方形を描けていない状態で「口論」が、「睨み合い」がはじまる。協力すべき四者がバラバラになりそうな雰囲気であるが、このケンカはどういうわけか、私が何かをするでもなく、すぐに収まり、仲直りできる。

**

意識の表層の一番底の仕切り直し

そうして私は、一人で上のフロアへ上がる
2階か3階か、上層のフロアの廊下か、階段の踊り場の様なところにいる。
そこには大きなガラス張りの窓というか透明な壁があり、視界が開けている。

いままでずっと箱の中のような部屋の中にいたのが、ここへ登ってきて、窓の外が見える。そこは雨の森、未分化なものたちが分化しはじめる、分離と結合が伸縮しつつ調和する世界である。その雨の森のなかに、私たちの四角形、立方体の空間があるのだという広がりを感じる。

この上昇は、無意識から意識へ、分別と無分別のあいだが揺らいでいる状態から、安定した四項関係=分別=意味分節システムの設立への様相転換を象徴している。

四項の変容

そこへ、新たな登場人物であるホテルの支配人が現れる。
彼はとても丁寧な、礼儀正しい男で、調停者である。

この支配人の礼儀正しさは、最初に勝手に断りもなく写真を撮ってきた先輩と真逆に対比できるものである。

ところで、この支配人も、先輩も、どちらも黒っぽいスーツのような服装をしており、背格好もそっくりな男性である。

丁寧な支配人と不躾な先輩は裏表、二にして一、一にして二の関係にある

ここでこのホテルの支配人が、先輩に替わる「感覚」機能の象徴であることがわかる。

丁寧なホテルの支配人に変容した「感覚」は、私(「思考」)とより調和的な関係にある。

「感覚」機能の象徴:
不躾な先輩 →(変容)→ 丁重なホテルの支配人

そして、この支配人は私にコンサートへ参加するように、つまり一番最初にいた部屋に戻り、ピアニストと一緒になってなにかをするように告げる。

必ずしも、ピアノを演奏してみろ、と言われているわけではない。
私は、何をすれば良いのか、まだよくわからないのであるが、とにかくコンサートの会場に参加して、ピアニストと一緒にお行儀よくなにかをするようにと、依頼される。

そしてコンサート会場になっている部屋に戻って、ピアニストと一緒に舞台に立つのなら、放り出された私の荷物を補償することができる、より価値のある品お土産になる新しい荷物を授けてくれるという。

この品物がなんなのかはよくわからないが、私が帰路の旅をする上で非常に有用なものであるらしい。つまり、私が移動中に、常に携えているとよいもの、「私」の補助機能としてしっかりと身近にあってよく働いてくれそうなものである。

もともとの荷物が、私にとっては、起き忘れて無くしそうになるような、いつなくなってもおかしくないようなおぼつかない不安なものであったのに対して、新たにもらえるプレゼントは、もっとしっかりと私と結びついて、私を補助してくれそうなものらしい。

「直観」機能の象徴:
覚束ない荷物 →(変容)→ 頼り甲斐のある物

そして最後、例のコンサートに出演中のピアニストは、実は「感情」の象徴であると思われる。

「感情」はもともと、私の家族、具体的には祖母あるいは母によって担われていたのが、実は私の家族、私と一緒にいま旅行に来ているメンバーのうち私の祖母と私の母は、どちらもピアノを専攻していた人たちである。

つまり私の家族とこのピアニストも、支配人と先輩と同様に、二にして一、一にして二、表裏一体で互いに変容しうる関係にある。

根拠もなく好き/嫌いをあらわに口にする不躾な家族から、ドレスアップしてしっかりと練習をして演奏表現(感情の表現)を行うピアニストへ、感情の象徴がより私と調和的なものに変容している。

「感情」機能の象徴:
無遠慮な表現をする →(変容)→ 洗練された表現をする

夢はここで終わりである。

この夢には、「」が実際に「ピアニスト」と「支配人」と「特別にプレゼントされる新しい私の荷物」とともに正方形に配置されるといったビジョンはないが、とはいえ、夢の冒頭からの分離と結合の伸縮からすると、ずいぶんと調和の取れた四者が揃ってうまくいきそうな感じがしている。

