漱石「こころ」考察62 Kは最初から先生にたかる気だった?
夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年)連載。
「こころ」の主要登場人物:「先生」。
先生は学生時代に、叔父(父の弟)に財産を横領された、と断じている。
またその横領のせいで、「人間というものを、一般に憎む事を覚えた」(上・三十)とまで語っている。
しかし、この「叔父による横領」は、事実無根・先生の思い込みではないか。
先生の「中学の旧友」が、稀代のポエマー:先生に、横領されたと思い込ませたのではないか。
それで莫大な財産を処分させて、大儲けをしたのでは。
そんな考察を書いた。
また「こころ」を読み直していた時、ふとこう思った。
・一連の先生への騙し行動に、Kの義兄(Kの姉の夫)が、さらにはK本人が、一枚噛んでいないか
これを語ります。
1、時系列確認
「先生」が、両親の死去→東京に出る→(先生の認識で)叔父の横領、という経験を経ていた数年間、Kもまた先生と同様、東京に出ていた。
1(1)同じ学校
まず大前提を確認。
先生とKとは同郷(新潟県)で、同じ中学校に通い、その後は東京の高校?で同じ下宿で生活し、さらに同じく帝大(東大)に合格し通っていた。
「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供の時からの仲好しでした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。(略)
とにかくKは医者の家へ養子に行ったのです。それは私たちがまだ中学にいる時の事でした。私は教場で先生が名簿を呼ぶ時に、Kの姓が急に変っていたので驚いたのを今でも記憶しています。
Kの養子先もかなりな財産家でした。Kはそこから学資を貰って東京へ出て来たのです。出て来たのは私といっしょでなかったけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。その時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寝起きしたものです。Kと私も二人で同じ間にいました。
(略)
二十
「Kと私は同じ科へ入学しました。
(※ 著作権切れにより引用自由です。うだうだと考察を書いているうちに、「K」の頭文字が示されるのは「下 十九」からだと自然に暗記できた)
ここの「同じ科へ入学しました」とは高等学校と思われる。
1(2)一回目の夏休み
高等学校から大学にかけての「夏休み」について、三年連続でふれられているのでそれを確認。
まず一回目。「こころ」の記載順とは逆に、先生とKとの話 → 先生の故郷での話、の順に見てみる。
最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たのは九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉じ籠っていました。
「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居には、新しい主人として、叔父夫婦が入れ代って住んでいました。
(略)
ただ一つその夏の出来事として、私の心にむしろ薄暗い影を投げたのは、叔父夫婦が口を揃えて、まだ高等学校へ入ったばかりの私に結婚を勧める事でした。(略)しかし東京へ修業に出たばかりの私には、それが遠眼鏡で物を見るように、遥か先の距離に望まれるだけでした。私は叔父の希望に承諾を与えないで、ついにまた私の家を去りました。
一回目の夏休み
・K - (ずっと?)帰郷せず、東京にいた
・先生 - 帰郷。叔父夫婦から縁談話
1(3)二回目の夏休み
二年目の夏に彼は国から催促を受けてようやく帰りました。帰っても専門の事は何にもいわなかったものとみえます。(略)
国を立つ時は私もいっしょでしたから、汽車へ乗るや否やすぐどうだったとKに問いました。Kはどうでもなかったと答えたのです。
学年の終りに、私はまた行李を絡げて、親の墓のある田舎へ帰って来ました。そうして去年と同じように、父母のいたわが家の中で、また叔父夫婦とその子供の変らない顔を見ました。
(略)
しかしこの自分を育て上げたと同じような匂いの中で、私はまた突然結婚問題を叔父から鼻の先へ突き付けられました。(略)その当人というのは叔父の娘すなわち私の従妹に当る女でした。(略)
私はまた断りました。叔父は厭な顔をしました。従妹は泣きました。(略)私はまた東京へ出ました。
二回目の夏休み
・K - 帰郷。養家にはだましてることはまだ言わなかった?
