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長編小説|Another Horizon #01


【第1部】 #01 客が神でなくなった世界で


【あらすじ】

──  飴を口腔内に大量に詰め込まれて、窒息しかけた女性客が救急搬送された。
 ホテルのフロントクラークを務める皆月航太は、ある日衝撃的な報せを受け取る。
 西暦2047年。AIとVRが普及した近未来。航太は食堂で、ある女性と出逢う。彼女は高級風俗嬢だった。接客業に携わる人間として、航太は彼女に共感とも同情とも、もしくは恋情ともつかぬ想いを抱くことになる。
 AIが接客する世界で、人は人に何を求めるのか。VRのなかで生きられる世界で、仮想空間と現実世界、どちらを人は選ぶのか。
 そしてマンションの住人が誰も見たことのない、航太の兄の存在とは……? 
 兄弟の絆と希望と再生を描く、近未来SF!


 この国で、お客様が『神さま』ではなくなって久しい。

 既存のサービス業のほとんどが、人工知能AIに取って代わられた。

 ありがとうと言って見送ってくれるバスの乗務員もいなければ、目的地までの経路や時刻表を親切丁寧に教えてくれる駅員もいない。泥酔していても自宅まで無事に送り届けてくれたタクシーの運転手も存在しない。

 味気ないな、と皆月航太は胸中で呟く。

 地下鉄がゴォーと音をたてて、風を吹きあげながらホームに滑り込んできた。日勤の勤務を終えた航太は、人々の流れに従うように車両へと足を踏み入れる。当然のごとく、満員だ。どれほど技術が発達しようとも、満員電車だけは解決できないものらしい。

 完全無人自動運転交通システム。地下鉄、路線バス、タクシーに至るまで、すべてが無人化されて、どのくらいの年月が経過しただろう。

 『機械にキレて破滅する人』は、今の時代の風物詩である。

 横浜駅で地下鉄を降りて地上に出た航太は、駅前ロータリーでお馴染みともいえる光景に遭遇する。無人のタクシーの車体の扉を力任せに蹴りつける乗客。中年男性だ。

 続いて、あーあ、と呆れたような呟き。こちらは行き交う人々の群れから発せられたものだ。

(  自動通報システムが起動するな  )

 暴言だけでとどめておけば良かったものを。車体に対する暴力行為は、器物損壊とみなされて即座に警察に通報される。

 今から起こるであろう中年男性の悲劇を結末まで見届けることはせず、航太は自宅マンションへとつながる幹線道路へと歩を進める。途切れることのないテールランプ。道を埋め尽くす車体の半数が無人運転だ。

 思えば、中年男性の乗客にも同情の余地はある。地下鉄や路線バスなどの規定路線を走行する交通機関と異なり、無人タクシーは問題が頻発している。

 後部座席に乗車した客は、行き先を告げる。その音声を認証したAIが座席に設置されたパネル画面に地図を映し出す。その目的地が正しければ、OKを押して完了だ。……と、ここまで説明すれば簡単そうだが、その音声認証が曲者なのだ。

 住所は県名から伝える必要がある。これを省略すると同じ名の他県の街が候補にあがってしまう。うっかりOKを押して眠り込んだら高速道路を走行していた、なんて笑えない話はいくらでもある。

 経路変更も容易ではない。どれほど急いでいようと、乗客の事情などお構いなしに無人の車体は愚直にルートを遵守し渋滞に突入していく。脇道に逸れるなんて機転を利かせてくれたのは、運転手が人間だったからだ。

 そして多くの人が不満に思うのは、酔っ払いのダミ声をAIは認証してくれないことだろう。泥酔したらタクシーに乗ってはいけないというのが、今の時代の新常識である。

 本末転倒だろう、と航太は思う。

 社会に蔓延する鬱屈とした思念の正体。それは諦念ていねんだ。機械に怒っても仕方ない。自分の必要最低限の希望さえ叶えばいい。金銭を払い、サービスをあがなう。その行為に満足感という名の付加価値など求めてはならない。


♦︎♦︎♦︎

 自宅マンション最寄りのコンビニに、航太は立ち寄る。

 自動扉を開けるために掌をかざす。その手の甲の皮膚に埋め込まれているのは、ICチップだ。指の爪ほどの大きさの金属片が皮膚の下に透けて見えている。

 この国に生を受けたと同時に割り振られる12桁の番号。国民誰もが所有するIDである。身分証明書であり、クレジットカードと同様の決済機能も併せ持っている。住所氏名電話番号に加えて、所得から納税額まで個人情報のすべてが詰まっている。

