漱石「こころ」考察54 Kの姉とその夫
夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年)連載。
この有名小説の有名登場人物「K」。
しかし有名小説の有名登場人物の割には、私を含めその家族構成はあまり知られていないと感じる。
そこでKの家族構成を確認。
あなたは知ってましたか? Kは三番目の子であること・そして継母に育てられたことを。
1、Kには兄と姉がいる
1(1)明確に書かれたこと
Kの家庭について語られている箇所
「私はその友達の名をここにKと呼んでおきます。私はこのKと小供の時からの仲好でした。小供の時からといえば断らないでも解っているでしょう、二人には同郷の縁故があったのです。Kは真宗の坊さんの子でした。もっとも長男ではありません、次男でした。それである医者の所へ養子にやられたのです。私の生れた地方は大変本願寺派の勢力の強い所でしたから、真宗の坊さんは他のものに比べると、物質的に割が好かったようです。一例を挙げると、もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
まずここでは、寺の息子・二男・医者の家へ養子に、と示されている。
少し後に、追加の情報が出る。
Kは母のない男でした。彼の性格の一面は、たしかに継母に育てられた結果とも見る事ができるようです。もし彼の実の母が生きていたら、あるいは彼と実家との関係に、こうまで隔りができずに済んだかも知れないと私は思うのです。(略)
二十二
「Kの事件が一段落ついた後で、私は彼の姉の夫から長い封書を受け取りました。Kの養子に行った先は、この人の親類に当るのですから、彼を周旋した時にも、彼を復籍させた時にも、この人の意見が重きをなしていたのだと、Kは私に話して聞かせました。
手紙にはその後Kがどうしているか知らせてくれと書いてありました。姉が心配しているから、なるべく早く返事を貰いたいという依頼も付け加えてありました。Kは寺を嗣いだ兄よりも、他家へ縁づいたこの姉を好いていました。彼らはみんな一つ腹から生れた姉弟ですけれども、この姉とKとの間には大分年歯の差があったのです。それでKの小供の時分には、継母よりもこの姉の方が、かえって本当の母らしく見えたのでしょう。(略)
運悪くこの姉は生活に余裕のない家に片付いたために、いくらKに同情があっても、物質的に弟をどうしてやる訳にも行かなかったのです。
引用した二か所からの情報をまとめる。
・Kにはだいぶ年齢の離れた兄と姉がいる。
・上記三人きょうだいの母は同じ。
・Kは兄よりも姉と仲が良かった
・三人きょうだいの実母はKが幼い頃には死去
・継母がKを育てた
・遅くともKの養子縁組解消問題の頃には、姉は嫁いでいる
・姉の嫁ぎ先は生活に余裕がない
1(2)推察されること
以下は明記がないが、可能性が推察されることを挙げてみる。
・Kには異母弟・異母妹がいる?
→ 理由
:三人きょうだいにつき、「彼ら は みんな一つ腹から生れた姉弟」(二十二)との先生の表現
:Kがまだ幼い頃に後妻がむかえられているとすれば、後妻は婚姻時にそれほど年寄りではなく、かつ結婚から既に10年以上は経過しているはず
:後妻に子ができたので、継子であるKの姉やKは疎まれ、姉は豊かでない家に嫁がされ、Kは中学時代に養子に出された
上記一番最後の、後妻からKやKの姉は疎まれているのではとの推察は、以下の描写からも想起したものである。
:「十九」において、「もし坊さんに女の子があって、その女の子が年頃になったとすると、檀家のものが相談して、どこか適当な所へ嫁にやってくれます。無論費用は坊さんの懐から出るのではありません。そんな訳で真宗寺は大抵有福でした」
との描写がある。
そうであるにもかかわらず、坊さんの娘であるKの姉は、「生活に余裕のない家」(二十二)に嫁がされたのである。
前者の話ぶりからすれば明記こそはないものの、坊さんの娘はそれなりの家へ嫁ぐことになりそうではないか。
しかし、Kの姉はそうではなかった。
これは、継母が意地悪をしたか、あるいはとにかく早期に嫁がせて追い出そうとしたので家を選ばなかった、ということではないだろうか。
(とりあえずここまで。またKの姉やその夫について確認します。)
