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なぜ学びは一人で完結しないのか。レイヴ&ウェンガー「実践共同体」から考える

前回の記事では、ウィトゲンシュタインの考え方を通して、意味は頭の中ではなく、言葉の使い方の中にあるという視点を見てきました。

わかった」という言葉の意味は、頭の中をのぞけば確認できるものではありません。

  • 問題を解けるのか。

  • 別の例で説明できるのか。

  • 友達に教えられるのか。

  • 新しい場面で使えるのか。

  • 自分の言葉で言い換えられるのか。

そのような使い方の中で、「わかった」の意味は見えてきます。

つまり、知識とは、頭の中にしまわれた情報ではありません。
使われることによって、意味を持つものです。

しかし、ここでさらに問いが生まれます。
その言葉の使い方は、どこで身につくのでしょうか。

  • 「説明する」とは何をすることなのか。

  • 「考える」とは何をすることなのか。

  • 「わかった」とはどの状態を指すのか。

  • 「できる」とは何を意味するのか。

私たちは、最初からそれを知っているわけではありません。

授業の中で、部活動の中で、職場の中で、研究室の中で、少しずつその場の言葉や振る舞い方を身につけていきます。

つまり、言葉の使い方は、具体的な場の中で学ばれていきます。

では、人はどのようにして、その場の一員になっていくのでしょうか。

この問いに向き合うために、今回はレイヴとウェンガーの考え方を見ていきます。


□ レイヴとウェンガー「正統的周辺参加」

レイヴとウェンガーは、学習を個人の頭の中で起こる出来事としてではなく、実践の共同体に参加していく過程として捉えました。

この考え方を、「正統的周辺参加」と呼びます。

少し難しい言葉ですが、考え方自体はとても自然です。

人は、最初から中心的な存在として学ぶわけではありません。

  • 見る

  • 真似をする

  • 簡単な役割を担う

  • 先輩や熟練者のやり方を観察する

  • その場の言葉や作法を覚える

  • 少しずつ参加の度合いを深めていく

そうやって、共同体の一員になっていきます。

たとえば、部活動を考えるとわかりやすいと思います。
新入部員は、最初からチームの中心ではありません。

  • まずは練習の流れを見る。

  • 道具の場所を覚える。

  • 先輩の動きを観察する。

  • 準備や片付けを手伝う。

  • 簡単な練習に参加する。

  • 少しずつチームの言葉や空気を覚えていく。

その中で、技術だけでなく、その部活動らしい振る舞い方を学んでいきます。

どのタイミングで声を出すのか。
何を大切にしているのか。

失敗したとき、どう立て直すのか。
先輩や仲間とどう関わるのか。

その場で「できる」とは、どういう状態なのか。

これらは、教科書のように最初から一覧で渡されるものではありません。

その場に参加しながら、少しずつ身につけていくものです。

これが、正統的周辺参加の感覚です。


□ 知識は、共同体の中に埋め込まれている

レイヴとウェンガーの考え方で重要なのは、知識を個人の頭の中だけに置かないことです。

知識は、共同体の実践の中に埋め込まれています。

たとえば、同じ「説明する」という言葉でも、
場によって意味が変わります。

数学で説明する。
国語で説明する。
部活動で説明する。
職場で説明する。

それぞれ求められる説明の仕方は違います。

数学では、論理の筋道が重視されるかもしれません。
国語では、本文の根拠が重視されるかもしれません。
部活動では、動きながら伝える簡潔さが重視されるかもしれません。
職場では、相手が次に動けるように伝えることが重視されるかもしれません。

