見出し画像

創作大賞応募作品| 寧々 《第17話》

《第17話 最終話》 血の繋がらない姉弟


 疼くような胸の痛みが消えるまで1年、寧々の幸福を願うことができるようになるまで、さらにもう1年の月日を要した。

 寧々を完全に忘れるには、今まで生きてきた分と同じ歳月を必要とするのだろう。

 2041年、4月。

 ホームには、子どもたちの歓声が響き渡っていた。

 完全無人運転車両導入に伴い、運転士による『ラストラン』と称したイベントが開催されていた。車両基地では完全予約制で運転体験もできるとの謳い文句つきである。

 祝日であることも関係して、人出は多い。『最後』と名のつくものは何でもイベントにするんだな、と透哉は呆れつつ、駆り出されれば手伝わざるを得ない。

「あの、すみません。写真撮ってもらっていいですか?」

 背後から、男の子を連れた若い母親に声をかけられた。いいですよ、と透哉は応じて、彼女から携帯を受け取ろうとする。

「いえ、シャッターを押して欲しいわけじゃなくて。この子が一緒に撮って欲しいって言ってるんです」

 思わぬ依頼に、透哉は困惑する。運転士ではなく駅員でいいのだろうか。

 そして一瞬胸をよぎったのは、悪用されるかもしれないという懸念だ。自らの画像を見知らぬ他人に所有される恐怖心。

 見上げてくる男の子と、視線が合った。

 どこから見ても、完全な『チビ鉄くん』だ。

 鉄道車両のプリントされたTシャツ。手に掴んでいる鉄道車両を模した玩具。もしかしたら自分の幼少の頃もこんな感じだったのかもしれない。

「よかったら、制帽被ってみる?」

 透哉は自らの制帽を、男児に渡す。うん!と目を輝かせて受け取る彼を見て、一瞬でも悪用を疑った自分が恥ずかしくなった。

 想い出を画像として残す技術。その瞬間の真実の絵柄を切り取るはずの技術。いつからその技術に偽物が氾濫し、時には人を陥れ、人を脅かす存在になったのだろう。

 チビ鉄くんと共に写真に収まり、母子を見送った瞬間だった。

「…… 触んなよ ‼︎ 」

 エスカレーターの方角から、ドスの効いた女性の声がした。またか、と透哉は頭を抱える思いになる。子どもがいる前で恥ずかしくないのか。

 その女性の声に、聞き覚えがある気がした。ずっと傍らにいて耳にしていた声。その一方で乱暴な口調とドスの効いた発声には、まるで覚えがない。

 エスカレーターから降りてきた人物を、待ち受ける。

 寧々だった。

「大丈夫?追いかけようか?」

 痴漢と思われる中年男性は、事もあろうかエスカレーターを逆走している。階段を駆け上がれば追いつけると計算して一歩踏み出したところを、寧々に止められた。

「ちょっとお尻撫でられただけだから。もしかしたら、荷物が当たっていただけかもしれないし」

 事も無げに首を振る寧々の印象は、以前とかなり異なっている。ひとつに束ねられた髪。ジーンズにTシャツという軽装が活動的な印象を与えていた。

 元気かと尋ねようとして、できなかった。

 左手の薬指に光る指輪の存在が、視界に入ったからだ。結婚したのか。暗澹たる想いが胸に広がる。如何なる近況も聞きたくはなくて、仕事を理由にその場を立ち去ろうとした。

 そのとき、寧々が自ら近況を報告してきた。

「調理師の免許を取ろうと思って、この近くの専門学校の講座に通ってるの。透哉が以前言ってたとおり、中卒じゃ厳しくて……。なにかスキルをつけなくちゃって」

 寧々は、料理が上手だった。他に男しかいない家庭だったせいもあり、家事全般を彼女が担当していた。料理というのはれっきとした技術スキルでありながら、家庭においては報酬を受け取ることもできない。

「 …… いいと思うよ」

 やっとの思いで、それだけを告げる。柊生さんはどうしてる……? 聞きたいことが、聞けない。

 あの事件を機に退職した柊生のその後を、透哉は知らないのだ。俊さんは承知している雰囲気だったが、あえて尋ねることをしてこなかった。

 まもなく列車が参ります、とアナウンスが入った。

 その声に触発されたように、寧々は、じゃあね、と手を振る。透哉は頷いて、そして彼女の歩き出した方角には、普通車両しかないことに気づく。

 咄嗟に、肩を掴んだ。寧々は驚いて振り向く。

 驚いた拍子に、彼女が肩から下げていたトートバッグがずり落ちた。それをもう一度、肩に掛け直す。その左手に視線が釘付けになった。

 指輪。その薬指に装着されていた、指輪……。

「危ないから、女性専用車両乗りなよ。後ろ側4両がそうだから」

 透哉は表向き平静を装いながら、ホーム後方を指し示す。内心では激しく動揺していた。

 ありがとう、と寧々は透哉が指差した方角へと歩み去っていく。その姿が車両に吸い込まれるのが見えた。

 発車の合図。

 列車の発着を担当していなくて良かった。赤色旗を所持していなくて良かった。運転士のラストランであるこの列車を止めるわけにはいかない。

 ホーム各所にある非常停止ボタンが、その存在を主張してくる。その誘惑に抗いながら、透哉は寧々を乗せた車両が、音を立ててゆっくりとその場を離れていくのを見守った。

 そして、処分してくれと頼んだはずの指輪が、寧々の左手の薬指に嵌められている、その意味を考え続けていた。


♦︎♦︎♦︎

 寧々、寧々、寧々。

 俺は今でも、同じ音の続く柔らかい響きを持つその名が好きだ。

 もう、その名を呼ぶこともない。その名を呼んで彼女が振り向くこともない。困ったように笑うこともない。

 吐き出されることのない『寧々』という名前だけが、吹き溜まりのように胸のうちに堆積していく。

 また、その名を呼ぶ日が訪れると信じてもいいのだろうか。戸籍という紙切れでかろうじて繋がっている。それ以上の繋がりを期待してもいいのだろうか。

 俺たちは今でも、血の繋がらない姉弟だ。


 ──  完  ──




【あとがきにかえて、お詫び】(本文に含まず)

 作中において、知的障害者に関する記述がありますが、不快に思われるかたがいらっしゃいましたらお詫びいたします。
 『あの子』の言動に関しては、知的障害者である私の実の兄を参考にしています。ただし彼の名誉のために申し添えておきますと、『人の写真を撮るのが好き』の部分だけが実話です。
 女性の写真を撮って警察沙汰になってしまいまして、(本人の承諾は得ている、Vサインをしている写真なのですが) 写真は『凶器』でもある時代だと思わされた出来事から、本ストーリーを着想いたしました。



最後までお付き合いいただいて、ありがとうございました。コメントお待ちしてます☆

いいなと思ったら応援しよう!