 いらっしゃいませ、と甘ったるい女の声が響いた。

 店内に入ってすぐ脇に設置されたデジタルサイネージに、店員の制服を着たアバターが映しだされていた。人間のモデルのように見えるが、生成AIによって描かれたものだ。

(  珍しいな ……  )

 通路に、人間の店員がいた。コンビニも無人化されて久しい。無人の空間のように見えるがバックヤードには人が常駐していることを、航太は承知している。商品の入れ替わりが激しいコンビニでは、商品陳列の機械化は難しいのだろう。

「すみません……。キシリトールのガムって、ここにありませんでしたっけ?」

 売り場のレイアウトを変更しているのか、いつもの場所にガムがない。遠慮がちに店員に話しかける。そして、後悔した。

 アバターにお尋ね下さい、とそっけない返答がくる。

 ああ、そうかよ……すみませんね、と沸きあがるのは怒りでしかない。

 アバターに尋ねれば、商品の場所はもちろんのこと、欠品していた場合は入荷時期まで教えてくれる。だが、二次元画像の女に話しかけるのに抵抗があるのは、自分だけだろうか?

 客の案内は自分の仕事ではないと言わんばかりの店員に腹を立て、結局何も買わずに店を出た。

 ちなみに購入した商品は天井に備えつけられた無数のカメラに認識され、自動計算される。退店時に自動扉の中央に設置された端末にICチップをかざすことで決済が完了するシステムである。

 あーあ、と心の中で声がした。先ほど中年男性に向けられた群衆の声。

 結局、怒って損をするのは自分なのだ。夕飯を買い損ねてしまった自分の愚かさを自省して、航太は駅の方角へと方向転換をした。


♦︎♦︎♦︎

 肌に吹きつける風が、既に熱を孕んでいる。

 西暦2047年、4月。こよみのうえでは、春のはずである。桜は2月下旬から咲き始め、瞬く間に散った。四季もこの国が喪失した物のひとつである。移ろいゆく季節を感じている暇など存在しない。異常に短い春が通り過ぎ、『長い長い夏』が訪れる。    

 殺人熱波に炙られ街が灼熱地獄と化す、どこにも行くことのできない逃げ場のない夏。その過酷な夏は、11月までと半年以上に及ぶ。

 汗の滲むシャツに不快感を覚えながら、閑静な住宅街にある食堂の暖簾をくぐった。

「いらっしゃい、航ちゃん。お疲れさま」

 初老の夫婦が営む、こじんまりとした定食屋である。

 こんばんは、と挨拶しながら、航太の頬は自然とほころんでいる。コンビニで感じた憤りなど既に忘れていた。まだ夕食時のピークには早いのか空席が目立つ。あえて、厨房に面したカウンター席を選んだ。

さわらの粕漬け焼き定食、ください」

 お品書きから選んで口頭で注文する。

 今どき珍しい人による接客。注文用のタブレット端末もなければ、配膳ロボットもいない。店内を見渡しても、機械と呼べるのは決済用端末が1台ぽつんと置かれているだけだ。

「あら、航ちゃん、若いのに……。健康志向ねえ」

 航太の注文内容に、おかみさんは感心したように呟く。いいことじゃねえか、と厨房で調理に取りかかっている店主が嗜めた。若い男性は揚げ物を好むと、彼女の中では相場が決まっているらしい。

「自炊をしないので、栄養が偏るんですよ。自分の好きなものばかり食べてた時期もありましたが……、なんと言うか、もう飽きました」

 苦笑混じりの航太の言葉に、おかみさんは不思議そうな表情を浮かべる。

「だって、航ちゃん。すぐ近くの高級マンションに住んでるんでしょう?あそこって確か、ファミリー向けよね?親と住んでるんじゃないの?」

 商売を営んでいるだけあって情報通だ。どう答えるべきか、と航太は言い淀む。高級マンション……であるのは間違いない。

「歳の離れた兄貴と暮らしているので……。男ふたりだと、食生活はメチャクチャです」

 今年、航太は27歳の誕生日を迎える。年相応に見えるであろう自分の歳の離れた兄とは、はたして何歳なのか。とっくに独立して所帯を持っている年齢ではないのか。わけありだと判断してくれたのか、彼女はそれ以上は詮索してこなかった。

