娘を平手打ちで母親逮捕…新時代のリスクとは
「親子げんかで娘を平手打ちした母親が逮捕された」というニュースが話題になっていました。
娘が交番に相談したことで逮捕に至ったとのことですが、事実関係の詳細は分かりません。
もし日常的に虐待があったのであれば話は別ですし、一回限りの出来事であったのなら、受け止め方は変わります。
今から3ケ月前、阿部慎之助監督の事件においても、子供からのSOSで親が逮捕されましたね。
こちらも背景や事実がよく分からないので、逮捕の妥当性については何とも言えないのですが、疑問が残る事件が多いなと感じます。
私が子どもの頃は、平手打ちをされたり、押入れに入れられたりすることは珍しくありませんでした。
もちろん、それが良いことだったと言いたいわけではありません。
ただ、当時と比べると、現代は「暴力は絶対に許されない」という規範がかなり強く共有されるようになったと感じます。
その変化自体は、子どもを守るという意味で大きな前進なのかもしれません。
昔なら「しつけ」で済まされていた行為によって、深く傷ついていた子どもがいたことも事実だからです。
また、少し視点は変わりますが、最近話題になっている「不同意性交等罪」においても同様に感じます。
実際は個別事情によって判断されますが、相手から「同意していなかった」と後から言われてしまえば、たとえその時に無理強いしていなかったとしても、罪が成立することがあるからです。
もちろん、これらの法律によって守られる方がいることも事実なのですが、ちょっとした出来心で「ムカついたから親を罰してやろう」「フラれたから、相手の男に復讐してやろう」と話を盛ったり、曲解したりして、相手の人生を狂わせてしまうことになりかねないリスクを多いにはらんでいると、私は思います。
また、こういった事柄は、最近のハラスメントにおいても言えることだと思います。
もちろん、本当に深刻なハラスメントの場合は、しっかりと対処されるべきです。
しかし、人によって受け取り方が大きく異なる場面では、どこからが「加害」で、どこまでが「解釈の違い」なのかが曖昧になりますよね。
受け手側が過剰な受け取り方をしているだけの事案においても、たった一人、ハラスメントと感じた人がいるからと、罰する対象となってしまう・・・。
何とももどかしいです。
勘違いしないでほしいのは、私は、被害を訴える人が悪いと言いたいのではありません。
むしろ逆で、多くの人が声を上げられるようになり、被害を訴えられる社会になったこと自体は、重要だと思っています。
子どもを守ることや弱い立場の人を守ることは、大切なことです。
ただ、その変化によって起こるリスク対策ができていないのではないか、と思うのです。
人を守る仕組みを強くすればするほどに、誤認や過剰反応、関係性の行き違いが「加害」として扱われる可能性が同時に生まれます。
冤罪や過剰な処罰を防ぐこと、人間関係の行き違いをすべて加害として扱わないことも、同じように大切にされるべきことではないでしょうか。
私は今回のニュースをきっかけに、「守る」という方向へ進んだ社会が、その副作用とどう向き合っていくべきなのかを考え続けています。
私たちは、その新しく生まれたリスクに対して、どこまで備えられているのでしょうか。
あなたは、この変化をどのように感じますか?
