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小説『浸蝕』|第3章:隙間

あらすじ

鳴り響くスマホ、日常に溢れるノイズ、
心を削る怒号。


閉ざされた職場環境の中で、
世間に蔓延る搾取の数々。

徐々に自分を見失っていく恐怖を、
身体を侵食する「緑青錆」として
ビジュアル化した、
息もつかせぬサスペンス・ホラー。

人はいったい何を見ているのか。

社会からの「孤立」の先にある、
痛烈な気づきを描く全6章。


登場人物

葵(あおい):
デイサービスで働く介護職員。
職場での理不尽な怒号に耐え続ける中、
身体に「奇妙な異変」が起き始める。

阿久津(あくつ):
葵の上司。
執拗な圧迫と怒号で周囲を搾取する男。
彼の長く不潔な爪の隙間には、
澱んだ真緑色の汚れが見える。

カナタ(かなた):
葵の同僚。
阿久津の横暴に怯えながらも
淡々と業務をこなすが、
日に日に狂っていく葵の様子を気にかけている。


⚠️ ご覧いただくにあたっての注意

※本作はすべて無料でご覧いただけますが、
一部に身体の変容やグロテスクな描写、
強い精神的ストレスに関する表現が
含まれています。
苦手な方はご注意ください。


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第3章:隙間


目の前に、小さな池が広がっている。

水面にはドロドロとした真緑の藻が、
逃げ場のないほどびっしりと浮き上がっていた。

体が動かない。そのまま、前へ倒れる。

ドボン、と鈍いしぶきを上げて、
そのドロドロとした真緑の液体の中に
引きずり込まれた。

足掻いても、足掻いても、
水面をびっしりと覆う薄気味悪い
淀んだ緑の塊たちが、
顔や体中に張り付いて息もできない。

苦しい……。溺れる……。

すぐそこにある岸へ手を伸ばしているのに、
あと少し、ほんのあと少しのところで
指先が届かない。

まとわりつく緑の液体と膜のせいで、
体は鉛のようにどんどんと重くなっていく。

もう、その得体の知れない液体は、
目や鼻、口の奥へと容赦なく入り込み、
体内を激しく浸食していく。

自分の身体の中が今、
どうなっているか想像しただけで、
生きているのも辛い……。

薄れゆく意識の底で、ただそんなことを思った。

――ピンポーン。

ふと、甲高い音で目が覚めた。

バスがゆっくりと速度を落とし、
停車し始める。

慌てて車内のモニターを見上げると、
それは見慣れた自宅の近くのバス停だった。

弾かれたようにバスを降りる。

プシュー、という何かが抜けたような
嫌な開閉音と共にドアが閉まり、
暗闇の中にぽつんと置き去りにされた。

「疲れた……」

うっかりと声を漏らし、
重い足取りで自宅へと歩き出す。

マンションに着き、
エントランスのドアを開けて、
いつものように自分のポストに目をやった。

「ん?」

ポストの狭い投入口に、
何枚か広告のチラシが不恰好に挟まっていた。

それをため息をつきながら強引に引っ張ると、
ポストの入り口に何かが付着しているのが見えた。

緑青錆だ。

固まって、ポロポロと剥がれ落ちていく。

そして、酷く錆くさい……。

「うっ……」

思わず、錆の放つ独特の異臭が鼻孔の奥を突き、
腕で慌てて鼻を覆い隠した。

「はぁー……」

深くため息をつき、
緑青錆の汚れがついたチラシを
バサバサと振り払って汚れを落とす。

乾燥した錆の微粉が、
蛍光灯の光の中で白く宙を舞った。

それを吸い込まないよう気を付けながら
エレベーターに乗り込み、
自分の部屋の階へと上がっていく。

やっと、着いた。

ふらふらになりながらも鍵を開けて部屋に入り、
先ほど取ってきたチラシを
そのままゴミ箱に放り込んだ。

どうせ、マンションの投資や物件、
宗教の広告だろう。

読む価値もない。

狭い部屋に置かれたベッドに腰掛けて、
テレビの電源を入れた。

別に何か見たいわけでもない。

ただ、何となく、
この静寂に耐えられなかっただけだ。

薄暗い部屋の中で、
テレビのモニターが緑色に不気味に薄ら笑う。

「ん……?」

何か、いつものテレビと違う気がする。

ふとした違和感が脳裏を襲った。

感覚を頼りに壁のスイッチを探し、
パチンと音を立てて照明のスイッチを押した。

チカチカと音を立て、