 注文した鰆の定食が運ばれてきた。こんがりと焼き目がついた魚の隣に、かぼすが添えられている。旨そうだ。かぼすの緑色の皮を指先で押し潰して、魚に振りかける。一口頬張ると、魚から滲みでる旨味と柑橘類の酸味が爽やかに口の中に広がった。

 おいしいです、と率直に感想を告げると、店主は照れくさそうに鼻の下を擦った。

「お客さんに、じかにそう言ってもらえるのが一番嬉しいねえ……。わざわざ、店をかまえた甲斐があるってもんだ」

 羨ましいな、と彼の笑顔を見て心のすみで思った。

 調理の分野というのは、AIに奪われることのない仕事の代表格にあげられている。調理の一部過程を機械化することがあっても、人間が主役であることに変わりはない。



 ドタバタと階段を降りる賑やかな足音がした。

 厨房の奥にあると思われる居住空間からだ。航太が視線をあげると、和哉くんがひょっこりと顔を覗かせていた。

「航ちゃん、おかえりー」

 小学校6年生だと聞いている。年齢からいって孫だろう。客に対して物怖じせず、人懐っこい。
航太は、和哉が隣に座りたそうにしているのを察して椅子を引いてやる。

 遠慮なく椅子に座った彼は、お品書きを手に取った。何にしようかなー、といっぱしの客を気取って呟いている。どうやら、ここで夕飯を食べるつもりらしい。

「まったく、すみませんねえ、この子は……」

 おかみさんが慌てたように謝るのを、構いませんよ、と航太は取りなす。

「ひとりで食事するのが苦手なんで、むしろ大歓迎です。実家がペンションを経営していて、俺も小さい頃は、お客さんと一緒に食べるのが当たり前でしたから……」

 あら、そうなの、と彼女は驚いた顔をする。

「決めた‼︎ トンカツ定食ください‼︎ 」

 ぱん!と勢いよくお品書きを閉じて、和哉は元気よく注文する。その彼に、おかみさんは呆れたような眼差しを向ける。

「注文するのはいいけど、あんた……、自分のお小遣いから代金を払うんだろうね?」

「えー?払わなきゃ駄目……?この店の子なのに?それって、おかしくない?」

「払わないほうがおかしいでしょうが。店の子なんて偉そうなこと言って、ろくに手伝いもしたことないくせに」

 どこまでも続きそうな口論に、航太は口を挟む。俺が払いますよ、と。

 とんでもない!と、おかみさんは手を振る。いつのまにか、厨房の奥へと消えていた店主が戻ってきて、和哉の前に皿を置く。

「馬鹿なことばっか言ってないで、おまえはこれでも食え」

 昨夜の残りものらしき肉じゃがと味噌汁。あじフライには千切りキャベツが添えられている。揚げ物の登場に一瞬目を輝かせた和哉は、すぐにそのカラクリを見破る。狐色の香ばしそうなフライを箸で引っくり返すと、焦げた部分があった。

「焦げてんじゃん、これー……」

「そのくらい文句言うな。鯵だって、いつまで食べられるかわかんないんだぞ。おまえが大人になる頃には絶滅してるかもしれないんだ」

 はーい、と和哉は優等生の返事をして、文句を述べたわりには、おいしそうに鯵フライを頬張っていた。

(  海流の変化か …… )

 よくある家族の説教に過ぎない会話にも、地球温暖化の影響がある。

 折しも、食堂の片隅に設置されたテレビでは気象予報士が、今年の夏の気温の長期予報の解説を始めていた。他のテーブルの客の視線も、自然とテレビに吸い寄せられている。

 テレビというメディアが廃れることなくあり続けているのは、各局が抱えている気象予報士の存在が大きい。毎年のように気象予報の時間枠は拡大を続ける。人々に注意喚起しなければならない情報が多岐に渡るためだ。

「……40℃ 越えが連日⁉︎ 」

 うんざりした呻き声は、客の誰かが発したものだ。この場にいる皆の思いを代弁したと言ってよい。

 その空間に場違いに、よっしゃーと明るい声が響いた。和哉くんだ。いっせいに非難を含んだ視線を浴びて和哉は慌てて、ごめんなさいすみません、とペコペコと頭をさげる。

「40℃ 越えると、休校になるんだっけ?」

 和哉の喜ぶ事情を想像して、航太は問いかける。うん、そう、と彼は頷いた。

「VRでの授業になるからさ。ギリギリまで寝てられるし、授業受けるのはアバターだから、現実ではパジャマのまま着替えなくてもいいし、楽なんだ」

 『VR』と聞いて心が重く沈んでいくのを、航太は自覚する。



 気温摂氏40℃というのは、ある種の指標であったのだろう。

 アスファルトに陽炎かげろうが揺らめく。暑すぎて蝉も鳴くことを止めてしまった夏は、うっすらと死の匂いが漂う。とうてい、人間の活動できる温度ではないのだ。死亡届の死因に『熱射病』と記載されるケースは爆発的に増えた。

