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最大の責任の所在|巨人・阿部慎之助監督 長女暴行容疑で辞任

これは、まだまだ情報がよく集まっていなかった時の意見。
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今回の事件は、暴力の妥当性や通報の妥当性、逮捕の妥当性など、とても論点が多いのですが、現時点では事実関係が不透明な部分が多く、確固たる評価は難しいというのが正直なところ。

しかし、その中で私が最も伝えたいのは、『最大の責任の所在は私たちにある』ということです。

何か一つのミスをした人を再起不能なまでに叩いてしまう風潮や、その一部分だけを切り取って人格全体を断罪してしまうような空気に、私は強い違和感を覚えます。

実際に何があったのかは分かりませんが、長女においても監督においても、それぞれにきちんと責任を負うことは必要です。
ただ、それと同時にミスを許す寛容さが世の中にもっとあっても良いと思うのです。
人は失敗もするし、ミスも犯すし、誰かの人生を左右してしまうこともあります。
でもだからこそ、その十字架を背負いつつも、責任をしっかりと全うしているのならば、ミスを許容していく必要があると思うのです。
「責任を負うべき」と「それでも人は再起可能であること」は同時に存在させるべきだと思っています。(もちろん犯罪の程度や内容によります)

私たちはもう少し『人を許すということ』を社会として学んでいく必要があります。
そしてそれは、この様な大きな問題だけでなく、日常生活レベルでの人間関係においても言えることです。

インドの思想でとても好きなものがあります。
人間は迷惑をかける存在なのだから、他人の迷惑も許しなさい。

本当にその通りです。
人を許すということはルールを破ることでも甘やかすことでもなく、もしかしたら、人間の前提を受け入れることなのかもしれません。
そしてこの「前提をどう受け取るか」という視点は、人間関係の理解においてとても重要だと感じています。
誰かを一面的に断定してしまう前に、その人の中で何が起きているのかを一度立ち止まって見つめ直すこと。そうした思考の習慣を持つために、私は「心の観察室」という場を通して、内観の重要性を伝えています。
感情や評価の前に、一度“観察する”というプロセスを挟むこと、それが人間関係の捉え方を少しだけ変えていくのだと思います。


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