【つながる旅行記#408】峠に残ったお遍路の痕跡に思いを馳せつつ、古墳へ…!【笠置峠古墳②】
前回は目的地を古墳に確定し、自転車を押しつつ山道を進んだ。


いや〜……もう普通に登山道だなこれは!!
正直なところ、自転車の存在がそこそこ負担になってきているわけだが、ある意味でこれはアドベンチャーレース体験みたいな気がしないでもない。
(アドベンチャーレースではよく自転車を担いで山を登るのだ)
まあ自分が運んでいるのはマウンテンバイクでもなんでもない小径車なので楽な方なのかもしれないが、それでも山道で自転車を運んでいくのは大変なんだなと実感する。



おや、これは……
『お墓』だろうか?

どうやらこれは遍路墓というものらしい。
そうか、そういえば四国にはお遍路の文化があるんだった。
そして自分が歩いてきた笠置街道は、四国八十八ヶ所を巡る際に利用されていた遍路道でもあったようだ。
しかし昔はインフラが今ほどしっかり整備されていたわけではなく、お遍路をするに当たっては前回述べたような追い剥ぎが現れる危険性もあった。
他にも遍路の途中で健康を害して力尽きてしまうこともあっただろう。
看板には、『病や貧困で故郷を追われた人が四国を訪れて遍路者となり、死ぬまで札所巡りを続けていたと思われる』という話も書いてある。
この遍路墓は、そういった人々のお墓なのだ。
そういえば四国には『お接待』という文化があり、遍路者に対して食料や宿泊所などの様々な支援を無償で提供していると聞いた。
公的な社会福祉制度がろくになかった時代においては、四国遍路にはそういう意味で他の場所にはない救いがあったのかもしれないな……。

いきなりたくさんのお墓が登場したのでちょっとびっくりしてしまったが、これはこの地域の人々が無縁仏をしっかりと弔った証でもあるのだ。
自分のお遍路知識にはなかった要素が新たに加わったのを感じる。
貴重な学びが得られた。


なんだかしんみりしつつ歩いていたら、昔風に再現された『峠の茶屋』を発見。
看板によると、大正時代の初期にはこの辺りに2軒の茶屋があったそうだ。




そしてこの笠置峠は庶民の生活の道でもあり、過去にはシーボルトの娘である楠本イネや二宮敬作が通ったこともあるという。
おぉ……! 知っている名前が出てくるとなんだか嬉しいな!
※ふたりの登場回↓
そして宇和島藩に召し抱えられていた頃の大村益次郎(村田蔵六)も、この道を通ったことがあるそうだ。
大村益次郎といえば明治維新を成功させた立役者といえる軍略家で、以前行った靖國神社の銅像が思い浮かぶわけだが、まさかこんな山の中で名前を見ることになるとは思わなかった。

思えばただ古墳を見るためだけに山に入ったわけだが、なにやら思いもよらぬ知識までゲットできてお得感が凄い。
いや、これをお得だと思えるのも、過去にあれこれ知識を詰め込んでおいたおかげなのかもしれない。
もし何の知識もなしにここにきていたとしたら、解説板を読もうが別になんの感動もなく「へぇ、色んな人が通ってたんですねぇ…」くらいの感想を得て1時間後には忘れていたのが自分だろう。
あらためて知識を事前に入れておくことの大切さを実感する。
(まあ基本的に入れといても少し経てば忘れてしまうものではあるが…)

そしてどうやら笠置峠古墳に辿り着いたようだ。
山の中の古墳だし荒れているのかと思いきや、この辺りはしっかりと整備されている気がする。
さてさて、古墳は一体どんな感じで……?


な、なんだか古墳の上に現代っぽい人工物がチラ見えしているような……?
やはりここは自分の想像していた以上にあれこれ楽しませてくれる場所なようだ。
果たして古墳の天辺には一体何があるのか。
次回へ続く!!
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