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創作大賞応募作品| 寧々 《第1話》

【あらすじ】
 あの日、僕──桐生透哉は、姉の寧々を迎えに行く約束の時間を守らなかった。引き裂かれた雨合羽のフード、弾け飛んだカーディガンのボタン。寧々の身に何が起きたのか知らされずに、僕は憶測と贖罪の意識を抱えて育った。
 西暦2039年。アプリを経由した恋愛においては《sexual consent form─性的同意書》の登録が法的に義務づけられる。
 性犯罪の温床と化すアプリ。ハラスメントの訴訟リスクを免れない日常生活における恋愛。
 誰かを害することなく、また害されることもなく「安全に」恋愛をすることが困難になった世界で、やがて辿り着くあの日の真相とは──
 血の繋がらない姉弟の、近未来恋愛譚。

※全17話 約5万字  


《第1話》 血の繋がらない姉弟



 僕の姉の名は、寧々ねねと言う。

 僕が歳を重ねるにつれて、その呼び名は変化していった。幼少の頃は、『ねーね』と呼んでいたらしい。彼女は笑っていた。姉と呼んでいるのか名前を呼んでいるのか判別不可能だと。

 ひとつだけ確かなのは、僕はその同じ音の続く柔らかい響きをとても好んでいたことだ。寧々、寧々。用事もないくせに彼女の名を呼んで、彼女を困惑させた。

 僕たちは、血の繋がらない姉弟きょうだいだった。


♦︎♦︎♦︎

 雨に濡れた地面に落ちている雨合羽を、透哉とうやは呆然と眺めていた。

 正確には、雨合羽ガッパのフード部分である。半透明のビニール製の生地に、青の水玉模様。安価であり頑丈な生地とは言い難い。

 だが、ボタンで着脱可能なわけでもない雨合羽のフードだけが、何故地面に落ちているのか。引き裂かれたようにフードが破損しているのは、何故なのか。

 そこから導きだされる不穏な予想に頭を支配されて、透哉はパニック状態で泣き叫びそうになっていた。

 否定できない事実は、その雨合羽が寧々のものであること。そして迎えに行くという約束の時間を、自分がたがえたことだけだった。

 透哉は当時小学3年生、9歳だった。寧々は中学3年15歳を迎えた年の出来事である。


「…… 雀を轢いたの」

 寧々は、雀のことしか口にしなかった。なにがあったの、なにをされたの。詰問する母親に明確な答えを返すことはせず。ひたすら雀を案じる言葉を繰り返す。

「ピアノ教室に行く途中にね、道端に雀が死んでたの。可哀想だから地面に埋めてあげたかったけど、時間がなくて……。だから、帰りにやろうと思ってたのに。自転車で轢いちゃったの」

 雀の骸を自転車の車輪が押し潰す様子まで、寧々は描写する。羽根がもぎれて内臓が飛び散って。ふたつに分断された雀の死骸の有様を、彼女は執拗に説明していた。

 透哉は震える脚を抱えながら、自室に籠り扉越しにそれを聞いていた。部屋に居なさいと、親に諭されたのだ。

『ピアノ教室の隣の家に住んでるあの子、最近頻繁に声かけてくるの。遊ぼう遊ぼうって、しつこいの』

 『あの子』が、男性であることは、おおよそ予測がついた。そして寧々が彼の存在を疎ましく思っていることも。

 じゃあ僕が迎えに行くよ。無責任な騎士ナイト気取り。姉を迎えに行くと豪語しておきながら、自分は友人とのゲームに興じて、約束の時間に間に合わなかったのだ。

 その結果が、今繰り広げられている。

 後にして思えば、まだ子供である透哉に姉を託したのは、母親も『あの子』が善良な存在であると認識していたからだろう。

 寧々は、無事に帰宅した。傍目には。肉体的には。だが、髪が乱れていた。泣き腫らした目をしていた。

 カーディガンのボタンが、無い。弾き飛ばされたのか。かろうじて一本の糸で服に繋ぎとめられていたボタンが、ゆらゆらと儚げに揺れていた。

 それが、透哉の目撃したすべてだった。なにか「よくないこと」をされたのだということだけは、幼心に刻み込まれていた。

 病院や、警察という単語が聞こえた。その晩には、母方の祖母の家に預けられた。「透哉はなんにも悪くないのよ」と、祖母が自分の背中を撫でていた。

 もし母親が、寧々の実の母であったら、どれほどよかっただろう。自分たちは、連れ子同士だった。父の連れ子が寧々であり、母の連れ子が透哉である。

『あの人は、自分の娘に女親を与えたかっただけなのよ。年頃になると、男親に相談できないことがいろいろ出てくるでしょう?』

 母親は、家を出た。買い物に行ってくるね、と告げたきり帰宅することはなかった。実子である透哉も置き去りのまま。大人になってから再会した彼女は、そのように語っていた。

 「女親」。女であるが故に、家庭で求められる役割。男親である父では為せないこと。それが肥大し過ぎてしまったのだと、母は言う。

 寧々に寄り添ってやってくれないか。俺には、何もできないから。女である君が、と言外に託されたその言葉は透哉も記憶している。

 あの出来事以降、寧々は父親を遠ざけるようになった。一緒の空間に居ることすら厭われる。体臭、上背。おそらくは養父のもつ「男性的」なもの。それを厭われる彼の悲嘆は如何いかばかりだっただろうか。

 それとは対照的に、寧々は透哉を遠ざけることはなかった。まだ子供だった。未熟で「男性的」ではなかったから。

 かくして、透哉は血の繋がらない父と姉を家族として育つという数奇な運命を辿った。そして養父が他界した。交通事故だった。

 寧々と透哉は、ふたりだけの姉弟になった。白い壁の瀟洒な家だけが、自分たちに残された。紫陽花の咲く庭のある古びた洋館が。



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