創作大賞応募作品| 寧々 《第3話》
《第3話》 権利と迫害
男性用更衣室の扉を開けた瞬間、透哉は暫しのあいだ硬直していた。スカート姿の人物がそこにあったからだ。柊生だった。
「柊生さん、更衣室でその格好に着替えるのやめません?間違えて女性のほう入ったかと、一瞬パニックになるじゃないですか」
深い溜息とともに、透哉は柊生に苦言を呈す。
「は⁉︎ おまえ、なに言ってんの?スカートは女のものって考え方が、もう古いんだよ。時代はジェンダーレスよ。多様性よ」
そう言われてしまうと、反論できない。「ダイバーシティってお台場のことか?」と、年配の駅員が尋ねる声がした。高田俊成、通称俊さんだ。うわーやだやだ、と柊生は頭を抱えている。
「多様性ですよ、多様性。どんなカッコしようが俺さまの自由なの!男だから女だからって決めつけちゃ駄目なんですよ!お解りいただけた?」
理解はできるが、共感はしたくない。透哉はさらに溜息をついて、自らのロッカーを解錠した。なんの変哲もない洗いざらしの白シャツにジーンズを身に纏う。標準的な男性の服装だ。それを着用することに、一切の不満もない。
着替えをすませて柊生に視線を向けると、今度は爪に念入りにネイルを施していた。色は黒。スカートも黒のフェイクレザーだろうか。フェミニンな印象は与えない。『女装』ではなく、あくまでもお洒落として取り入れているのだろう。さらに言うなれば、柊生の中性的な容姿に似合っている……。
「年寄りには理解できんよ。おまえがなに着ようと自由だが、ただ、その、なんつーか……、目のやり場に困るんだよ」
至極もっともな俊さんの指摘を、ギャハハ、と柊生は笑い飛ばす。俺さまの脚キレイ?と調子に乗って、ロングスカートのスリットから脚を見せつけた。体毛のない脚は、女性と言われれば信じてしまいそうなほど白くて細い。うわーやめろー、と複数の方角から声がした。
「…… 悪ふざけが過ぎますよ、先輩」
その会話のなにが不快だったのか、自分でも理解不能だった。強いて言えば、女性の身体を視線だけで「消費」することを当然とみなす男に対する拒否感か。
透哉は柊生に近づき、彼のスカートの裾を乱暴に直す。そしてその瞬間、覚悟をした。「堅物」「ノリが悪い」「童貞野郎」……。いずれも男同士の猥談に断固として応じなかった自分に与えられた称号である。
柊生は、瞠目していた。透哉を見下ろして、呟く。「ごめん、悪い」と……。
♦︎♦︎♦︎
『女性の権利が徹底して庇護される時代』
現在の風潮を端的に表現するならば、その一言に尽きる。契機となったのはやはり、女性の首相が誕生したことだろうか。『ガラスの天井』を突き破った人物。
透哉の勤める交通局においても女性の管理職は当然の如く存在するし、女性の運転士というのも決して珍しいものではない。
人は能力に応じて評価されるべきで、そこに性差による区別があってはならない。女性の社会的地位は向上し、それに伴って経済力も増した。極めて低い水準だった日本の男女格差指数は飛躍的に改善された。
では、めでたしめでたし……かと思えば、単純に事はおさまらない。
「聞いた?また、女性専用車両増えるってよ」
頬杖をつきながら、柊生は目の前のハンバーグに箸を突き刺す。フォークとナイフを利用するという発想はないらしい。「社員食堂でメシ食ってこうぜ」と誘われて付き合っているが、彼の食事風景を目にすると、毎回透哉の脳は混乱する。
中性的な印象と相反するように、良く言えば豪快、控えめに言っても腕白小僧のような食べ方をするのである。
「……ってことは、全4両ですか?悪いことではないと思いますけど、まあ、また男性の乗客から言いがかりが増えるでしょうね」
「増えるどころじゃ済まねえよ。悪いことじゃないって、おまえって常に女の味方だよな」
それは違う、と透哉は胸中で反論する。味方をしているつもりはないし、その必要性も感じない。だが絶対的な事実として、どれほど女性の権利が向上したところで、肉体的には「平等」にはなり得ないと知っているだけだ。
「まあ、いたちごっこでしょうね。女性専用車両を増やせば増やすほど、普通車両の犯罪率が上がるだけですよ」
強者と弱者。狩る者と狩られる者。
