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アルル〜ゴッホが求めた希望の地

 アビニョンからアルルは車で40分ほど。お昼頃、強い日差しが照り付けていたものの、突然叩きつけるような雨が。傘があっても役に立ちそうもない激しさだ。

 駐車場に到着する少し前から降り始めたので、人々が右往左往する様子を眺めながら、車の中で20分ほど待っていると雨は上がり、青空が広がり、また強い日差しとなった。

 アルルはフィセント・ファン・ゴッホのゆかりの地だ。


🔸「真夜中のカフェテラス」

 街の中心地、フォーラム広場へ。

 ゴッホの「真夜中のカフェテラス」に描かれたカフェ。いつかアルルに旅することがあったら入ってみたいと思っていたが、現在は営業停止となっている。

 ゴッホが描いたオリジナルのカフェは、第二次世界大戦中の爆撃で消失したが、2000年代初頭に「カフェ・ファン・ゴッホ」として復元されていた。
 しかし残念なことに、カフェの経営陣の意図的な大規模な脱税と不正会計が発覚し、行政手続きおよび法的理由から営業停止に追い込まれた。


ゴッホ「真夜中のカフェテラス」 1888年



 外観はそのまま残っているが、営業停止の理由が理由であるし、広場周辺のカフェやホテルは、大変賑わっているだけに残念な気持ちになる。
 真っ当な経営をしていれば、今後もゴッホ由来の地として愛され続けたであろうに。


 多くの観光客が閉じられたカフェの前で記念撮影をしていた。


🔸「アルルの病院の中庭」

 このカフェから、数分歩くとエスパス・ファン・ゴッホ(旧アルル市立病院)がある。

 ここは1888年12月にゴッホが「耳切り事件」を起こした後、運ばれて入院した総合病院である。

エスパス・ヴァン・ゴッホ(旧アルル市立病院)
1階回廊沿いは、カフェや土産物屋などが並ぶ


 中庭に入ると、美しく整備された花壇がある。ゴッホの名作『アルルの病院の中庭』のモデルとなった場所で、絵に描かれた当時の中庭が忠実に再現されている。
 旧市立病院は、現在は大学・教育関連施設、市文書館やギャラリーなどがあり、総合文化センターとして再開発されている。


ゴッホ「アルルの病院の中庭」1889年 


 ゴッホはアルルに画家の理想郷としてのアトリエを作ることを考え、画家仲間にそれを呼びかけた。しかし、実際にやって来たのはポール・ゴーギャンただ一人。
 アルルの「黄色い家」で共同生活を始めたが、芸術観や制作スタイルの違いから、激しい衝突が絶えなくなった。
 耳切り事件当日の夜も激しい口論になり、ついにゴーギャンが「もう一緒にはいられない」と去ることを告げた。
 憧れだった画家たちのコミュニティの夢が潰えて、ゴッホは強い孤独感と絶望に襲われた。
 また精神的・経済的に頼りにしていた弟テオが婚約したこともあり、唯一の理解者を失ったと考え、元々持っていた精神的な病を悪化させた。
 耳切り事件は、そうした極度の精神的ストレスと人間関係の破綻が重なった結果と言われている。



🔸「アルルの跳ね橋」

 アルル郊外へ。
 アルル旧市街から車で30分ほど、アルルと港町ブークとを結ぶアルル・ブーク運河沿いに、あの跳ね橋はあった。ラングロワ橋と呼ばれている。

 ポプラ並木の続くゆったりした道の途中、水辺の風景が広がる静かな場所で、看板も説明書きも何もない(Googleマップでは表示される)。
 駐車場もない。けれど付近一体に何もない場所で、広い道の路肩に自由に停車できる。
 ヨーロッパは田舎道であっても、停止できる場所が細かく決められていて、路肩が狭く、こういう場所は滅多に見ない。

 道を渡って20メートルほど進んだ小径の先に、跳ね橋はあった。

 現在あるこの橋は移築復元されたものだ。ゴッホが描いた当時のオリジナルの橋は1930年代にコンクリート製の橋に架け替えられ、更にそれも第二次世界大戦で破壊された。

 現在見られる跳ね橋は、1960年代に同じ運河の別の場所にあった同じ形、同じ時代のオランダ式跳ね橋を解体し、現在の場所へ移築して「ファン・ゴッホ橋」として復元されたものだという。

 ゴッホはアルルに到着して間もない1888年3〜5月頃、この母国オランダを思わせる木造の跳ね橋に強く惹かれ、視点や天候、色彩を変えながら油彩や水彩など10点を描いている。


ゴッホ「アルルの跳ね橋」1888年
アムステルダム、ゴッホ美術館


 橋の周りは美しく整備されており、静かに絵画の世界観に浸ることができる。
 

空の色が急激に変わり始めた



 跳ね橋の写真を撮影し終わり、名残惜しかったものの車にそろそろ戻ろうとした時、2、3分の間に急激に空が暗い灰色に変わり、雨を予感させる風が吹いてきた。

 道を渡って車に戻ると、いきなり大粒の雨が落ちてきた。車を発進させたが、突然激しくなった雹混じりの雨が車に叩きつけられ、ワイパーをMAXにしても間に合わず、前が見えない。
 
 ドイツでも『雨が降ってきた』と気づいた1分後に、急激に暴風雨になることがしばしばある。慣れたとはいえ、毎回驚いてしまう。
 もし外を歩いていたら大変なことだった。昼頃のアルルに到着した時の雨も酷かったけれど、それ以上の激しさだ。

 どれだけ勢いが激しく、雨量が多かったかというと、雨が止んだ後に車を見たOが、
「洗車した時より車が綺麗になってる!」
と嬉しそうにした程だ。

 運河沿いの広い道はまだ続いており、一時停止できる路肩は沢山ある。危険なのでしばらく停車してやり過ごすことに。高速道路上だったら大変なことだった。
 車を停めると、他の車も何台か前後に停め始めた。その後、30分ほどしてやっと小降りになった。この突然の天候の変化、跳ね橋を見て感動した後だったことは幸いだった。

 自然豊かであるこの地方、明るく美しい光を描くと共に、自然の厳しさというものもまたゴッホは作品に込めたのだろう。

 Vはゴッホの生涯について、また跳ね橋についての蘊蓄を運転中のOに喋り倒した。
 そしてこのアルルの自然の中に、故郷オランダの様式の跳ね橋を見たゴッホの感動はいかばかりであったかを思い、感動を語り続けた。

「ナビの音声が聴こえないからちょっと静かにして」
と、歴史にさほど興味を持たないOから、また言われてしまった。

 アビニョンの街はもうすぐだ。



                —了—



🔹南仏プロヴァンスへの旅【その日の見どころ】



❇︎ その他諸々のこぼれ話は、ドイツに帰ってから別記事に
て公開予定です。


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