 政府も、手をこまねいていたわけではない。とうとう外出自粛要請が発令された。要請という名の事実上の禁止令。店舗は営業停止に追い込まれ、交通機関は運行を停止する。

 この分岐点において成された試みが、経済活動の基幹を、ヴァーチャルリアリティーVR、つまりは仮想空間に移行するというものである。画期的であった、と評価してよいだろう。

 人々は、現実の会社ではなく仮想空間に出勤する。ヴァーチャルオフィスで、企画会議も商談も、同僚との雑談さえ事足りてしまう。

 そして、仕事を終えた人々は現実の街中に繰りだす代わりに、仮想空間の街で買い物をする。ヴァーチャルデパートで思う存分服を試着し、物色する。週末ともなれば、ライブ、演劇を始めとする娯楽も堪能できる。

 この際に使用するのが、アバターと呼ばれる自分自身の画像である。仮想空間であるから、いかなる画像も可能ではあるが、今は自分自身の容姿を用いるのが主流だ。

 大型特殊店舗に指定されているコンビニに設置された3Dスキャナーで映像を取りこみ、何らかの媒体に記録する。このときに自尊心を保つための加工は必須である。肌を綺麗にする、お腹を引っこめる、足を長くしてみるなんてことは、誰もが行っている。

 では、出勤しないことには成りたたない職業の人間は?例えば、製造業に関わる人間は?

 ここで登場するのが、AIの大々的な導入だ。徹底的な機械化を促進し、現在では製造業、建築業、運送業のほとんどは作業用ドローンやロボットが担っている。炎天下で働く肉体労働者というのは過去のものになった。

 そしてAIに仕事を奪われて失業を免れない人々の不満の矛先を逸らすために導入されたのが、基礎所得ベーシックインカムである。


「だけど夏のあいだは、スクールバスだって出してくれるんだろう?教室はエアコン完備だし。仮想空間より、現実に友達に会えるほうがよくない?」

 食事を終えた航太は、頬杖をついて隣の和哉に尋ねる。

 教育の現場は、VRの導入に消極的なことで知られる。現実の空間に集うことを是とするその教育方針に、航太は賛同する。あくまでもVRの授業は補完的なものとして捉えている。

 別にー、と和哉の反応は、にべもない。

「友達と喋んのは、VRでもできるからいいじゃん?あー、でも笑っちゃうのがさ……、クラスの女子の顔がさ、全然違ってんの。もっとブサイクだったはずなのに、アニメみたいな美少女になってて、加工しすぎだっつーの」

 こら!と店主の罵声が飛ぶ。女の子にブサイクなんて言っちゃいかん。

(  このまま、登校拒否になるだろうな …… )

 容姿を人一倍気にする年齢であろう女の子の気持ちを考えると、センシティブな問題だけに、どう答えるのが正解なのかわからない。

 『仮想空間』と『現実空間』の乖離。仮想空間が現実より価値を持ったとき、どんな悲劇が起こりうるのか。それを小学生の男の子に、どう説明すればいいのだろう。

「女の子を敵にまわす発言だね、今のは……」

 え、と和哉の顔が引きつる。単純明快だ。

「なりたい自分になれる、というのが仮想空間の特権だ。それ自体は、悪いことじゃないんだ。ちょっとした気分転換や非日常感を味わうのは悪くない。……ただ怖いのは、現実の自分を受け入れることができなくなってしまうことだ。……わかる?」

 わかんない、と和哉はかぶりを振る。

「これは、ただの例え話だけど……。現実でとても悲しい出来事があったとする。もしくは、自分のことがものすごく嫌いだったとする。仮想空間だけでは悲しい出来事を忘れられて、自分のことが好きになれるとしたら……、人間は現実の自分の肉体を捨ててしまうんだ」

 そこまで告げて、喋りすぎたなと後悔した。

 和哉だけでなく、店主もおかみさんも眉を寄せて神妙な顔をしていた。ずいぶんと実感のこもった口調になってしまったようだ。案の定、和哉が鋭い指摘をする。

「航ちゃん、それ、知ってる人のこと……?」



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