・先生 - 帰郷。叔父から申し出た従妹との縁談をあっさり断る
この帰郷時点で、先生が従妹との縁談を断ったことや、先生が叔父や従妹に気まずさをなんら感じていない事を、同郷であるKやその親族、例の「中学の旧友」も耳にしたのではないか。
そして、彼らの誰か、もしくは全員は思ったのだ。
『先生と叔父との間に火種ができた。しかもそこに先生は気付いていない。これは利用できるのでは、、』と。)
1(4)三回目の夏休み
三度目の夏はちょうど私が永久に父母の墳墓の地を去ろうと決心した年です。私はその時Kに帰国を勧めましたが、Kは応じませんでした。(略)私の郷里で暮らしたその二カ月間が、私の運命にとって、いかに波瀾に富んだものかは、前に書いた通りですから繰り返しません。私は不平と幽欝と孤独の淋しさとを一つ胸に抱いて、九月に入いってまたKに逢いました。すると彼の運命もまた私と同様に変調を示していました。彼は私の知らないうちに、養家先へ手紙を出して、こっちから自分の詐りを白状してしまったのです。(略)とにかく大学へ入ってまでも養父母を欺き通す気はなかったらしいのです。
「私が三度目に帰国したのは、それからまた一年経った夏の取付きでした。(略)ところが帰って見ると叔父の態度が違っています。(略)叔母も妙なのです。従妹も妙なのです。中学校を出て、これから東京の高等商業へはいるつもりだといって、手紙でその様子を聞き合せたりした叔父の男の子まで妙なのです。
(略)
私は叔父が市の方に妾(めかけ)をもっているという噂を聞きました。私はその噂を昔中学の同級生であったある友達から聞いたのです。(略)
私はとうとう叔父と談判を開きました。
(略)
「一口でいうと、叔父は私の財産を胡魔化したのです。事は私が東京へ出ている三年の間に容易く行われたのです。
(略)
私は思案の結果、市におる中学の旧友に頼んで、私の受け取ったものを、すべて金の形に変えようとしました。旧友は止(よ)した方が得だといって忠告してくれましたが、私は聞きませんでした。私は永く故郷を離れる決心をその時に起したのです。叔父の顔を見まいと心のうちで誓ったのです。
私は国を立つ前に、また父と母の墓へ参りました。私はそれぎりその墓を見た事がありません。もう永久に見る機会も来ないでしょう。
三回目の夏休み
・K - (本人の弁によれば)進路を偽って学費を出させていたことを養家に自白した
・先生 - 叔父と決別。故郷を去る。莫大な財産を処分
(このKの話はもしかしたら嘘なのかもしれない。まあ養家からの手紙等を先生にも見せているので100%が虚偽ではないだろうが、、)
私は上記の、先生とKそれぞれにとって重要な出来事が、近接した時期に(三回目の夏休み)に起きたことには、重大な意味があると思った。
以下、それをうだうだ書きます。
2、推測
私の推測を語る。
まず前提から。
2(1)先生とKとは近い
先生とKとは、子どもの時から仲良し(※先生曰くである。Kはどう思っていた?)、同じ中学、東京でも同じ下宿と、距離が近い。
そうであれば、Kはよく知っていたのではないか。
先生の、・異常に思い込みの激しいポエマーな性格 と、一方で、・異常に無警戒、異常に鈍感な性格を。
またKは、これも当然知っていただろう。
・先生の家が大金持ちの財産家、・両親が死去し先生が相続、・相続財産の管理は叔父がしている、と。
なお、財産家である先生に対し、K自身はおそらくあっさりと中学時代に養子に出された身で(私の推測ではいわゆる後妻である義母の意向か)、養家を怒らせてしまえば、とたんに干上がる立場であった。
2(2)Kとその姉は仲が良く、ともに貧乏
Kの存命の家族としては、父・兄・姉がいるが、Kは姉は好いていたことと、姉が金のない家に嫁いだことが示されている。
「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。(略)
手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。(略)
運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。
私はKと同じような返事を彼の義兄宛で出しました。その中に、万一の場合には私がどうでもするから、安心するようにという意味を強い言葉で書き現わしました。
2(3)Kと、Kの姉らが共謀して先生にたかろうとした
以上のことから、私はこう想像した。
・Kは、最初から先生の金にたかる気で、先生の異常にポエマー・異常に鈍感な性格(先生が叔父からの縁談をあっさり拒絶、しかもそこになんら気まずさを感じていない等)を利用し、「中学の旧友」(Kも同じ中学出身。当然この「旧友」とも知り合いであろう)を使って、先生に叔父の悪口を吹き込ませ、仲たがいさせた
・それにより、「中学の旧友」や、貧しかったKの姉・その嫁ぎ先が莫大な財の処分に関与することができ(書かれようからは先生が手にした遺産は一個人・一田舎業者だけでは到底管理処分し切れないと思われる)、多大な利益を得た
・また財産処分により先生は、叔父に断らずに自身だけで動かせる多額の現金を得た。Kはこれにそのうちたかれると考えたので、養家に嘘を白状しても問題ないと判断して自白し、養子縁組解消・元々仲の良くない実家とも勘当状態になることを選ぶことができた。Kの姉の夫が先生にわざわざ手紙を出し早期返信もわざわざ要求したのは(下・二十二)、先生を煽ってKの面倒をみさせる決意を促すため
・実際、その後Kは、よくて友達・あるいは単なる同郷の知人にすぎない先生に、住居も食費も面倒をみてもらい、房州旅行にも行けるという異常な利益を手にした
・しかしKもその罪悪感はあった。それがKの遺書(「手紙」)に記された「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」(下・四十八)の意味である。金のために知人とその叔父とをあえて縁切りさせることに関与した時点で、自身はもう人としておかしかったと。
・Kの自決(私は先生による殺人と確信しているが。)を聞いたKの姉・その夫は、自分達も関与した一連の先生に対する行動がKの死にも強く関わっていると思い、Kに好かれていたにもかかわらずKの葬儀にも来ず、その後も先生と話することや墓参りに来ることもしなかった
2(4)説明になる
自分の推測を自分で評価するが、上記のように考えればいろいろと「こころ」の謎な展開に説明が付き得る。
・先生の「中学の同級生」が、わざわざ叔父の悪い噂を先生に吹き込んでいること(下・八)
・先生と叔父との決別と、Kと養家・実家との決別とが、近接したほぼ同時期(東京へ出て三回目の夏休み)に起きたこと
・Kがどこまで親友かもよくわからない先生に、住居も食料も費用を完全に?負担してもらうのを受け入れ、さらにはおそらく先生の全額負担で房州(千葉県)旅行までしていること
・Kの遺書(「手紙」)に書かれた「もっと早く死ぬべきだのになぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句」の意味
・Kは兄よりも姉のほうを好いていたらしいのに、姉もその夫もKの葬儀に来ない。また姉らがKの自殺理由を先生に尋ねたり墓参りに来た様子もない
とりあえずここまで。
また考察し直したい。
