【つながる旅行記#409】宇和盆地を見下ろす古墳にて、当時の様子を妄想する【笠置峠古墳③】
前回は遍路墓に思いを馳せつつ、目的地である笠置峠古墳にとうとう辿り着いた。


さて、自分の知っている古墳にはあんな現代的な構造物はなかった気もするが、さっそく近づいてみよう。

どうやら古墳の形は前方後円墳で、東西方向に作られているようだ。
そしてなんだか鍵穴というよりはしゃもじみたい。
礼文島の縄文人が頭を北に向けて埋葬することが多かったという情報を最近知った自分としては、この古墳の方向もなにか意図があってこうなっているんじゃないかと気になってしまう。
(まあ単純に分水嶺に沿わせただけかもな…)とも思いつつ、とりあえず円墳部分を見に行くとしよう。
しゃもじの付け根部分にあたる箇所の階段を登っていく。


階段を登りきると、もう一段階盛り上がった後円部が見えてきた。
そしてあの天辺の構造物は結局なんなのだろうか……?


なるほど。どうやらこの中を覗けるようだ。
さっそく近づいて見てみると……?

おぉ……!!
どうやら自由な角度から埋葬場所が見られるようにと、透明な屋根が設置されていたようだ。
なんだか自分が知る他の古墳では見たことのない斬新な公開方法だが、これはこれでありかもしれない。

解説文を読むと、埋葬者は頭を東に向けていたと考えられているそうだ。
東といえば太陽が昇ってくる方向だが、果たしてどんな意図があったのだろうか。
そしてこの後円部の埋葬施設の中からは、土器や食べ物をかたどった土製品、そして農具や工具などの鉄製品が出土したという。
なんだか武器的なものが入っているかと勝手に思っていたが、農具と工具なのか。
古墳時代における鉄は貴重品だっただろうし、埋葬されたのはこの辺りの農業開発に力を入れた権力者だったのかなと妄想してしまう。
(なお埋葬された人物の詳細はよくわかっていないらしい)

笠置峠古墳からは、わらマンモスがいた宇和盆地を一望することができる。
地域を開発してまとめ上げた人を埋葬するなら、やはりこういう高所になるのかもしれない。
そして古墳時代におけるこの辺りの山は、おそらく薪(燃料)としての木材利用や焼畑、水田肥料としての草肥などの用途で、現在よりも遥かに古墳の存在は目立っていたんじゃないかと思われる。


きっと古墳時代はこんな背丈の木が密集していることもなく、ここから宇和盆地の更に広い範囲が見渡せていたはずだ。
そして古墳でなにかしらの祭祀を行った場合、盆地で農業をやっている人がその様子を下から見れたりもしたことだろう。
あぁ、当時のことを考えると本当に妄想が捗るな……!

ちなみにここから宇和盆地と逆方向を見ると、佐田岬半島が見えるようだ。
どれどれ……?


おぉ……!
確かにあの風力発電は佐田岬半島にあるものだ。
ここからでも見えるんだな、自分が諦めた佐田岬半島……!

いやはや、偶然の思いつきで古墳に登ることになったわけだが、道中のあれこれを含めて、非常に得るものがあった。
これからもこんな風に偶然の出会いを大事にしたいものだ。
……それでは、日没で山道を歩けなくなる前に戻るとしよう。
『もののけ』が出るかもしれないからね!!




というわけで、自分は八幡浜港に戻ってきたのだった。
山を越え、
塩パンを食べ、
マンモスと古墳を見て……
これは思った以上に充実した一日を過ごせたんじゃないだろうか。


古墳からも見えた風力発電をあらためて眺めつつ、再び始まる仕事の日々を思う。
……うん、どうにか頑張れる気がする。
また辛くなったら、今回のように速攻で旅に出るとしよう。
旅行がどうにか今の自分を保ってくれていると実感しつつ、
次回へ続く……!
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