つまり、「説明できる」という知識や技能は、
抽象的に存在しているわけではありません。

その場の目的や価値観の中で意味を持ちます。

だから、本当に学ぶということは、単に情報を覚えることではありません。その場で何が大切にされているのかを知ることです。

  • どんな問い方がよいとされるのか。

  • どんな根拠が求められるのか。

  • どんな失敗が学びになるのか。

  • どんな振る舞いが信頼されるのか。

  • どんな言葉を使えば、その共同体の中で意味が通じるのか。

こうした作法まで含めて、知識は共同体の中にあります。


□ 教室も、実践の共同体である

レイヴとウェンガーの視点に立つと、教室の見え方が変わります。

教室とは、知識を配る場所ではありません。
教師が説明し、生徒がそれを頭に入れる場所でもありません。

教室とは、一つの実践共同体です。

そこには、その教室なりの言葉があります。

  • 「考える」とは何をすることなのか。

  • 「説明する」とはどうすることなのか。

  • 「間違える」とはどう扱われるのか。

  • 「聞く」とは何をすることなのか。

  • 「できる」とはどの状態を指すのか。

これらは、教室の中で少しずつ共有されていきます。

つまり、教師がつくっているのは授業だけではありません。
教室という実践共同体をつくっているのです。

□ ヴィゴツキー、ウィトゲンシュタインとの接続

ここで、これまでの記事とつなげて考えてみます。

ヴィゴツキーは、理解は一人の頭の中だけで生まれるのではなく、他者との関わりの中で生まれると考えました。

ウィトゲンシュタインは、意味は頭の中ではなく、
言葉の使い方の中にあると考えました。

ここで、学びは言葉の使い方へ広がりました。

そして、レイヴとウェンガーは、その言葉の使い方や関わり方が、
実践共同体への参加の中で身につくと考えました。

この流れをたどると、知識の見方は大きく変わります。

知識は、一人の頭の中に閉じたものではありません。

他者との関わりの中で生まれる。
言葉の使い方の中で意味を持つ。
共同体の実践に参加する中で身についていく。

これが、ここまでの記事の大きな流れです。


□ 「教える」とは、共同体への入口をつくること

レイヴとウェンガーの視点に立つと、教師の役割も変わります。

教師は、知識の伝達者ではありません。
知識を持っていて、
それを生徒の頭の中に届けるだけの存在ではありません。

教師の役割は、
生徒が実践共同体に参加できるように入口をつくることです。

最初は周辺から参加できるようにする。

いきなり完成形を求めない。
簡単な役割を与える。
途中の考えを出せるようにする。
失敗しても戻れるようにする。
熟練者の考え方を見えるようにする。
少しずつ中心的な参加へ向かえるようにする。

たとえば、授業でいきなり
「説明しなさい」と言っても、難しい生徒がいます。

その場合、まずは穴埋めで説明する。

次に、選択肢から根拠を選ぶ。
次に、ペアで説明する。
次に、自分の言葉で短く説明する。
最後に、別の問題でも説明する。

このように、参加の段階を設計することで、
生徒は少しずつその教科の実践に入っていけます。

情報の授業なら、いきなり自由にプログラムを作らせるのではなく、

まずはコードを読む。
次に一部を変える。
次に条件を追加する。
次に自分の目的に合わせて設計する。

このように、周辺的な参加から中心的な参加へ進めていくことができます。

教師は、答えを渡す人ではありません。
生徒がその世界に参加できるように、足場を用意する人です。

そして、少しずつその足場を外しながら、
生徒自身が実践の中で動けるようにしていく人です。


□ レイヴとウェンガーの強さと注意点

この視点に立つと、授業や教室の意味が大きく変わります。

しかし、注意点もあります。

共同体は、学びを生む一方で、人を閉じ込めることもあります。

たとえば、ある教室で「間違えることは恥ずかしい」という文化ができていたらどうでしょうか。

その共同体では、間違いを出さないことが正しい振る舞いになります。

すると、生徒は挑戦しなくなります。
わからないと言えなくなります。
安全な答えだけを探すようになります。

また、ある集団で「できる人だけが発言する」という文化があると、周辺にいる生徒はいつまでも周辺のままになります。

参加しているように見えて、実際には深く参加できていない。

これは大きな問題です。

つまり、共同体があるだけでは不十分です。

どのような共同体なのかが問われます。

初心者が参加しやすい共同体なのか。
間違いが学びとして扱われる共同体なのか。
周辺にいる人が中心へ向かえる共同体なのか。
発言しやすい共同体なのか。
多様な参加の仕方が認められる共同体なのか。

ここを設計しないと、共同体は学びの場ではなく、
序列や沈黙を固定する場になってしまいます。

だからこそ、教師には共同体をデザインする視点が必要です。


□ おわりに

教室とは、知識を配る場所ではありません。
教師が持っている知識を、生徒の頭の中に移し替える場所でもありません。

教室とは、知識が生まれる場所です。

誰かの発言が、別の誰かの理解を進める。
一人の疑問が、クラス全体の問いになる。
友達の説明によって、教科書の言葉が意味を持ち始める。
失敗した解き方が、次の理解への足場になる。

そのとき、知識は一人の頭の中だけにあるのではありません。

黒板にある。
ノートにある。
友達との会話にある。
教師の問い返しにある。
クラスの空気にある。
その場で共有される実践の中にある。

その教室なりの言葉があり、問い方があり、間違い方があり、説明の仕方があります。その中に参加していくことで、生徒は少しずつ学びの共同体の一員になっていきます。

「知っている」とは、頭の中に正解を保存していることではない。
その知識を使って考え、語り、関わり、実践の中で意味を生み出せることなのだと思います。

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