ゆっくりと部屋に明かりが灯る。

改めて、テレビに目を凝らした。

「また、これ……」

テレビのモニターの隙間という隙間に、
あの忌々しい緑青錆が
びっしりとこびりついていた。

「ッ……!」

驚きのあまり、声が出ない。

何なんだ、これは。
一体どこから湧いて出ているんだ。

慌てて確かめるように、テレビの画面へ近づく。

「錆……?」

得体の知れないその緑青の粒子を、
確かめるように思わず指先でなぞった。

すると、
その毒々しい粒子はさらに粉々に砕け、
まるでキノコの胞子のように
一斉に宙へと舞い上がった。

「ゲホッ……ゲホッ……!」

ツンとした独特の錆臭さと、
無造作に舞う粒子を吸い込んでしまい、
思わず激しくむせ返る。

なぜこんなものが家にあるのか、
理由はまったく分からない。

けれど、今はとにかくこの粒子を
どうにかしなければならない。

激しく咳き込みながら浴室へ駆け込み、
掴み取ったバスタオルをテレビに覆い被せた。

今は、
これ以上の飛散を防ぐだけで精一杯だった――。

それが一体何なのか分からず、
得体の知れない不安がドロドロと胸の奥へ
押し寄せてくる。

原因をネットで調べようと、
カバンの中からスマホを取り出した。

だが……。

スマホの画面を覗き込んだ瞬間に、
硬直した。

画面が、
あのテレビと全く同じ状態になっていた。

液晶の表面に、
まるで埃のように緑青錆の粒子が付着している。

それだけではない。

スピーカーや充電口の細い隙間には、
カチカチに固まった緑色の塊が
びっしりとこびりついていた。

「うッ……!」

生理的な嫌悪感から、
とっさにスマホを床へ取り落とした。

ドンッ。

静かな部屋に鈍い音が響き、
床に落ちた衝撃で、
スマホの表面からあの緑色の粒子が
ふわっと宙に舞い上がる。

そして、見つめている目の前で、
スマホが落ちたフローリングの床が、
じわりと淀んだ緑色に変色していった。

――ヤバい。これは、本当にヤバい。

とっさに仰け反った。

本能的な恐怖に突き動かされ、
逃げるように浴室へと駆け込んだ。

扉を乱暴に閉め、狭い空間に閉じこもる。

まずは落ち着かなければと……
深く、深く呼吸を整えようとした。

その時だった。

先ほど、
テレビの前で落としたはずのスマホが、
目の前に落ちていることに気づく。

「なんで……」

浴室の床がカサカサと音を立て始める。

緑青錆が広がり出し、
まるで生きてるかのように
こちらに近寄ってくる。

ふと、目の前の鏡に映った
自分の姿が視界に入った。

「え……、え……」

喉の奥から、乾いた悲鳴が漏れる。

先ほど舞い上がった粒子を
浴びてしまったせいだろうか。

鏡の中の自分は、
右手の親指全体、他の指先。

そして首元に、
あの不気味な緑青錆がべったりと
こびりついている。

ふやけた皮膚を覆う真緑の皮膚は、
蛍光灯の下で、
気味が悪いほど鮮やかに光っていた――。


▶ 次の話へ


あとがき

ご覧いただき本当にありがとうございました。

鳴り響くスマホの音、心を削る怒号――。
作中で描いた閉ざされた職場の空気感は、
僕自身の体験や、
現代社会の片隅でいまも起きている
「日常の搾取」をベースにしています。

誰にも頼れず「孤立」していく恐怖を、
緑青錆という形で表現した本作ですが、
読み終えた皆様のなかに、
何か「痛烈な気づき」のようなものが残れば
これ以上の喜びはありません。

【読者の皆様へお願い】
「おもしろかった」「ゾクッとした」など、
一言でも感想をコメントで教えていただけると
本当に嬉しいです。
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次回作への原動力になります!

田端うつ郎


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小説「浸蝕」今後の展開

第1章:爪
第2章:悪臭
第3章:隙間(本記事)
第4章:鉄(2026.8.8更新予定)


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最後まで、ご清覧いただき、
誠にありがとうございました。

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