見出し画像

第15回牧水・短歌甲子園にいきました


去年、一昨年に引き続き、牧水・短歌甲子園を観戦してきました。

牧水がお出迎え

一緒に観ただやさんこと吉田恭大さんの記事はこちら。だやさんとは3年連続で観ていて、年々僕らのウォッチャー感が強まってる。
今年はだやさんのほか、郡司和斗さん、廣野翔一さん、大塚凱さんがきました。

気になった歌やディベートを引いていきます。
今年は体言止めが続くことへの指摘が多かったかな。

まずは予選から

お絵描きの涙は水色だったから景色も鮮やかに見えたのだ
/長瀬桜花(飛騨神岡高等学校)

「のだ」の部分に、自分に言い聞かせているような雰囲気がある気がする。
描いた絵は、自画像なのか友達とかの絵なのかはわからないけど、泣いているから悲しみの要素が大きいのだと思う。その悲しみを、景色が鮮やかに見えた理由として捉え直して前を向こうとする姿勢が、「のだ」の言い聞かせようとする口調と相まってグッとくる。
決して「前向き」なわけではなく、前向きで「あろう」とする意思が、この口調に出ている点に、魅力を感じた。
講評で触れられていた「も」の使い方は、僕も好意的に見ています。「前向きである」と「前向きであろうとする」の微差に注目すると、ここにその逡巡というか、留保の余地が残せてると思う。

宵迫るサンタモニカの水平線もうすぐ起きる君の目の色
/小暮結(岡山朝日高等学校)

一次リーグ全体の中で一番好きな歌でした。
体言止めがふたつ続くことの良いところは、心情の入らないフラットな描写になることだと思う。
サンタモニカの大きな景色を見せたあとに君の目が出てくると、君の目が地球規模の大きさに感じられて、起床という日常的な現象がとてもドラマチックに変化する。
このフラットな読み口が、人の手を離れた荘厳な自然現象を描写するのにマッチしていて、迫力のある歌だと思った。

校長発マイク経由の「えー」の声五十回越え百はいくかな
/黒木萌那(星野高等学校)

校長先生の長話が退屈だから、暇つぶしに「えー」を数えている。電車的な描写をすることと、「いくかな」の投げやりな口調に、暇つぶし性が際立っていて、文体が歌の意味内容に貢献してると思う。
軽やかですよね。退屈さがなんだか素敵なものに見えてくる。

こすりつつ校正の眼をこすりつつ真夜の網戸の太き蛾の腹
/細田連太郎(名古屋高等学校)

校正と蛾の腹という取り合わせが新鮮だった。
校正が持つ縦横に規則的に見ていくイメージと、網戸のあみあみしたイメージが上手く重なっているんだけど、そこで歌を終わらせずに、その奥にいる蛾の腹までくっきりと見せてくる。校正をして高まった集中力と、眠さでぼんやりとした集中力が、ちょうど良い塩梅で混ざり合ってる気がする。
蛾の複眼もあみあみしてるよね。
あと、目をこする動作に蛾の体のパサパサした粉っぽさが出てくると、良い意味で生理的になんかやだ。
描写に徹しながらも、読みどころがいろんなレイヤーで用意されていて、気の利いた秀歌だと思った。

「私たち、不思議になろう」旧校舎ふたりの部屋でささやいた夏
/天野華佑(NHK学園高等学校)

学校の七不思議になろう、という読みが出ていて、旧校舎性が高まっていると思った。
「ふたりしかいないのにささやいているのはなぜ」という指摘に「小さな声でも届く静かな場所」という返答をしていて、確かに「ささやく」行為が静けさが強調するなと唸りつつ、「ささやく」は距離の近さ、親密性を演出できることも大きなポイントだなと考えたりもした。

整列のぼくに代わって宙を舞えオオムラサキのように校旗よ
/重黒木俊陽(NHK学園高等学校)

ディベートで出てきたわざわざ「宙」にした理由の指摘だけど、自分はオオムラサキの色調と宇宙の色調が重なって歌が大きくなることがいいと思った。宇宙空間を舞う校旗よ……
講評で俵さんが福島泰樹さんの歌〈二日酔いの無念極まるぼくのためもっと電車よ まじめに走れ〉の韻律を想起すると話していて、たしかに「名歌の韻律」ってあるなーと思った。
この「よ」の使い方って、〈非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている〉の萩原慎一郎的というか、じっくりした鼓舞の雰囲気があって、こんなふうに読んだ人に過去の歌人を彷彿とさせてくれる歌は良い歌だと思う。

初恋は地球へだった 長靴で踏めば六月、大気が揺れる
/藤井綾音(光陵高等学校)

足で踏む動作をして読み上げていて、ポエトリーリーディングやステージングという観点でおもしろかったです。
個人のミニマムな心情が、マキシマムな地球に広がって、長靴という小さい焦点から季節、そして大気へと広がる、この大小が行き来する構造に、宇宙のダイナミズムを感じる。
「大気が揺れる」は蝶の羽ばたきが世界を動かす的な、大いなる連関へとつながる感覚があって気持ちがいい。