まとめ

さて、この夢をみたのはもう二十年くらい前のことなので、当時私自身が、どのような葛藤を抱えていたのかはほとんど覚えていないのであるが、西暦2000年の少し後といえば、ちょうど20代、学生としての生活に終わりを告げて、職業人として世に出なければならないにも関わらず就職超氷河期で、好んで就てみたいと思える職業が見当たらず、さりとて何もしないわけにもいかず、といった状況だったはずである。

その当時、「私」の「思考」は、おそらく「直観」と強く分離されていたのであろう。直観を、思考の頼り甲斐のある補助機能として利用できなくなっていた、ともいえようか。

直観は「現れてくる/消えていく」を分別するが、「この先、どういう未来が現れてきて、今慣れ親しんでいる者たちがどう変わって・消えていくのか」、まったく見通しがつかない状況である。私の思考は「直観」の機能を頼ることができない。

代わりに「私」の「思考」に近くなっているのは「感情」である。好き/嫌いを分別する感情である。「この先どうなるか読めないので、とりあえず、好きか嫌いかで、判断するしかない」といった状況だろうか。

超氷河期、どの企業に入ったところでそうばん倒産するだろうし、いかに潰れなさそうな機関に入ったところで「代わりはいくらでもいる」と使い倒されることは目に見えている。そうだとすれば、将来「現れてくるもの」(直観が分別できるもの)への期待や信頼など捨て去って、いまここで「好きか、嫌いか」で判断するしかない、という感じである。

そして「感覚」(ある/ないを分別する)も、「私」の「思考」にとっては、不躾に突然目の前に割り込んできては、思考を邪魔する「ある」をぶち込んでくる、ちょっと迷惑な機能という感じで経験されている。これは時代状況というよりも、私のもともとの身体感覚の特性によるところだろう。

まとめると、当時の私は、

  1. 感覚の世界は嫌いで「分離」したいと思っている。

  2. 直観しなければならない「来るべき未来」からも「分離」されており、自分と関係ないことという感じがする。

  3. 感情の好き/嫌いの分別ははっきりして、とりあえずこれしか頼りになるものがない。

といったところで「思考」し、自分がなにであるか/なにでないか、分別して際立たせつつ、他者たちの間を生きていかなければならない、といことに苦悩していたということになろう。

この苦悩を乗り越える為の方法を、実は私の無意識が、この夢を通じて、教えてくれていたのである!

  1. ホテルからの帰路の旅、これから先の人生の旅の助けとなる様な、よりしっかりと先を「直観」する力をお土産とする

  2. 私の「思考」が「感情」だのみで分別してしまうことを諭しつつよりよい分別の可能性を提示する、この「ホテルの支配人」のような「感覚」を大切にする。

  3. 「感情」を、根拠なく暴れさせるのではなく、美しく洗練された表現に昇華させる

というぐあいに、この三つのことができれば、「私」はより調和の取れた「思考」で、分別をつけながら生きていくことができる、ということを、なんと夢は教えてくれているのである

+ + +

では実際、その後のわたしは、この夢が教えてくれたような、より調和的な「直観」「感覚」「感情」を育てることができただろうか?

この答えは個人情報に該当するのでここには書かないが(笑)、少なくとも当時の私は、まだ今回、ここで論じたような水準で自分の夢を分析することはできず、夢からの「メッセージ」をダイレクトに解読することもできなかった、ということは述べておこう


如実知自心。

答えはすでにあったのだ。
が、しかし、当時はそれに気づくことができず・・。

・・・

あれから四十年!

いや、二十年だったか。

「直観」については空海を通じて「法界」を知ったことでしなやかになりつつあり、「感覚」は自分自身の生活力である程度コントロールできる様になり(刺激少なく生活)、また「感情」に表現を与えるところは、レヴィ=ストロース氏の『神話論理』で相当柔軟になっているような気がする。

最後に、このはなしを明敏な同伴者の方にしたところ、「いまこのタイミングで、この夢を再発見したことに意味がある」と言っていただいたことが、いま深く「直観」「感覚」「感情」に響いている。

急ぐものでもないのかもしれないな、と思う。

つづく


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ユングによる「パウリの夢」の分析の再読を、下記の記事に分けて掲載しているのでご参考にどうぞ。上述と同じ方法で、パウリのクライエントである理論物理学者ヴォルフガング・パウリの夢を再分析してみている。


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