「モラハラ認定」が夫婦関係を壊していく
私は元々、「人を形容する言葉はあまり意味がない」と感じているのですが、最近はそれが顕著に表れているような気がしています。
例えば、パワハラやモラハラ、発達障害、境界知能・・・など。
もちろん、ひどい人格否定を度々されていたり、病院で診断されたりするなど、本当にそうであるケースは実際にあると思います。
しかし、昨今は、ほんの少しの意見の食い違いや過剰な受け取り方、自分が欲しているものを提供しないなどの理由から、そうであると断定し、相手を否定しているケースを本当によく見かけるのです。
たった一人の感じ方を正としてしまい、その相手の人生を壊してしまう現実までも起きてしまっている・・・。
この方向性は、非常に危険なものであると感じます。
この様になる原因はさまざまにあると思いますが、その一つは、「違和感に名前を付ける速度」があまりにも早すぎるからではないかと思うのです。
人は、モヤモヤした感情を抱え続けることが苦手です。
「なんだか嫌だった」「傷ついた」「理解してもらえなかった」こうした曖昧な感情は不安定で、落ち着きません。
だからこそ人は理由を探すわけなのですが、その理由として便利なのが、人を形容する「ラベル」です。
「モラハラだ!」
「発達障害だ!」
「共感力がない人だ!」
この様に名前が付いた瞬間、複雑だった出来事が急に理解できたように感じられますし、自分の苦しさにも説明がつきます。
周囲にも共有しやすくなりますし、自分の被害者性もアピールできます。
しかし、その「理解できた感覚」は、本当に現実を正確に捉えているのでしょうか。
例えば、夫婦の会話で考えてみましょう。
妻が悩みを話した時、夫が解決策を提案した。
妻は「気持ちを分かってくれない」と感じた。
一方、夫は「困っているから助けようとした」と考えていた。
この時、「夫は思いやりがない、ASDだ」と結論づければ、話は簡単です。
しかし、実際、夫は「問題を解決して役に立ちたい」という感情がベースにあるわけです。
もちろん、妻の「感情に共感してほしい」という気持ちに寄り添う姿勢は大切です。
しかし、それと同時に、夫の「解決策を提示して、役に立とうとした」という気持ちに寄り添う姿勢も大切なのではないでしょうか。
まだ夫側の気持ちを十分に検討していない段階で、自分の要求だけを提示して、相手の人格全体にラベルを貼ってしまうことに、私は非常に違和感を覚えます。
また、とても危険なことに、一度ラベルが貼られると、人は相手の行動をそのラベルに沿って解釈し始めます。
たまたま不機嫌だった日も、「やっぱりモラハラだから」と理解してしまい、一つの言葉でその人を覆い尽くしてしまうのです。
そして更に怖いのは、SNSに「傷ついた」と投稿することによって、同じような考え方の人たちが、他の要素を何も検証しないまま、集団的な断罪を行ってしまう…。
そして、そのコメント欄を見た妻は、「やっぱり私の考えは正しい」となり、夫をまた否定・非難する。
最終的に、冷静な話し合いができないと判断した夫は、(家族関係は継続するが)「もう妻に本音を言わなくていいや」となってしまうわけです。
もちろん、私自身も例外ではありません。
他人の言葉に傷ついた時、「あの人は冷たい」「嫌な奴だ」と感じる瞬間はあります。
人間ですから、そうした反応そのものを完全になくすことはできないのでしょう。
しかし、大切なのは、「そう感じた自分」をすぐに絶対視しないことなのだと思います。
私は本当に相手を理解しようとしただろうか。
相手にはどんな意図があったのだろうか。
別の解釈はあり得ないだろうか。
そう問い直す時間を、ほんの少しでも持てるかどうか。
ラベルは便利です。短い言葉で状況を説明でき、感情を整理したような気持ちにもなれます。
しかし、人を理解するということは、本来もっと手間のかかる営みなのだと思います。
すぐに結論を出さず、分からなさに少しだけ留まってみる。
「この人はなぜそう考えるのだろう」と考え続けてみる。
私は、その面倒で遠回りな姿勢こそが、人間関係を壊さないために必要な知性なのではないかと感じるのです。