きみの死後関係者面してみたく恋をしているアンダンテの夏
/高祖祐花(岡山朝日高等高校)

「後方腕組み彼氏面」のバリエーションとして、「死後関係者面」はなかなかおもしろいと思った。
死後、という重めの言葉を、造語的な操作で軽やかに見せるテクニックがある。
恋がコントローラブルなものだと思っているんだよね。
アンダンテ、つまり歩くような速さで進む夏を過ごしている俯瞰の感じ、死を先取りしちゃう諦念が、主体像の輪郭をくっきりさせて、親しみを持たせてると思う。
俵さんが、恋しなくても関係者面はできるよね(意訳)、と言ってて、読みの精度がすごいなーとなりました。たしかに……

街の夜の雲まで照らす明るさに両耳塞ぐ失恋ソング
/小暮結(岡山朝日高等学校)

サンタモニカの歌を良いと思った理由が、この歌でわかった気がする。音運びやリズムがなめらかで、かつ歌に乗っかっている情報量がちょうどいい。
準決勝、決勝の歌も読んでみたかったな。

本番までに相手への評や質問を準備する期間があるので、ディベートの1ターン目はどうしても用意された原稿を読む、みたいな感じになってしまうのですが、宮崎西高等学校の白石くんの語り口調は、なんだか生身から出ている感じがして良かったです。

準決勝①
宮崎北高等学校 対 光陵高等学校

一首の明快さで戦う宮崎北と、フレーズの強さで戦う光陵、という印象を受けました。
光陵の歌は、解釈の幅を広げたことで自陣の歌の読みでない読みを出ることになり、作り手の意図と読まれ方のギャップが際立ったのがきつかったかも。
俵さんの「まず字義通り読まれる」という指摘はさすが一首屹立ガチの歌人だなと思う。

言葉より生まれる沈黙きみのいる迷路のなかを歩き続ける
/岡田華音(宮崎北高等学校)

抽象的な歌だけど、人生訓との相性が良くて、沈黙や迷路に集中して読みに行ける感じがします。
「きみのいる迷路」が大切で、「きみの迷路」と限定しないことで、「世界の中にいるわたしたち性」が出ていると思う。

準決勝②
名古屋高等学校 対 NHK学園高等学校

歌もディベートも拮抗していて、原稿から離れて言葉を交わしていく姿もあり、熱かったです。
「先輩は僕のことを読んだのだと思うんですけど、」とか「自分も留学をしたことがあり、」といった発言から名古屋のキャラクター性が伝わってきて、歌をより親しみやすく読ませた気がする。

俺って君のなんだったっけ 炒飯の生姜の紅が滲みだしている
/近藤理仁(名古屋高等学校)

「炒飯の」の「の」の働きが大きいと思った。
滲みだす対象がこの「の」で不明瞭になってしまっている。「炒飯に」とすると、紅く染まるお米が見えてきて、滲み出しかたがよりくっきりする。「の」であることで炒飯以外にも滲み出てしまうのを、歌の広がりと捉えてプラスに取ることももちろんできそう。
読ませる「の」ですね。

決勝
宮崎北高等学校 対 名古屋高等学校

直球と学生生活の宮崎北高等学校、ユーモアと学生生活の名古屋高等学校の対戦でした。

言いかけてやめた理由はなんとなく入道雲が止まって見えた
/石田千夏(宮崎北高等学校)

この主語述語のつながりの淡さ・ねじれが、入道雲と響き合っていて、「なんとなく」性が強まっているのが良いところだと思う。
とはいえ、入道雲はよく見るとものすごく形が力強い。ぽやーんとしながらも、実はしっかり考えてる真面目な表情も見えてくる。

将来のことは知らない知りたくない シンバルの人ずっと立ってる
/近藤理仁(名古屋高等学校)

大会のフィナーレにシンバルが鳴りました。

今年は「句」と呼ぶ人が多かった気がする。俳句と横断していると混同しちゃうよね。

大会を通して思ったのは、一首に対して持ち時間が2分と短いため、多くても2往復くらいしかラリーができないことの難しさだった。
相手の歌の瑕疵を突ききることができないので、準決勝の宮北vs光陵で見られたように、相手が自チームの歌についてした読みを上回る読みを出すほうが勝率が上がりそう。

歌会・題詠「恋」

初日の夜には、昨年に引きつづきみなとの面々と題詠「恋」で歌会をしました。井口の出した歌は

YouTubeショート そっから滑りゆく夏の星座が恋の元ネタ

13人参加の1首選で得票は0←なんでやねん!

大会結果
伊藤先生の提案で歌人の吉川宏志さん、吉田恭大さん、郡司和斗さん、廣野翔一さんが総評をすることに。

来年には歌集を出して、総評の場に歌人として呼ばれたい。

過去の記事


いいなと思ったら応援しよう!