性被害に遭うのは、大半が女性だ。陵辱されて懐妊の可能性があるのも女性だ。子を孕んで中絶したところで、自らの胎内と精神に傷を残すのも女性だ。仮に産んだとて、その壮絶な痛みに耐えるのも女性だ。産み落とした子を庇護せず放棄して、法で裁かれるのも女性だ。
「そう言えば、女性車両じゃなくて普通車両に乗ってきた女が悪いって、アホなこと言ってた痴漢野郎がいたっけな」
いた、と透哉は首肯する。馬鹿か。寝言は寝て言え。
女性の権利が向上したからといって、男性の権利が剥奪されているわけではない。だが実際のところ、『主張する強い女』に男は翻弄され、戦々恐々としているというのが実態に近いだろう。
新人研修の際に、男女平等だろ?と、女性に平気で重たい荷物を持たせる男がいた。馬鹿か。いつから男女の筋肉量まで一緒になった?管理職の椅子を女性に奪われて、男女平等だから仕方ないと負け惜しみを溢す上司。馬鹿か。ただ単に、おまえが無能なだけだ。
「結局どれほど『安心安全な交通機関を提供する』って奮闘したところで、無駄なんですよ」
透哉の投げやりな言葉を聞いた柊生は、愉快そうに口角を上げた。
「おまえのその若年寄りみたいな諦念は、いったいどこから来るわけ?まだ、27だろ?理想に燃えていて許される年齢じゃない?」
透哉は、28歳ですと訂正する。柊生の言うところの「理想に燃える年齢」であることに変わりはないかもしれない。そして、気になっていた指摘を問い質してみた。
「俺って、そこまで仕事に対して無気力ですか?鉄道会社勤務で安全管理に興味ない顔してるって、さすがにまずくないですか?」
途端に、柊生は爆笑する。無気力な後輩に激励も叱責もしないあたりが、この人のひねくれたところだ。
「俺さあ……、『私の目指すのは、お客さまの夢と希望を運ぶことです』とかって寝言ほざいて入ってきた新人が、半年ぐらいで鬱になって辞めてくの見るの大好き」
一瞬、透哉は言葉に詰まる。ずいぶんと性格の悪い発言だ。彼の毒舌には慣れているが、それを露ほどにも不快に思う気持ちがないのは、自分もまたその毒に共鳴しているからに他ならない。
「つまり俺は、夢も希望も持っていないから信用できると、そういうことですか?」
柊生はニヤリと笑っただけで、否定も肯定もしなかった。夢破れてからが人生だろ?と、口笛でも吹きそうな口調で、ある意味真理とも言えることを告げる。
夢破れてからが人生。では、彼にもまた夢みていた時期は存在するのだろうか。そこで透哉は、ふと柊生の経歴を思い浮かべる。元運転士。
通常、鉄道会社におけるキャリアは、改札業務やホーム監視等の鉄道営業 ── いわゆる駅員からスタートする。そこから試験を受けて車掌となり経験を積んでから、甲種電気車運転免許と呼ばれる国家資格を取得したのち、晴れて運転士となる。柊生はその運転士から、駅員に逆戻りしているのだ。
「柊生さん、なんで運転士辞めたんですか?」
尋ねてしまってから、後悔した。その答えは、透哉の眼前にあった。テーブルに残された柊生の定食の皿。全然進んでいない。スープや付け合わせの野菜は綺麗に平らげているのに、肝心のハンバーグはまだ半分ほど残されている。
「もともと焼肉……ホルモンとかバラ肉とか脂ギトギト系のヤツ大好物だったんだけどさ、もうまったく食えなくなって。じゃあいっそのこと、ベジタリアンにでもなろうかと思ったけど、なんかそれも敗北を認めたようで悔しいし、だから無理して肉食うようにしてんの」
言い訳するように、柊生は呟く。豪快で腕白小僧のような印象は、口腔内でろくに咀嚼せずに無理やり呑み下しているからだった。味わうことをしていない。味わう余地がない。
鉄道会社で、肉を受けつけなくなる出来事はひとつしかない。人身事故ですか?と、透哉は尋ねることはしなかった。代わりに、あることを訊いた。
「柊生さんって、何歳ですか?」
突然年齢を尋ねられて、彼はポカンとする。34だけど?と、答えが来た。寧々と同年齢だ、と透哉は思う。そして柊生と初めて顔をあわせたときの印象を、あらためて思い起こしていた。
女性的な顔立ち。中性的な佇まい。男の汚さや生々しさを一切感じさせない。寧々の好きそうな男だ、と。
